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[[Image:Orchestra Hall Chicago.JPG|thumb|本拠地の[[シンフォニーセンター|オーケストラ・ホール]]]]
 
'''''' {{lang-en|The '''Chicago Symphony Orchestra'''}} {{lang|en|'''CSO'''}}[[]][[]][[]][[]]
 
== 概要 ==
{{|[[5|en|Big Five (orchestras)}}]]("{{lang|en|Big Five}}")<ref>{{efn|4[[]][[]][[]][[]]<ref>[http://www.scena.org/columns/lebrecht/000705-NL-big.html The Lebrecht Weekly - Bucks stop here -- The Biggest Need Not Be the Best]</ref>}}1[[]]1
 
== 歴史と音楽監督の変遷 ==
=== 初代トーマス、第2代ストック時代 ===
創立は1891年、[[ニューヨーク・フィルハーモニック]]のヴァイオリン奏者の経歴を持つ[[セオドア・トマス]]が設立した。初の演奏会は1891年10月16・17日に行われている。初代音楽監督はセオドア・トマス、最初のオーケストラの名称は「シカゴ管弦楽団」(Chicago(Chicago Orchestra)Orchestra)であった。
 
[[|]][[]]1905退1906[[]]21911[[]]
 
ストックはセオドア・トマスの元で副指揮者を務めていた。またマーラーの作品紹介にも力を入れ、オーケストラの名称も1931年に現在の「シカゴ交響楽団」を名乗るようになった。1941年の創立50周年には[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]の《[[交響曲ハ調 (ストラヴィンスキー)|交響曲ハ調]]》、[[コダーイ・ゾルターン|コダーイ]]の《[[管弦楽のための協奏曲 (コダーイ)|管弦楽のための協奏曲]]》を依嘱し初演している。
 
=== 第3代デフォー、第4代ロジンスキー、第5代クーベリック時代 ===
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4[[]][[|]][[|]]13[[]]CSO
 
19485[[]]CSO[[]][[]]
 
195036[[]]5[[|]][[|]][[|]][[|]][[|]]
 
=== 第6代ライナー時代(第1期黄金時代) ===
1953[[]]6[[]]1[[RCA|RCA]][[|]][[|]][[|]][[|]][[|]]
 
1957年、ライナーは、合唱指揮者として名声を得ていた[[マーガレット・ヒリス]]を招聘して[[シカゴ交響楽団合唱団]]を創設した。ヒリスの指揮する同合唱団は1958年3月13・14日に[[ブルーノ・ワルター]]指揮のモーツァルトのレクイエムによってコンサート・デビューを果たし、さらに同年4月3・4・8日にライナー自身の指揮するヴェルディのレクイエムの演奏に参加した。さらに、1959年3月7日にはライナーの指揮する[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]の[[アレクサンドル・ネフスキー (プロコフィエフ)|アレクサンドル・ネフスキー]]によって最初のレコード録音をおこなうなど、着実に発展した。ヒリスはその後、1994年までの37年間にわたって同合唱団を指導することになる。
1962退1963
 
1962退1963
 
=== 第7代マルティノン時代 ===
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マルティノン辞任からショルティ就任までの1968-69年のシーズンは、副指揮者の[[アーウィン・ホフマン]]が音楽監督代行としてつないだ。
 
=== 第8代ショルティ時代(第2期黄金時代) ===
19698[[]]50[[]][[|]]
 
 1970[[]][[5 ()|5]]197181.5Solti/Chicago
 
 7021[[]]
 
 1977861986901990{{efn|951995032003092009}}
 
=== 第9代バレンボイム時代 ===
GMGM(1991100退[[|]][[|]]9[[]]70DGERATOTELDEC[[|]][[ ()|]]
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=== 第10代ムーティ時代 ===
GM2006[[]]312007-20083020082010101120142009[[]][[]]
2019年の3月に、楽団員の年金制度などを巡って運営側と楽団員が深刻な対立状態となってストライキに突入したが、ムーティはその早い時期から楽団員のピケに参加するなど楽団員を支持する姿勢を取ってきた。そしてコロナ禍でのオーケストラ自体の活動が休止したこともあり、契約を2023年まで延長している。
そして、2022-3年のシーズン終了とともに音楽監督は退任し、終身名誉音楽監督の称号を贈呈された。次のシーズンでは演奏旅行も予定されている。
 
2024年4月、シカゴ交響楽団は次期(第11代)音楽監督を[[クラウス・マケラ]]とすることを公表した。マケラは2027年9月に就任する予定とされている。
 
== 歴代コンサートマスター ==
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== 現在 ==
1904[[|]]2,566[[]](tp)[[]](tp)[[]](trb)[[]](hrn)[[]](hrn)[[]](tb)[[]](trb)[[]](trb)[[]](hrn)[[]](tp)[[ ()|]](tp)[[]](tp)[[]](trb)[[]](tb)
 
