ウプサラ
スウェーデンの都市
ウプサラ︵Uppsala、[ˈɵpːˈsɑːla] ( 音声ファイル)、ウップサーラ︶は、スウェーデン中部の都市で、ウプサラ県の県都である。2019年現在の人口は177,074人で、スウェーデン第4位。北欧で最古の大学として知られるウプサラ大学が立地する。
ウプサラ | |
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ウプサラの上空写真 | |
北緯59度51分0秒 東経17度38分0秒 / 北緯59.85000度 東経17.63333度 | |
国 | スウェーデン |
地方 | ウップランド地方 |
県 | ウプサラ県 |
コミューン | ウプサラ |
面積 | |
• 合計 | 48.77 km2 |
人口 (2019年12月31日) | |
• 合計 | 177,074人 |
• 密度 | 3,600人/km2 |
ウェブサイト | www.uppsala.se |
地勢・産業
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ストックホルムの約70 km北、ストックホルム-アーランダ空港の約35 km北に位置し、ストックホルムからは電車で45分間程度で到着する。フューリソン川河畔の大学街。19世紀後半より鉄道の敷設が進んだことで、工業も発展した。
1950年にはスウェーデンを代表する製薬会社だったファルマシアがウプサラに移転し、ウプサラ大学との共同研究により成長を遂げた。1995年のアップジョンとの合併、2000年のモンサントとの合併、そして2003年のファイザーによる買収にともないウプサラにおける拠点は縮小したが、ファルマシアを源流とするGEヘルスケア バイオサイエンスを始めとして、多くの生命科学企業が現在もウプサラで活動している。
また、MySQL ABはウプサラを本社としている︵現在は両本社制で、アメリカのクパチーノにも本社を構える︶。
歴史
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現在の街の中心から5 kmほど北方の郊外に、ガムラ・ウプサラ︵古ウプサラ︶があり、そこには先史時代の遺跡が存在し、王の墳墓が残されている。中世初期、北欧各地でキリスト教化が進む中でも、ガムラ・ウプサラは異教の伝統を保ち続け、11世紀頃までスウェーデン王を司祭とした大犠牲祭が行われていた。しかし12世紀には、キリスト教化が完了し、ガムラ・ウプサラにキリスト教の教会が建てられた。
現在のウプサラ市が発展する契機となったのは、この場所が交易活動の拠点であったことと、1245年にガムラ・ウプサラの大聖堂が焼失したため、この地に大聖堂が移転して建設が始まったことが挙げられる。1435年に大聖堂は完成した。1471年、ウプサラ大学が建てられ︵講義開始は1477年︶、聖職者育成などに努めた。16世紀半ば、グスタフ1世によってウプサラ城が建てられた。また、1672年まで歴代のスウェーデン君主の戴冠式はウプサラで行われた。1702年の大火で街は深刻な打撃を受け、大聖堂の2本の尖塔も消失してしまったが、大聖堂も含めて街はその後復興を果たした。19世紀後半より、ウプサラと他都市を結ぶ鉄道の開通によって工業化も進んだ。
文化
編集主要な出身者
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アクセル・オクセンシェルナ ︵17世紀のスウェーデン宰相、摂政︶
ウプサラ近郊で生まれた。グスタフ2世アドルフ、クリスティーナといった歴代国王を補佐し、﹁バルト帝国﹂とも称されるスウェーデンの大国時代を創出させた。
アンデルス・セルシウス ︵18世紀の天文学者︶
ウプサラで生まれ、ウプサラ大学で天文学の教授を務めた。オーロラを観測、フランス王立科学アカデミーによる子午線弧長の測定に参加、ウプサラ天文台を設立。セルシウス度を考案した。
ダグ・ハマーショルド ︵第2代国連事務総長︶
ウプサラで生まれた。国連事務総長として、紛争解決のために積極的に活動。1961年、コンゴ動乱の収拾のためコンゴへ向かう途中、飛行機が墜落、死去した。遺体はウプサラに埋葬されている。
イングマール・ベルイマン ︵映画監督、脚本家、演出家︶
ウプサラで生まれた。20世紀を代表する映画監督の1人である。﹃第七の封印﹄、﹃野いちご﹄、﹃沈黙﹄などの作品で知られる。
ウプサラ大学出身者
編集日本とゆかりのある人物
編集脚注
編集- ^ 五十嵐圭日子 (2017年4月7日). “学問が息づく街 スウェーデンの古都ウプサラ”. NIKKEI STYLE. 2018年9月17日閲覧。