「ザ・ピーナッツ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
東宝特撮女優大全集より加筆。 |
編集の要約なし |
||
(21人の利用者による、間の28版が非表示) | |||
1行目:
{{Infobox Musician <!-- プロジェクト:音楽家を参照 -->
|名前 = ザ・ピーナッツ
|画像 = File:Optreden van het Japanse zangduo The
|画像説明 =
|画像サイズ =
|画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
|背景色 = group
20行目:
|共同作業者 =
|公式サイト =
|旧メンバー = [[伊藤エミ]]([[ハーモニー]])<br />[[伊藤ユミ]]([[メロディー]])
|著名使用楽器 = <!-- 個人のみ -->
}}
[[file:Amerikaanse trompetist Al Hirt met het Japanse zangduo The Peanuts, Bestanddeelnr 919-6264.jpg|thumb|right|300px|アメリカのジャズトランペット奏者{{仮リンク|アル・ハート|en|Al Hirt}}と。1966年]]▼
'''ザ・ピーナッツ''' (The Peanuts) は、[[日本]]の[[双子]]の元[[女性]][[歌手]]︵[[デュエット|デュオ]]︶、[[俳優|女優]]である。[[愛知県]][[知多郡]][[常滑町]]︵現・[[常滑市]]︶生まれ{{R|特撮女優58}}、同県[[名古屋市]]育ち{{efn|﹃中日新聞﹄1975年3月30日朝刊の名古屋でのさよなら公演の記事によると小学生時代に名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]][[大須 (名古屋市)|西大須]]に転居したとある。資料によっては、﹁名古屋市生まれ﹂と記述している{{R|全史530}}。}}。略称﹁ピーナッツ﹂。 発売したシングル、LPの累計売上は1000万枚以上に達する。
== 人物 ==
* 姉 '''[[伊藤エミ]]'''︵本名、澤田<ref>{{ * 妹 '''[[伊藤ユミ]]'''︵本名、伊藤 月子︵いとう つきこ︶{{R|特撮女優58}} 1941年︵昭和16年︶4月1日{{R|特撮女優58}} - [[2016年]]︵平成28年︶[[5月18日]]<ref>{{cite news|url= == 略歴 ==
40 ⟶ 39行目:
=== デビュー ===
[[File:The peanuts 1960.jpeg|thumb|180px|1960年]]
[[1959年]][[2月11日]]、﹁第2回 [[日本劇場|日劇]]コーラスパレード﹂で歌手デビュー{{R|特撮女優58}}。4月、﹁可愛い花﹂で[[レコード]]デビュー{{R|特撮女優58}}。事務所はデビューより引退まで16年間一貫して[[渡辺プロダクション]]に所属。同社の専属タレント第1号であった{{R|画報118|特撮女優58}}。[[レコード会社]]は各社の争奪戦となり、[[ビクターエンタテインメント|ビクターレコード]]{{efn|当時は独立した会社ではなく[[日本ビクター]]の一部門であった。}}と契約寸前まで達したが逆転され[[1959年]][[4月2日]]に[[キングレコード]]と[[契約]]した。▼ [[File:Optreden van het Japanse zangduo The Peanuts, Bestanddeelnr 919-6259.jpg|thumb|250px|アムステルダムにて(1966年10月)]]
[[File:The-Peanuts-1.jpg|thumb|180px|ミッシェル・フリッカー演出によるテレビ番組『ザ・ピーナッツ・ショウ』(1964年12月31日放映)に出演するため二人は西ドイツへ渡航した。ミュンヘンにて。]]
