シンボリクリスエス
アメリカ産の日本の競走馬
シンボリクリスエス | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1999年1月21日 |
父 | Kris S. |
母 | Tee Kay |
生国 |
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生産者 | タカヒロ ワダ |
馬主 | シンボリ牧場 |
調教師 | 藤沢和雄(美浦) |
競走成績 | |
生涯成績 | 15戦8勝 |
獲得賞金 | 9億8472万4000円 |
デビュー以前
導入の経緯
本馬はアメリカ合衆国ケンタッキー州のミル・リッジ・ファームで1月21日に生まれた。本馬の母ティーケイ︵Tee Kay︶は米G3の勝ち馬だが、血統的にそれほど特筆すべきところはなく、母系を辿っても活躍馬は殆ど出ていなかったため売りに出されたところを、和田孝弘によって約30万ドルで購入され、アメリカのミル・リッジ・ファームに預けられていた。本馬はその2番仔にあたる。なお、生産者がタカヒロ ワダとなっているは、和田孝弘が本馬の母の所有者であったためである。欧米では生産者は日本のように生まれた牧場の名前とは限らず、繁殖牝馬の持ち主をさすことも多い。ちなみにノボトゥルーも本馬と同じ牧場で生産されている。
和田は、サンデーサイレンスに変わる新たな種馬を見据えた形でこの馬を生産したと語っている[1]。
馬名
競走馬時代
2-3歳時
シンボリクリスエスは、2001年10月13日に東京競馬場の芝1600mの新馬戦でデビュー。4番人気ではあったが、見事勝利を飾る。
明けて2002年、セントポーリア賞、ゆりかもめ賞、500万下条件戦と惜敗が続くが、山吹賞で2勝目を挙げると、青葉賞では武豊を背に優勝。前年から外国産馬の出走が可能となった東京優駿︵日本ダービー︶へ駒を進めた。武豊がタニノギムレットを選んだため岡部幸雄が騎乗した東京優駿︵日本ダービー︶では最後の直線で先頭集団に取り付いたが、馬場の真ん中外目から追い込んできたタニノギムレットに差されて2着に敗れた。
休養をはさんで迎えた秋競馬、初戦の神戸新聞杯では皐月賞優勝馬ノーリーズンを寄せ付けずに優勝。その後菊花賞へは向かわず、東京競馬場改修工事のために中山2000メートルでの変則開催となった天皇賞︵秋︶に出走した。3番人気に支持され、ナリタトップロードやテイエムオーシャンなどの古馬たちを相手に優勝した。この勝利は鞍上岡部幸雄の史上最年長のGI勝利となり、結果的にこれが最後のGI勝利となった。また先輩のシンボリルドルフが秋の天皇賞をこぼしているために︵2着︶、ルドルフの無念を晴らしたという見方をしているファンもいる。
続く中山の2200メートルでの変則開催となったジャパンカップではペリエに乗り替わり、1番人気に推された。レースでは日本馬では最先着だったが、9番人気のファルブラヴと11番人気のサラファンといった人気薄の海外古馬勢にハナ・クビの3着に敗れた。馬連1-8は25,600円、馬単1-8は45,850円、三連複1-7-8は35,730円の大荒れとなった。この時は調教師の藤沢によると、馬が全く気合いが乗ってなかったといい、天皇賞に勝ったことで人馬ともに浮かれてしまっていたと語り、人気薄の2頭に足元をすくわれた格好になった。
有馬記念では、単勝人気は無敗で秋華賞・エリザベス女王杯を制した3歳牝馬のファインモーションに次ぐ2番人気に甘んじたが、レースでは直線逃げ粘るタップダンスシチーを鋭い差し脚で強襲し、ゴール寸前で交わして勝利した。タップダンスシチーが13番人気であったため、馬連1-8は14,830円、馬単1-8は20,630、三連複は40,570円の万馬券と、ジャパンカップに引き続き馬連・馬単・三連複共に万馬券となった。
2002年のJRA賞︵年度代表馬・最優秀3歳牡馬︶に選出される。
4歳時
当初は3歳限りで引退し種牡馬ということも考えたが、流石にもったいないということで2003年も現役続行。前年の疲労や距離適性を考え、天皇賞︵春︶は回避。前年の有馬記念からぶっつけで宝塚記念に出走した。1番人気に支持され、レースでは直線早めに先頭に立つも伸びを欠き同期の菊花賞馬ヒシミラクルの5着に敗れた。その後は秋に備えて休養に入った。
再び休み明け初戦で迎えた天皇賞︵秋︶ではペリエ騎乗で臨み、東京2000メートルでは不利だとされる大外枠ながら、見事1番人気で史上初の連覇を達成した[2]。
次走のジャパンカップでは、単勝1.9倍で1番人気に推された。レースは不良馬場の中、タップダンスシチーに逃げ切られ、2着ザッツザプレンティにも届かず、前年に引き続き1番人気で3着という結果に終わる。
