「エンタシス」の版間の差分
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なお、伊東忠太はこの説を証明するため、中国からインド・トルコなどを経てギリシャまで3年がかりで徒歩で旅行したが、日本とギリシャ以外のどこにもエンタシスの柱を見つけることはできず、結局この説を証明することは出来なかった。 また、ギリシア美術史家の[[前田正明]]も、ギリシア建築様式とその周辺諸国への伝播の経緯から考察し、﹁たとえそこにエンタシスが観られるかといってこの法隆寺の中門、金堂内陣などの柱をドリス様式の影響と観るのは謝りである。﹂と否定している。 <ref>前田正明『ギリシアの美術さ・え・ら』 「法隆寺のエンタシス論争再考」日貿出版社 p.202</ref>。
== 参照 ==
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