「チェルノブイリ原子力発電所事故」の版間の差分
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制御棒をほとんど引き抜いていた状態から、実験に適したさらに低い出力にするために、今度はいくつかの制御棒が挿入された。しかし炉の出力は、局所制御系から平均制御系への運転モード切り替え操作時に目標値計算を忘れるというオペミス︵日本の国会答弁によれば、出力10%以下でしか切り替えを行わない規則があったという<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/109/0375/10909010375004c.html 第109回国会 科学技術委員会 第4号 昭和六十二年九月一日]</ref>︶により予定外の30MWまで低下した<ref group="注釈">黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉 (RBMK) では、通常運転している炉内では十分な中性子が発生しているため、[[キセノン135]]は中性子を吸収して、中性子を吸収しない核種キセノン136︵安定核︶に変化する。しかし出力を下げると中性子発生が減るためキセノン135が消滅せず蓄積して中性子捕獲率が上昇しすぎ、出力をより引き下げる方向に働くがこれを正の反応度フィードバックと言い、運転出力を不安定にする原因である。詳しくは[[キセノンオーバーライド]]の項目を参照されたい。軽水炉でもキセノン135は発生するが、[[ボイド効果]]、[[ドップラー効果]]により補償されるので全体としては全領域で安定である。こちらについては[[自己制御性]]の項目を参照されたい。</ref>。 この30MWという出力レベルは安全規則が許す限界に近かったにもかかわらず、原子炉を停止せずに実験を強行すること、しかも下がりすぎた出力を補うために本来の実験手順・要項の一部を省略した上に、予定出力の半分以下である200MWで実験を行うことを現場指揮者のディアトロフが独断で決めた。﹁チェルノブイリの災害﹂によると、操作員で事故当時のシフト班長であった{{仮リンク|アレクサン 実験の予備段階として、4月26日1時05分にタービン発電機によって動かされる冷却水ポンプが起動されたが、14分後の1時19分にはこれによって生成された水流が安全規則によって指定された流量を超えてしまう。水は中性子を吸収する減速材ゆえに増えすぎると︵ボイド=泡が減ると︶炉の出力を下げる働きをするので、出力を確保するためにさらに炉から手動で制御棒を引き抜かなければならなくなった︵爆発直前の制御棒本数は計6本にまで減らされていた︶。この際に再試験優先のため、万一のタービン停止時の炉心運転自動停止装置の回路をバイパスして無効化した。 306行目:
冷却材が温められるにつれて、冷却材配管中にボイドが増えて大きくなり始めた。チェルノブイリのRBMK黒鉛減速炉は設計上、大きな正のボイド係数を持っているが、それは減速材による中性子捕獲効果が万一減ると同時に原子炉出力は急速に増加し︵減速材が減りすぎても逆に中性子は方々へ飛散してしまい核反応しにくくなる︶、運転がより不安定で危険になることを意味する。さらにこの原子炉においては、制御棒の先に黒鉛ディスプレーサーという核反応促進装置︵減速材の一種︶が取り付けられており、これが挿入される間は反応が加速され、これが抜かれて水が浸入すると反応が抑制されるという、急激な変化をもたらす構造となっており、その上下寸法はコスト削減のために核燃料棒のリーチよりやや短くされていた<ref>[http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=02-07-04-11 チェルノブイリ原子力発電所事故の概要]</ref><ref name="8nen">[http://www.youtube.com/watch?v=6_Ii_SGZF6k& NHK ETV特集﹃チェルノブイリ 8年目の真実﹄]</ref>。 1時23分40秒に操作員のアキーモフは﹁[[原子炉スクラム|スクラム]]﹂︵軽率にも引き抜かれていた手動制御棒を含むすべての制御棒の全挿入︶を命令する﹁事故防衛﹂ボタンを押した。それが緊急処置として行われたのか、あるいはただ実験の一部として原子炉停止の型通りの方法︵4号炉は通例通りの保守のために停止が予定されていた︶として行われたのかは不明であるが、その予期しない速い出力増加を止めるための緊急対応として命じられたものだと一般には考えられている<ref name="チェルノブイリ事故の経過 今中 哲二"/>。