現在はステージを半円形にして広げたり、ステージ後方にバルコニー席を設けたりしているが、音響の良化には繋がっていない、と話す楽団員も多い。
近年登場した指揮者は、ピエール・ブーレーズ、[[ジェームズ・レヴァイン]]、[[レナード・スラットキン]]、[[ネーメ・ヤルヴィ]]、[[クリストフ・エッシェンバッハ]]、[[チョン・ミョンフン]]、[[シャルル・デュトワ]]、ベルナルド・ハイティンク、[[エサ=ペッカ・サロネン]]、[[マイケル・ティルソン・トーマス]]、[[クリストフ・フォン・ドホナーニ]]、[[プラシド・ドミンゴ]](歌手ではなく指揮者として)、日本人では[[朝比奈隆]]がブルックナーの《[[交響曲第5番 (ブルックナー)|交響曲第5番]]》《[[交響曲第9番 (ブルックナー)|交響曲第9番]]》、[[井上道義]]がマーラーの《[[交響曲第9番 (マーラー)|交響曲第9番]]》を、[[秋山和慶]]が[[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]]《[[展覧会の絵]]》を指揮している。
 
特に指揮台あたりでは後列からのサウンドがあまり響かないため、その反面として強力なブラス・セクションが継承されてきた。そのメンバーは[[アドルフ・ハーセス]](tp)を始め、[[ヴィンセント・チコヴィッツ]](tp)、[[エドワード・クラインハマー]](バスtrb)、[[フィリップ・ファーカス]](hrn)や[[フランク・ブロウク]](hrn)、[[アーノルド・ジェイコブス]](tb)のような金管の名奏者が揃い、さらには[[ジェイ・フリードマン]](trb)、[[グレン・ダドソン]](trb)、[[デール・クレヴェンジャー]](hrn)、[[チャールズ・ガイヤー]](tp)、[[フィリップ・スミス (音楽家)|フィリップ・スミス]](tp)、[[ジョージ・ヴォスバーグ]](tp)、[[チャールズ・ヴァーノン]](バスtrb)、[[ジーン・ポコーニ]](tb)らが次々と加わってきた。
== 参考文献 ==
*『名門オーケストラを聴く! CDでたどるその栄光の歴史と名盤』(音楽之友社、1999年)
 
首席トランペットは2001年にハーセスが引退した後、弟子で元4番トランペットからサンフランシスコ響の副首席に移って間もないクレイグ・モリスが採用されたが、試用期間満了前に退団となった。2005年から元フィラデルフィア管の副首席でアトランタ響の首席クリス・マーチンが就任したが、2017年からニューヨークフィルの首席に移って以降、多くの客演首席がトライアルを兼ねて演奏に加わった。そして2019年の来日公演で客演首席を務めたエステバン・バタヤンが首席となった。
==脚注==
 
ホルンは2013年に首席クレヴェンジャーの引退以来、副首席のダニエル・ギングリッチが代理を務め、2019年に、ダラス響からベルリン・フィル首席になったデビッド・クーパーが首席として採用された。しかしクーパーの契約は2023年シーズン以降、延長しないことになり(契約打ち切りはクーパー本人の希望ではない)、彼はロスフィルに移籍した<ref>{{Cite web |title=David Cooper |url=https://www.laphil.com/musicdb/artists/9194/david-cooper |website=LA Phil |access-date=2024-04-19 |language=en}}</ref>。
ギングリッチは1975年の入団以降の活躍、そしてクレベンジャーの後任を務めた功績をムーティが認めて、私的ではあるが名誉首席の称号を定期公演の中でサプライズ授与した。2024年現在はマーク・アーモンド(元サンフランシスコ交響楽団准首席奏者)が首席を務めている。アーモンドは[[インペリアル・カレッジ・ロンドン]]でウィルス学の博士号を取得した呼吸器内科医(病院勤務経験あり)でもある<ref>{{Cite web |title=Mark Almond {{!}} Chicago Symphony Orchestra |url=https://cso.org/about/performers/cso-musicians/brass/horn/mark-almond/ |website=Experience the Chicago Symphony Orchestra |access-date=2024-04-19 |language=en-us}}</ref>。
 
[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[5 ()|5]][[9 ()|9]][[]][[9 ()|9]][[]][[2018|]][[]]
 
日本人では[[朝比奈隆]]がブルックナーの《[[交響曲第5番 (ブルックナー)|交響曲第5番]]》《[[交響曲第9番 (ブルックナー)|交響曲第9番]]》、[[井上道義]]がマーラーの《[[交響曲第9番 (マーラー)|交響曲第9番]]》を、[[秋山和慶]]が[[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]]《[[展覧会の絵]]》を指揮している。
2023-24年のシーズンには久石譲と、山田和樹が客演する。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references />
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2019年9月|section=1}}
*『名門オーケストラを聴く! CDでたどるその栄光の歴史と名盤』(音楽之友社、1999年)
 
== 外部リンク ==
* [http://www.cso.org/ Chicago Symphony Orchestra(英語版)Orchestra] {{en icon}}
* [http://www.kajimotomusic.com/artist_jap/cso_2009.html 招聘事務所によるプロフィール]
 
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[[Category:アメリカ合衆国のオーケストラ]]
[[Category:シカゴの組織]]
[[Category:シカゴの文化音楽]]
[[Category:1891年設立の組織]]
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