▲[[file:Amerikaanse trompetist Al Hirt met het Japanse zangduo The Peanuts, Bestanddeelnr 919-6264.jpg|thumb| ▲[[1959年]][[2月11日]]、﹁第2回 [[日本劇場|日劇]]コーラスパレード﹂で歌手デビュー{{R|特撮女優58}}。4月、﹁可愛い花﹂で[[レコード]]デビュー{{R|特撮女優58}}。事務所はデビューより引退まで16年間一貫して[[渡辺プロダクション]]に所属。同社の専属タレント第1号であった{{R|全史530|画報118|特撮女優58}}。[[レコード会社]]は各社の争奪戦となり、[[ビクターエンタテインメント|ビクターレコード]]{{efn|当時は独立した会社ではなく[[日本ビクター]]の一部門であった。}}と契約寸前まで達したが逆転され[[1959年]][[4月2日]]に[[キングレコード]]と[[契約]]した。 1959年[[6月17日]]から[[1970年]][[3月31日]]まで[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系の歌謡番組『[[ザ・ヒットパレード (テレビ番組)|ザ・ヒットパレード]]』のレギュラーに抜擢される。
46 ⟶ 49行目:
その後[[1961年]][[6月4日]]から[[1972年]][[10月1日]]まで[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系の人気バラエティー番組『[[シャボン玉ホリデー]]』でメイン[[司会]]を務めた。
﹃[[夜のヒットスタジオ]]﹄には[[1969年]]︵昭和44年︶[[1月13日]]に初出演︵曲は﹁ガラスの城﹂︶して以来、約6年間の間に40回に渡り出演。まだ﹁歌謡バラエティ﹂の色が強かった夜ヒットにおける常連歌手の一組であり、﹃シャボン玉ホリデー﹄での経験から当時の人気コーナー﹁歌謡ドラマ﹂にも率先して参加した。引退前最後の出演となった[[1975年]]︵昭和50年︶[[3月31日]]放送では番組史上初の﹁サヨナラ﹂企画が組まれ{{efn|その後、[[山口百恵]]・[[南沙織]]・[[ピンク・レディー]]・[[石野真子]]・[[高田みづえ]]・[[森昌子]]などの引退・解散時にも行われ、同番組の名物企画となった。}}、[[ハナ肇]]、[[植木等]]、[[坂本九]]、[[坂本スミ子]]、[[伊東ゆかり]]、[[中尾ミエ]]、こまどり姉妹、[[平尾昌晃]]ら歌手・タレント仲間が数多く駆けつけ﹁情熱の花﹂ 日本国外でも活躍し、﹃[[エド・サリヴァン・ショー]]﹄︵[[アメリカ合衆国|アメリカ]]︶や﹃[[カテリーナ・バレンテ・ショー]]﹄︵当時の[[西ドイツ]]。現・[[ドイツ]]︶、﹃[[ダニー・ケイ・ショー]]﹄︵アメリカ︶<ref>[http://peanuts-holiday.jp/1966-11Impression.html ダニー・ケイ・ショーに出演して・・・]☆ピーナッツ・ホリデー☆</ref>にも出演したことがある。 55 ⟶ 58行目:
=== 引退 ===
[[1975年]][[2月18日]]に当時[[東京都]][[千代田区]][[有楽町]]の[[三信ビルヂング]]にあった渡辺プロダクション社屋{{efn|[[ 同年[[3月31日]]には番組開始時より数多く出演をした﹃[[夜のヒットスタジオ]]﹄︵フジテレビ系︶にて引退記念特集﹁さよならピーナッツ﹂{{efn|これが同番組での﹁サヨナラ﹂企画第1号とされている。ザ・ピーナッツは夜のヒットスタジオには通算40回出演している。}}が組まれ、続く[[4月5日]]には[[NHKホール]]において、[[高橋圭三]]司会で﹁さよなら公演﹂を興行{{efn|この当時は歌手の引退[[コンサート]]はまだ一般的ではなかった。また、歌手として史上初めてのさよならコンサートとも言われている。}}。 この時、渡辺プロの主要[[タレント]]がほぼ総出で見届けていた。なお、このさよなら公演は3月から4月に掛けて[[大阪市|大阪]]・[[京都市|京都]]・[[名古屋市|名古屋]]でも行われていた。同公演を最後に[[芸能界]]を引退{{efn|その後同年[[4月13日]]の﹁さようならザ・ピーナッツ﹂、また同年[[5月25日]]に﹁最後の最後のザ・ピーナッツ﹂が[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で放送されたが﹁さよなら公演﹂等のVTRを主としたものであり、ザ・ピーナッツは直接出演はしていない。}}。以後はほぼ公の場には姿を現すことはなかった{{efn|例外として1975年 === 最終公演 ===
