「カン・タガミ」の版間の差分
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[[1941年]]2月17日に[[アメリカ陸軍|陸軍]]へ入隊し、当初はカリフォルニア州[[モントレー湾]]近郊の{{仮リンク|フォート・オード|en|Fort Ord}}で、{{仮リンク|第153歩兵連隊 (アメリカ軍)|en|153rd Infantry Regiment (United States)|label=第153歩兵連隊}}の一員として訓練を受けていた。しかし、同年12月7日の[[太平洋戦争]]開戦に伴い、翌[[1942年]][[2月19日]]に﹃[[大統領令9066号]]﹄が発令され、[[日系人の強制収容]]が実施された事により、自身以外の家族は、[[アリゾナ州]]の[[ポストン戦争強制収容センター]]へ送致された。その理不尽に憤りながらも、母国への忠誠心を示したいと考えたタガミは、軍が日本語の流暢な人材を求めている事を知り、[[1942年]]6月に[[ミネソタ州]]{{仮リンク|キャンプ・サベージ|en|Camp Savage}}に移転したばかりの[[アメリカ陸軍情報部|陸軍情報部語学学校︵MISLS︶]]へ転属した<ref name="ken"/>。 サベージ移転後のMISLS第1期生となったタガミは、同校を首席で卒業した。これにより、タガミは前線には赴かず、講師として後身の指導にあたるよう、上層部より請われた、同期生10人の内の1人となった。しかし、太平洋戦争の激化に伴い、タガミは自ら前線への派遣を、 その後は、[[1944年]]7月から[[1945年]]4月にかけて、[[ビルマの戦い|ビルマ戦線]]において、壊滅状態にあった﹃{{仮リンク|メリル略奪隊|en|Merrill’s Marauders}}﹄に成り代わるものとして、{{仮リンク|第124騎兵連隊 (アメリカ軍)|en|124th Cavalry Regiment (United States)|label=第124騎兵連隊}}の隷下で編成された﹃マーズ任務部隊﹄において、タガミは15人から成る語学要員分遣隊の隊長に任ぜられた。同任務部隊は、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の前線の背後における任務を与えられ、[[国民革命軍]]に武器と食料を供給する為の[[援蒋ルート]]における掃討作戦にあたった。そうした中で、タガミ達は[[捕虜]]の尋問のほか、[[鹵獲]]した文書の翻訳に従事した<ref name="ken"/>。 |