「サンタ・マルタ (コロンビア)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
fmt |
||
(3人の利用者による、間の5版が非表示) | |||
4行目:
|nickname = アメリカの真珠<br />(ラ・ペルラ・デ・アメリカ)
|motto =
|image_skyline =
|imagesize = 250px
|image_caption =
|image_flag = Flag of Santa Marta.svg
|image_shield =
12行目:
|image_map = Colombia - Magdalena - Santa Marta.svg
|mapsize = 250px
|map_caption = マグダレーナ県における自治体(
|pushpin_map=Colombia
|pushpin_map_caption = 位置図
39行目:
|area_urban_sq_mi =
|area_urban_km2 = 55.10
|population_as_of =
|population_note =
|population_total =
|population_urban =
|population_density_urban_km2 =
|population_density_urban_sq_mi =
|population_density_km2 =
|population_density_sq_mi =
|timezone = コロンビア標準時
65行目:
|blank_info = [[マイアミビーチ]]([[アメリカ合衆国]])
|website = http://www.santamarta-magdalena.gov.co
|footnotes = 統計
}}
'''サンタ・マルタ'''︵{{Lang-es-short|Santa Marta}}︶は、[[コロンビア]]の北部に位置する[[都市]]、[[自治体]]。[[マグダレーナ県]]の県都でもある。[[カリブ海]]に面し、{{仮リンク|サンタ・マルタ山脈|es|Sierra Nevada de Santa Marta}}に囲まれている。 この地域一帯の観光、歴史、文化の中心地で、主要港も備えている。
﹁解放者﹂の異名で知られる[[革命家]][[シモン・ボリバル]]は1830年12月17日にサンタ・マルタ近郊の{{仮リンク|サン・ペドロ・アレハンドリーノ農場|es|Quinta de San Pedro Alejandrino}}で亡くなった。一帯では1964年から起きている[[コロンビア == 歴史 ==
[[File:AnfiteatroQuinta.JPG|200px|left|thumb|サン・ペドロ・アレハンドリーノ農場]]
[[スペイン人]]が到達する以前、この一帯には{{仮リンク|アルアコ 1525年7月29日にスペイン人征服者の{{仮リンク|ロドリーゴ・デ・バスティーダス|en|Rodrigo de Bastidas}}は二百人の部下と2、3人の先住民をしたがえて街を建設した。彼は[[新約聖書]]に登場する[[マルタ (マリアの姉)|マルタ]]という人物にちなみ街をサンタ・マルタと名付けた。しかし、彼が訪れたことのあるスペインのサンタ・マルタ・デ・[[アストルガ]]スという都市が由来ではないかとの説もあり、多くの歴史家の間で議論が重ねられてきた<ref name=SantaMarta>[http://www.santamarta.gov.co/index.asp?id=2&ide=97&id_seccion=161&tisec=NUESTRO%20MUNICIPIO Santa Marta: City government] santamarta.gov.co Accessed 29 September 2006.</ref>。この街の建設からスペインによるこの地域の[[植民地化]]は急速に進み、植民地の統治機能も構築された。 植民地時代、サンタ・マルタは近隣の[[カルタヘナ (コロンビア)|カルタヘナ]]に[[港湾都市]]の地位を奪われた。19世紀中葉には[[フランス]]、[[イギリス]]、[[北アメリカ]]などから移民がやってきて、地元の人々に工業生産を紹介し工業と農業の業界団体を設立した。また、彼らによって鉄道も敷設され、産業のネットワーク化も図られた。 1871年には{{仮リンク|マグダレナ大学|es|Universidad del Magdalena}}が設立されたが、当初は法学と医学の二学部しかなかった。 20世紀中には[[多国籍企業]]の支援により内陸部で大量生産された[[バナナ]]や[[石炭]]が主要港から輸出された。1968年には[[市役所]]から港湾局が分割された<ref name=Dimar>[http://www.dimar.mil.co/VBeContent/newsdetail.asp?id=5030&idcompany=59 DIMAR: Port Authority of Santa Marta] dimar.mil.co Accessed 29 September 2006.</ref>。
== 地理 ==
沿岸部に位置するサンタ・マルタ市の年間気温は27度から35度の間で推移しているが、自治体のレベルになると 市は[[マグダレナ川]]の[[三角州]]の北東側約50 kmの場所にあり、海岸部の{{仮リンク|タイロナ自然国立公園|es|Parque nacional natural Tayrona}}を含むネバダ・デ・サンタ・マルタ山脈一帯は1979年に<ref>{{Cite web |title=Sierra Nevada de Santa Marta Biosphere Reserve, Colombia |url=https://en.unesco.org/biosphere/lac/sierra-nevada_santa-marta |website=UNESCO |date=2020-04 |access-date=2023-03-25 |language=en}}</ref>、市付近の[[サンゴ礁]]、[[マングローブ]]および{{仮リンク|サラマンカ島|es|Isla de Salamanca}}を含む[[湿地]]の{{仮リンク|サンタ・マルタ大湿地|es|Ciénaga Grande de Santa Marta}}は2000年に[[ユネスコ]]の[[生物圏保護区]]にそれぞれ指定された<ref>{{Cite web |title=Ciénaga Grande de Santa Marta Biosphere Reserve, Colombia |url=https://en.unesco.org/biosphere/lac/cienaga-grande_santa-marta |website=UNESCO |date=2019-06-25 |access-date=2023-03-25 |language=en}}</ref>。
== 観光 ==
[[File:Taganga Colombia.jpg|left|thumb|{{仮リンク|タガンガ|es|Taganga}}の街]]
12月15日からの一ヶ月間と ;主な観光名所
*{{仮リンク|サン・ペドロ・アレハンドリーノ農場|es|Quinta de San Pedro Alejandrino}} - 17世紀に造営された。[[シモン・ボリバル]]の墓場があることで知られる。現在は彼を記念した博物館になっている。 *{{仮リンク|サンタ・マルタ大聖堂|es|Catedral Basílica de Santa Marta}} - 1766年に建てられた国定史跡。1842年までシモン・ボリバルの遺体が安置されていた。 *{{仮リンク|サンタ・マルタ税関|es|Casa de la Aduana}} - 1530年に建てられたアメリカ大陸最古の建造物。現在はタイロナ博物館になっている。 *マダム・オーガスティン・ハウス - 植民地時代の建築の傑作
*サン・フェルナンド砦 - スペイン人征服者が海賊からの襲撃に備えて築いた砦。植民地時代の軍事建築のよい例である。
*{{仮リンク|タイロナ *ケイブラダ・バレンシア - 熱帯雨林の奥地にある滝。
*{{仮リンク|タガンガ|es|Taganga}} - スキューバダイビングのメッカとして知られる漁師町。近くには美しいビーチもある。 *ママンカナ自然保護区 - 野生観察やパラグライダー、ダウンヒル、岩登り、キャノピングなどのレクリエーションに利用されている自然保護区。
*ロダデロ水族館・博物館 - イルカとアシカのショーも開かれる水族館
108 ⟶ 110行目:
== スポーツ ==
エル・シクロン・バナネロ︵[[バナナ]]の[[サイクロン]]︶の愛称で知られる[[サッカークラブ]]、{{仮リンク|ウニオン・マグダレナ|es|Unión Magdalena}}が拠点としている。 [[File:Gaira-Rodadero, Santa Marta - Colombia.jpg|center|500px|街のパノラマ]]
114 ⟶ 116行目:
== 出身有名人 ==
*[[カルロス・バルデラマ]] - 元サッカー選手
*{{仮リンク|カルロ
*[[ヨハン・フォンランテン]] サッカー選手
|