65 ⟶ 68行目:
=== 引退後 ===
姉の伊藤エミは1975年[[6月4日]]に同じ所属事務所であった ニッポン放送︵[[JOLF]]︶で、[[1961年]]︵昭和36年︶から[[1965年]]︵昭和40年︶にかけて、その名も﹃ザ・ピーナッツ﹄というタイトルで、伊藤姉妹がDJを務めていたラジオ番組の音源︵放送日のデータは不明︶が発見されたのをきっかけに、番組中で歌唱した曲︵未発表曲10曲を含む︶を集めて[[コンパクトディスク]]化した[[アルバム]]を、キングレコードが[[2008年]]︵平成20年︶[[11月26日]]に発売した<ref>[http://www.sanspo.com/geino/news/080920/gnj0809200434020-n1.htm ザ・ピーナッツ未発表曲10曲がCD化] サンケイスポーツ 2008年9月20日閲覧</ref>。 [[2005年]][[12月23日]]より[[2006年]][[1月15日]]まで東京都千代田区にある[[丸の内ビルディング|丸ビル]]で[http://www.watanabe50th.jp/ ﹁渡辺プロダクション創立50周年企画 ﹁抱えきれない夢﹂ 日本のエンターテインメントの50年﹂]が開催され、会場内の﹁ザ・ピーナッツコーナー﹂の展示品に、さよなら公演で使用された[[マイクロフォン|マイク]]が伊藤エミ・ユミの提供により展示されていた。 [[2012年]][[6月15日]]、姉‥伊藤エミが死去<ref>{{Cite news |title=﹁ザ・ピーナッツ﹂伊藤エミさんが死去|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120627-OHT1T00189.htm|newspaper=[[スポーツ報知]]|date=2012-06-27|archiveurl=https://archive.is/9Z7oh|archivedate=2012-06-27|accessdate=2014-05-01}}</ref>。およそ4年後の[[2016年]][[5月18日]]には妹‥伊藤ユミが死去した<ref>[http://www.daily.co.jp/gossip/2016/07/11/0009274581.shtml ザ・ピーナッツの伊藤ユミさん死去、75歳],デイリースポーツ,2016年7月11日</ref>。 [[2016年]][[9月7日]]、生誕75周年を記念して[[森高千里]]や[[華原朋美]]、元[[Wink]]の[[相田翔子]]、そしてメンバーに[[吉田美和]]を擁するユニット[[FUNK THE PEANUTS]]ら全12組が参加した自身初となる[[トリビュート・アルバム]]﹁[[ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス]]﹂とオリジナル音源を収録した[[コンピレーション・アルバム]]﹁ザ・ピーナッツ オリジナル・ソングス﹂の2枚が同時リリースされた<ref>{{ == 名付け親 ==
88 ⟶ 91行目:
== エピソード ==
*[[野球]]に興味があり、活動当時は姉妹揃って[[中日ドラゴンズ]]ファン、特に[[森徹]]のファンである。姉妹で過去に1度森を訪問したことがある。
*ザ・ピーナッツの愛車は[[プリンス自動車工業|プリンス自動車]]{{efn|後に[[日産自動車]]に吸収合併され現在会社は存在しないが、現在も日産販売店系列の名称に﹁[[日産・プリンス店|日産プリンス]]﹂という形で名称が残っている。}}の桃︵ピンク︶色の車︵[[ * 『モスラ』やゴジラシリーズの監督を務めた[[本多猪四郎]]によれば、2人は役のセリフだけでなく、日常的にも声が重なることがよくあったと証言している{{R|東宝SF2}}。
== 出演 ==
=== 主なテレビ番組 ===