その後、引退レースの有馬記念に向けて調教が行われたが、藤沢師には珍しくいつもよりかなり強めの調教を行う。そして迎えた本番は1番人気に支持された。レースは100mからゴールまでの1ハロン毎のタイムで12.4秒が最も遅いというハイペースになり、2着のリンカーンに有馬記念史上最大の9馬身差をつけ、ダイユウサクが1991年にマークしたレコードをコンマ1秒破る快走で、スピードシンボリ、シンボリルドルフ、グラスワンダーに次ぐ史上4頭目の有馬記念連覇を飾り有終の美を飾った。同日最終レースの終了後、中山競馬場にて引退式が行われた。
2003年のJRA賞では年度代表馬と最優秀4歳以上牡馬に選出された。2年連続の年度代表馬は啓衆社賞・優駿賞時代を含めるとシンボリ軍団の先輩であるシンボリルドルフ以来4頭目の栄誉であった。
競走成績
年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | 騎手 | 斤量 | 距離(馬場) | タイム (上り3F) |
着差 | 勝ち馬/(2着馬) | ||
2001 | 10. | 13 | 東京 | 2歳新馬 | 9 | 1 | 1 | 6.5(4人) | 1着 | 岡部幸雄 | 53 | 芝1600m(良) | 1:36.5(34.9) | -0.1 | (アサクサキニナル) | |
2002 | 1. | 27 | 東京 | セントポーリア賞 | 14 | 8 | 14 | 3.6(2人) | 2着 | 横山典弘 | 55 | 芝1800m(不) | 1:53.3(36.5) | 0.1 | タイムレスワールド | |
2. | 9 | 東京 | ゆりかもめ賞 | 16 | 8 | 16 | 1.7(1人) | 3着 | 横山典弘 | 55 | 芝2400m(良) | 2:30.8(34.7) | 0.2 | トウカイアロー | ||
3. | 10 | 中山 | 3歳500万下 | 16 | 5 | 9 | 1.8(1人) | 3着 | 岡部幸雄 | 55 | 芝1800m(良) | 1:48.0(34.2) | 0.6 | マイネルリバティー | ||
4. | 6 | 中山 | 山吹賞 | 16 | 8 | 15 | 2.8(2人) | 1着 | 岡部幸雄 | 55 | 芝2200m(良) | 2:14.3(34.7) | -0.3 | (マイネルアムンゼン) | ||
4. | 27 | 東京 | 青葉賞 | GII | 18 | 2 | 3 | 2.2(1人) | 1着 | 武豊 | 56 | 芝2400m(良) | 2:26.4(34.1) | -0.4 | (バンブーユベントス) | |
5. | 26 | 東京 | 東京優駿 | GI | 18 | 6 | 11 | 6.2(3人) | 2着 | 岡部幸雄 | 57 | 芝2400m(良) | 2:26.4(35.2) | 0.2 | タニノギムレット | |
9. | 22 | 阪神 | 神戸新聞杯 | GII | 16 | 5 | 9 | 2.1(1人) | 1着 | 岡部幸雄 | 56 | 芝2000m(良) | 1:59.1(35.1) | -0.4 | (ノーリーズン) | |
10. | 27 | 中山 | 天皇賞(秋) | GI | 18 | 4 | 8 | 6.5(3人) | 1着 | 岡部幸雄 | 56 | 芝2000m(良) | 1:58.5(34.4) | -0.1 | (ナリタトップロード) | |
11. | 24 | 中山 | ジャパンカップ | GI | 16 | 4 | 7 | 3.4(1人) | 3着 | O.ペリエ | 55 | 芝2200m(良) | 2:12.3(35.7) | 0.1 | ファルブラヴ | |
12. | 22 | 中山 | 有馬記念 | GI | 14 | 1 | 1 | 3.7(2人) | 1着 | O.ペリエ | 55 | 芝2500m(稍) | 2:32.6(34.6) | -0.1 | (タップダンスシチー) | |
2003 | 6. | 29 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 17 | 3 | 5 | 2.1(1人) | 5着 | K.デザーモ | 58 | 芝2200m(良) | 2:12.3(37.0) | 0.3 | ヒシミラクル |
11. | 2 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 18 | 8 | 18 | 2.7(1人) | 1着 | O.ペリエ | 58 | 芝2000m(良) | R1:58.0(33.6) | -0.2 | (ツルマルボーイ) | |
11. | 24 | 東京 | ジャパンカップ | GI | 18 | 3 | 5 | 1.9(1人) | 3着 | O.ペリエ | 57 | 芝2400m(重) | 2:30.3(37.1) | 1.6 | タップダンスシチー | |
