サラ・チャン
ヴァイオリニスト
サラ・チャン(Sarah Chang[2][1] 朝鮮語: 장영주(張永宙、チャン・ヨンジュ)、1980年12月10日[3] フィラデルフィア[1]- ) は、韓国系アメリカ人のヴァイオリニスト[1]。
サラ・チャン | |
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基本情報 | |
出生名 | Young Joo Chang[1] |
生誕 | 1980年12月10日 |
出身地 |
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学歴 | ジュリアード音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
公式サイト | 公式HP |
略歴
サラは出生時に韓国語名でヨンジュ︵Young Joo Chang︶と名づけられた。母が当時師事していた作曲家のジョージ・クラムは、チャンが音楽の道に進むと信じ、英語名で サラ︵Sarah Chang︶と名乗ることを母に提案して受け入れられた[1]。
父親︵チャン・ミンス︶もヴァイオリニスト。3歳のときに両親にヴァイオリンをねだり、4歳の誕生日に1/16サイズのヴァイオリンを買ってもらい、練習を始めた。6歳でジュリアード音楽院の入学試験を受け、マックス・ブルッフのヴァイオリン協奏曲を演奏して入学許可を得る。同音楽院ではドロシー・ディレイに師事。パールマンや五嶋みどり、ギル・シャハム、諏訪内晶子、シュロモ・ミンツらの妹弟子にあたる。
8歳でズービン・メータ指揮のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団やリッカルド・ムーティ指揮のフィラデルフィア管弦楽団と共演した。10歳でファーストアルバムの録音を行い、それまでハイフェッツが持っていた最年少記録︵11歳︶を塗り替えた。アルバムは翌年、EMI クラシックスから発売され、発売後まもなく、クラシック音楽のベストセラーとして、ビルボードチャートに入った。
1993年にグラモフォン・マガジン賞、1994年には国際クラシック音楽賞、1999年にエイヴリー・フィッシャー賞を獲得。標準的なレパートリーだけでなくゴルトマルクの協奏曲にも早くから取り組んでいる。
音楽について
評価
チャンが13歳であった1994年4月の報道によると、ユーディ・メニューイン︵報道時は77歳。神童ヴァイオリニストとしてデビューし、15-16歳で既に完成の域に達したと評された[5]。︶は、チャンを﹁私が聴いた範囲で、もっとも素晴らしく、完全で、理想的なヴァイオリニスト﹂と評した[6]。
受賞
脚注
(一)^ abcdeEarls, Irene. Young Musicians in World History. Greenwood Publishing Group. p. 54. ISBN 978-0-313-31442-1. OCLC 47838282
(二)^ “Sarah Chang Official Website”. 2019年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月4日閲覧。
(三)^ “Sarah Chang music, videos, stats, and photos” (英語). Last.fm. 2020年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月4日閲覧。
(四)^ 娘サラ・チャンはこうして育てた(中央日報)
(五)^ あらえびす 著、原著は1939年刊 編﹃名曲決定盤﹄ 上巻、中央公論社、1981年。
(六)^ “MUSIC / A talent with no strings attached: Yehudi Menuhin has called” (英語). インデペンデント. (1994年4月19日). オリジナルの2018年11月4日時点におけるアーカイブ。 2018年11月4日閲覧。
外部リンク
- サラ・チャン公式ウェブサイト (英語)
- サラ・チャン (@sarahchang) - X(旧Twitter) (英語)