﹁チェルノブイリの災害﹂では今中の説に近い展開が描かれており、原子炉の直上で作業を行っていた炉心セクション部長の[[:en:Individual involvement in the Chernobyl disaster#Victims and other on-site persons|ヴァレリー・ペレヴォチェンコ]]が、鋼鉄製で1個350kgある燃料チャンネルの蓋が異常高圧で次々に跳ね上がるという、前代未聞の光景を目の当たりにして運転室に駆け込み、アキモフ達操作員に原子炉が爆発しかかっている事実を伝えた事により、﹁スクラム﹂の操作を行ったとしている{{R|Zero}}。他方、ディアトロフ副技師長は、自身の著書 [http://rrc2.narod.ru/book/gl4.html] で次のように述べている: {{quote|01‥23‥40より前には、中央制御システムは……スクラムを正当化するようなパラメータ変動を記録していなかった。委員会……が大量の資料を集め分析したが、その報告で述べられた通り、なぜそのスクラムが指示されたかの理由は特定できなかった。その理由を探す必要などなかった。その原子炉はただ実験の一部として停止されたのだから。}} 制御棒挿入機構のスピードの遅さ︵完了までに18 - 20秒︶、<!--制御棒の先端に存在する空洞、そしてその空洞と冷却材が一時的に置き換わること、︵該当する文献を発見できず、コメントアウト︶-->黒鉛ディスプレーサーが通過することでの一時的な反応促進作用︵ポジティブ・スクラムと呼ばれた︶、減速材である冷却水が減少し配管内部がボイドおよび蒸気で満たされる、などによってこのスクラム操作はむしろ核反応を劇的に増やす結果になり、炉心内圧上昇は制御棒装置周辺設備の大規模な変形をもたらし操作不能となり、原子炉の反応を止める術を失った。なお黒鉛ディスプレーサーの事故発生寄与度については国際会議でも諸説分かれている<ref name="genin">[http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=02-07-04-13 4.1 事故の原因の一つにポジティブ・スクラム]</ref>。 1時23分47秒までに、原子炉出力は定格熱出力の10倍であるおよそ30GW︵東京電力管内のピーク時総発電量の半分に相当︶まで跳ね上がった。燃料棒は融けて飛び散り、構造上から核燃料が冷却水管の中にあるため瞬時に2000℃近い溶融燃料が冷却水と接触し、あたかも油をひいて熱したフライパンに水を投入した時のように、水は全て一瞬で蒸気化し容積が急膨張し[[水蒸気爆発]]を起こした<ref>広島型原爆の500発分という試算がある︵日本経済新聞 2011年5月8日朝刊15面 青木慎一編集委員﹁ナゾかがく チェルノブイリはなぜ大爆発?﹂︶</ref>。一説では爆発は2度あり、ソ連の事故報告書によればこの2度目の爆発は、燃料棒被覆や原子炉の構造材に使用されていた[[ジルカロイ]]と水が高温で反応したことによって発生した[[水素]]による水素爆発である。これに対し京都大学の今中哲二は、冷却水を喪失した事によって反応度が増大し、即発臨界で大量のエネルギーが放出されたことによる爆発であると解釈した︵即発臨界を﹁一種の核爆発﹂と表現しているが、これは核爆弾の爆発とは意味が異なる。核爆発をどう定義するかの言葉上の問題︶<ref>[http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/GN/GN0207F.pdf ﹁技術と人間﹂2002年7月号原稿]</ref>。この爆発による爆風が原子炉容器の500トンの天蓋を吹っ飛ばして斜めにしたため隙間が開いて炉心は大気開放状態となり︵この時はまだ爆発とわからず必死で制御棒を操作していたという︶、建屋の屋根にも穴が開いた。近隣の者による証言では発電所から赤く光る物体が次々と宙に舞い上がり、花火を見ているようだったという。吹き出す様は火山噴火のようで、一瞬の揺れは地震かと思った、との原子炉タービン建屋の作業員の証言もある。﹁チェルノブイリの災害﹂では、タービン建屋作業員の数少ない生き残りである[[:en:Individual involvement in the Chernobyl disaster#Alexander Yuvchenko|アレ |author = Adam Higginbotham
|url = http://www.guardian.co.uk/world/2006/mar/26/nuclear.russia
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}}</ref>{{R|Zero}}。