12. | 28 | 中山 | 有馬記念 | GI | 12 | 8 | 12 | 2.6(1人) | 1着 | O.ペリエ | 57 | 芝2500m(良) | R2:30.5(35.3) | -1.5 | (リンカーン) |
※タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
特徴
軽快なスピードと、一瞬の切れ味をいかして一気に差し切る末脚が身上で、ハイペースでの中長距離線を得意とした。
そのため、これらの特性がいかせる高速馬場では数々の実績を上げているが、重馬場は苦手で良績を残せていない。
エピソード
●ペリエ曰く堂々として気高い馬だそうである。レース前に担当ではない者がシンボリクリスエスを連れて行こうとしたところ噛み付いたという。これは連れて行こうとしたものが同馬を馬だということで見下した扱いをしたためだとペリエは言っている。その後担当者が連れて行こうとしたところ今度は素直になったという。
●青葉賞優勝後、調教師の藤沢はこの馬にダービー制覇を期待していたが、青葉賞で騎乗した武は藤沢に﹁この馬秋になったら強くなりますよ﹂と語ったという。それを聞いた藤沢は﹁秋かよ﹂と内心思っていたそうである。そして、実際に迎えたダービーでは、シンボリクリスエスは武豊騎乗のタニノギムレットに差し切られている。
引退後
種牡馬としての初供用は2004年で、初年度産駒は2007年にデビューした。血統内には日本の馬にはあまり配合されていない種牡馬が比較的多く、またノーザンダンサー、ミスタープロスペクターの血が入っていないため、配合しやすいのが種牡馬としての強みである。サンデーサイレンスの肌馬との交配も、Hail to Reasonの(4×7)×4が発生するもののそれほど濃いインブリードではないため、比較的無理のない範囲で配合可能である。
2005年に誕生した産駒は見栄えの良い馬も多く、セレクトセールの初日にマストビーラヴドの2005[3]が同年の最高価格となる2億1000万円で落札され、大きな話題を呼んだ。
2007年の種牡馬デビュー後、産駒がなかなか勝てなかったが、8月11日に産駒のギンザフローラルが勝利し、シンボリクリスエス産駒初勝利をあげた。最終的には18頭の勝ち上がりで18勝という成績で2007年度のリーディングフレッシュサイアーを獲得したが、配合された牝馬のレベルを考えると、2勝馬が出なかった成績には疑問も投げかけられている[4]。しかし年が明けた2008年には2勝目、3勝目をあげる産駒も出始め、ダンツキッスイがアーリントンカップを制し、産駒の重賞初制覇を記録している。
主な産駒
血統表
シンボリクリスエスの血統(ロベルト系/Royal Charger 5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 Kris S. 1977 黒鹿毛 アメリカ |
父の父 Roberto 1969鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Bramalea | Nashua | |||
Rarelea | ||||
父の母 Sharp Queen 1965鹿毛 アメリカ |
Princequillo | Prince Rose | ||
Cosquilla | ||||
Bridgework | Occupy | |||
Feale Bridge | ||||
母 Tee Kay 1991 黒鹿毛 アメリカ |
Gold Meridian 1982 黒鹿毛 アメリカ |
Seattle Slew | Bold Reasoning | |
My Charmer | ||||
Queen Louie | Crimson Satan | |||
Reagent | ||||
母の母 Tri Argo 1982黒鹿毛 アメリカ |
Tri Jet | Jester | ||
Haze | ||||
Hail Proudly | Francis S. | |||
Spanglet F-No.8-h |
外部リンク
- 生産牧場のミル・リッジ・ファーム。シンボリの勝負服もトップページに乗っている
- 最強の輝きは今も シンボリクリスエス
注
(一)^ ポニーキャニオン﹃シンボリクリスエス 歴史を紡いだ勇者﹄
(二)^ ﹁いくら大外不利だからと言ったって、人気馬はルドルフとユタカオーだけ、気にしていない﹂と言うほど陣営には自信があった。
(三)^ ラインクラフトの半弟。ダノンマスターズで登録されている。父と同じ藤沢和雄厩舎に預託され、2008年3月に8戦目で初勝利をあげた。
(四)^ ﹁藤井正弘の血統トピック﹂の2008年1月8日付けの記事、﹁オープン馬不在の2歳新種牡馬王者﹂によると、OP馬不在の2歳新種牡馬チャンプは﹁過去に例がない﹂とのこと。
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