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== 「法隆寺の胴張りの起源は古代ギリシャのエンタシス」説 ==
1893年︵日本の明治時代︶、[[帝国大学]]︵現在の東大︶院生の[[伊東忠太]]が、法隆寺の胴張りの起源が古代ギリシャにあるとする論文︵学位論文︶﹁法隆寺建築論﹂を発表した。この説は[[和辻哲郎]]が昭和時代に発表したエッセイ﹃[[古寺巡礼 (和辻哲郎)|古寺巡礼]]﹄によって特に有名となった。 ただし、建築史家の[[藤森照信]]によると、この説は建築史的には﹁ウソ﹂とのこと<ref>﹃藤森照信×山口晃 日本建築集中講義﹄ 淡交社 p.13</ref>。この説が生まれた背景には、明治時代の日本の建築家において、﹁日本建築が西洋建築に対して遅れた物である﹂という大きな劣等感があったため、ヨーロッパ文化の原点であるギリシャと日本の建築がつながっていることを示す狙いがあったという。 |