炉心大型化と、経費削減と、納期最優先の突貫工事<ref group="注釈">結局、この教訓は世界的に生かされなかった。福島第一原子力発電所も、似たような経緯︵[[関西電力]][[美浜原子力発電所]]よりも先に臨界・発電を開始したがっていた︶の為、地震国日本の特性を無視したGE側の要求に東電側が折れて現立地に建設してしまったものだったが、東京電力は国内外からの指摘に対しても安全と言い張り、[[3月11日|事故のその日]]まで運転を続けてしまった。</ref> のために、4号炉は部分的な封じ込めだけで建設されていた︵[[RBMK-1000]]と[[チェルノブイリ原子力発電所]]も参照︶。核兵器用のプルトニウム抽出原子炉の設計を転用した原子炉であることも一因であった。これも一因となり、蒸気爆発が一次圧力容器を破裂させ天蓋を吹っ飛ばした後、急速に流れ込んだ酸素と高温の核燃料が合わさって黒鉛減速材が火災を起こしたため、これが上空6000mもの気流に乗って世界各地へ飛散し、広範囲の汚染、および原発周辺地域の高汚染の要因になった。 ==== 論争 ====
目撃証言と発電所の記録の間に矛盾があるために、現地時間1時22分30秒の後に起こった事態の正確なつながりについては今{{いつ|date=2013年3月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->も解釈が分かれている。
最も広く合意されている説明は上で記述した通りである<ref group="注釈">ただし、IAEAのシナリオによる助言との説もある。</ref> が、この理論によれば、最初の爆発は操作員のアキーモフが﹁スクラム﹂を命令した7秒後のおよそ1時23分47秒に起きたことになる。しかし、爆発がそのスクラムの前、あるいはすぐ直後に起きたと時々主張される︵これはソビエト委員会の事故調査の作業途中での説明であった︶。 この違いは重大である。なぜなら、もし原子炉がスクラムの数秒後に超臨界になったなら<ref group="注釈">原文では臨界と書いてあるが文意が通らないので超臨界とした</ref> 事故原因は制御棒の設計にあると見なされるのに対して、爆発がスクラムと同時に起こったのならば、責任は指揮者にあったことになるからである。 331行目:
これについては、ソ連の原発の建設および運用体制に問題の一因があったといわれている。原発の設計と建設は中規模機械製作省が担当し、原発の運用は電力電化省が担い、それぞれが縦割りによって意思疎通がおろそかであったことと、前述の通り軍事用原子炉の設計を転用した民生用原子炉であるため前者は軍事機密秘匿を最重要視しており他省にあまり情報を教えたがらなかったため、たとえば制御棒を全部抜かないようになどとする運用安全規則は用意するものの﹁なぜそうするのか﹂といった技術的レクチャーは一切しなかったため、実際の運転業務を担う後者側はあまりに技術的知識がなかったというものである。実際、事故直後は両省の間で責任の押し付け合いがあったといい、結局は原子炉の欠陥設計を認めることでの経済的損失を鑑みて電力電化省側が折れたという{{R|8nen}}。 1時23分39秒に揺れ︵[[マグニチュード]]-2.5の地震に相当する規模︶がチェルノブイリ周辺で記録されていた。この振動は4号炉の爆発︵2回発生<ref group="注釈">一度目の地震動についてはソ連の複数の震度計に記録されているが、二度目は記録されていない。その理由は、外部リンク‥﹁チェルノブイリ原発 隠されていた事実﹂参照</ref>︶によって起きたのか、あるいは全くの偶然の一致かもしれない。原子炉の致命的な破壊はこの地震によって引き起こされたとされる説も存在する<ref group="注釈">ヨーロッパではイタリアを除いて地震の発生がほとんどなく、操作員も、深夜で就寝していた住民も、未経験の﹁地震により縦揺れ﹂を理解できなかった。原発直下、特に爆発を起こした4号炉の数百メートル下層には活断層があることが確認されている︵外部リンク‥﹁チェルノブイリ原発 隠されていた事実﹂参照︶が、耐震設計は全く行われていなかった。</ref>。その状況は﹁スクラム﹂ボタンが一度ならず押されたという事実によって複雑になっているが、実際にスクラムボタンを押した人物︵アキーモフとトゥプトノフ︶は[[放射線障害]]により事故の2週間後に死亡しているため、真相は不明である。ただこうした地震原因説については4号炉以外は無事である点などの疑問点が存在する。 === 事故発生直後の対応 ===
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