*[[魅惑の宵]](初レギュラー番組)
*[[ザ・ヒットパレード]]
*[[シャボン玉ホリデー]]
*[[8時だョ!全員集合]](TBS、1974年9月14日、お別れですあなた)
=== ラジオ番組 ===
108 ⟶ 113行目:
*腰抜け女兵騒動(1961年1月26日、東宝)
*飛び出した女大名(1961年4月16日、大映)
* [[モスラ (架空の怪獣)|モスラ]] **[[モスラ]](1961年7月30日)
**[[三大怪獣 地球最大の決戦]](1964年12月20日)
*[[私と私]](1962年8月11日、東宝):主演映画 - 赤城増美(エミ)、山本まゆみ(ユミ)役
*[[夢で逢いましょ]](1962年9月15日、東宝)
*[[若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん]](1963年6月30日、東宝):主演映画
* [[クレージー映画#クレージー作戦シリーズ|クレージー作戦シリーズ]](東宝=渡辺プロ)
▲*[[モスラ対ゴジラ]](1964年4月29日、東宝) - 小美人
**[[
**[[
**[[クレージー
== 音楽 ==
130 ⟶ 137行目:
*[[月影のナポリ]]{{efn|[[森山加代子]]との競作、オリジナルはイタリアの歌手[[ミーナ・マッツィーニ|ミーナ]]。}}/白鳥の恋(1960年7月)
*パパはママにイカレてる{{efn|森山加代子との競作。ただし歌詞違いであるので完全な競作ではない。また森山加代子版は題名が﹁パパはママがお好き﹂である。オリジナルは[[カテリーナ・ヴァレンテ]]。}}/[[マイ・ホーム・タウン]]{{efn|[[ダニー飯田とパラダイスキング]]との競作。ただし歌詞違いであるので完全な競作ではない。またダニー飯田とパラダイスキング版は題名が﹁恋のホームタウン﹂である。}}︵1960年10月︶ *[[ジングルベル|ジングル・ベル]]/[[サンタが街にやってくる|サンタクロースがやってくる]](1960年10月)
*清しこの夜/別れのワルツ(1960年10月)
*[[ルナ・ナポリターナ]]{{efn|坂本九、西田佐知子、松島トモ子、島田マリとの競作。ただし歌詞違いであるので完全な競作ではない。また坂本九版は題名が﹁夢のナポリターナ﹂、松島トモ子版は﹁夢のナポレターナ﹂、島田マリ版は﹁夢のナポリターノ﹂である。}}/バイアの小道︵1960年12月︶ 140 ⟶ 147行目:
*イエロー・バード/あなたに夢中(1962年1月)
*君去りし夜/あなたなんかもういや(1962年4月)
*夕焼けのトランペット/[[ローマの恋]]{{efn|[[すぎやまこういち]]初のザ・ピーナッツ[[歌|ソング]]作曲。}}(1962年5月)
*モスコーの夜は更けて/初恋のところ(1962年7月)
*イエスサリー/グッド・ラック・チャーム(1962年8月)
491 ⟶ 498行目:
* [[白い恋人たち]](1968年[[グルノーブルオリンピック]]の同名記録映画主題曲の日本語訳歌唱)
* 昭和フォーティーズ~ザ・ピーナッツ・オン・ステージ(ヒット曲や洋楽カバーなどを収録したライブ盤、1972年)
=== みんなのうた ===▼
* [[カンタ カナリート 〜風よりもかろやかに〜]]▼
=== CMソング ===
535 ⟶ 533行目:
*[[きよしこの夜|清しこの夜]]
*[[ジングルベル|ジングル・ベル]]
*[[サンタ
*[[ホワイト・クリスマス (曲)|ホワイト・クリスマス]]
550 ⟶ 548行目:
== NHK紅白歌合戦出場歴 ==
*[[NHK紅白歌合戦]]には1959年︵第10回)から引退前年の1974年︵第25回︶まで16回連続で出場。実の[[兄弟]]・[[姉妹]]としては史上初めて出場。また、兄弟・姉妹による16回連続出場という記録も持つ。16回連続出場は[[Perfume]]と並び紅組でのグループの最長記録。 {| class="wikitable"
|+
591 ⟶ 589行目:
|1973年(昭和48年)/[[第24回NHK紅白歌合戦|第24回]]||15||ウナ・セラ・ディ東京(3回目)||12/22||[[上條恒彦]]||
|-
|1974年(昭和49年)/[[第25回NHK紅白歌合戦|第25回]]||16||ブギウギ・ビューグル・ボーイ<ref>もともとは[[アンドリュース・シスターズ]]の1941年のヒット曲。1973年に[[ベット・ミドラー]]がリバイバルヒットさせた。</ref>||20/25||[[布施明]]||
|}
597 ⟶ 595行目:
*曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
*出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
{| class="wikitable"
!初放送
!曲目
!再放送
|-
|1961年(昭和36年)6月 - 7月||[[バルーンのうた]]||2019年(令和元年)4月 - 5月
|-
|1962年(昭和37年)4月||[[花 (瀧廉太郎)|花]]||2021年(令和3年)3月
|-
|1962年(昭和37年)10月 - 11月||[[パパはママが好き]]||2017年(平成29年)10月 - 11月
|-
|1962年(昭和37年)12月 - <br />1963年(昭和38年)1月||[[ずいずいずっころばし]]||rowspan=3 style="background:silver"|(なし)
|-
|1963年(昭和38年)8月 - 9月||[[木曽節]]
|-
|}
*『バルーンのうた』・『花』・『パパはママが好き』の3曲はラジオのみの再放送。
== その他 ==
630 ⟶ 648行目:
{{Reflist
|refs=
<ref name="全史530">{{Harvnb|東宝特撮映画全史|1983|p=530|loc=「怪獣・SF映画俳優名鑑」}}</ref>
<ref name="東宝SF2">{{Cite book|和書|date=1985-01-01<!--奥付表記-->|title= モスラ/モスラ対ゴジラ|publisher=東宝出版事業室|series=東宝SF特撮映画シリーズVOL.2|pages=150-151|chapter=本多猪四郎監督 長編インタビュー(1)|isbn=4-924609-04-8}}</ref>
<ref name="画報118">{{Harvnb|ゴジラ画報|1999|p=118|loc=「Bonus Column 東宝美女軍団6 かわいい!ザ・ピーナッツ」}}</ref>
<ref name="特撮女優58">{{Harvnb|東宝特撮女優大全集|2014|p=58|loc=文・鈴木啓之「ザ・ピーナッツ」}}</ref>
}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|title=東宝特撮映画全史|others=監修 [[田中友幸]]|date=1983-12-10|publisher=[[東宝]]出版事業室|isbn=4-924609-00-5|ref={{SfnRef|東宝特撮映画全史|1983}}}}
* {{Cite book|和書|title=ゴジラ画報 東宝幻想映画半世紀の歩み|edition=第3版|date=1999-12-24|origdate=1993-12-21|publisher=[[竹書房]]|isbn=4-8124-0581-5|ref={{SfnRef|ゴジラ画報|1999}}}}
* [[野地秩嘉]] 『芸能ビジネスを創った男-渡辺プロとその時代』([[新潮社]] [[2006年]])
* {{Cite book|和書|editor=別冊映画秘宝編集部
== 関連項目 ==
* [[1959年の音楽#デビュー]] - 同じ年にデビューした歌手
658 ⟶ 679行目:
== 外部リンク ==
{{commonscat|The Peanuts}}
*{{URL|
*{{URL|jiji.com/jc/d4?p=tpn627&d=d4_psn|https://www.jiji.com/jc/d4?p=tpn627&d=d4_psn|ザ・ピーナッツ 写真特集}}
*{{JMDb name|0008940|ザ・ピーナッツ}} <small>※13、は﹁伊藤リエ﹂の出演作である[[ピンク映画]]で、誤記。</small> |