テウォ県
テウォ県(テウォけん)は中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州に位置する県。
中華人民共和国 甘粛省 迭部県 | |
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簡体字 | 迭部 |
繁体字 | 迭部 |
拼音 | Diébù |
チベット語 | ཐེ་བོ་རྫོང་ |
ワイリー方式 | The bo |
蔵文拼音 | Tewo |
国家 | ![]() |
省 | 甘粛 |
自治州 | 甘南蔵族自治州 |
行政級別 | 県 |
面積 | |
総面積 | 5,108 km² |
人口 | |
総人口(2004) | 5.64 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0941 |
郵便番号 | 747400 |
行政区画代碼 | 623024 |
地理
編集歴史
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テウォはチベット語で親指を意味する。仙人涅甘達娃がここを通ったとき、親指で山中に一本の道を開いたことに由来する。
沓中という漢称は蜀の大将姜維が宦官黄皓との政治的争いを避けてここに駐屯し開墾した時代のものである。
ここは紅軍の長征が甘粛で最初に入った県である。1935年8月9日紅一方面軍は草地を経て俄界︵現在の高吉村︶に到達、中共は俄界会議を招集した。毛沢東はこの会で﹃関於與四方面軍領導的争論及今後的戦略方針﹄を作り、﹃関於張国燾同志的錯誤決定﹄を作出、﹃為北上抗日同志書﹄を出し、陝西・甘粛の割拠方針を決定した。9月14日に紅軍は旺蔵郷達茨日那村旺蔵寺に達し、毛沢東はここで臘子口戦役を指揮した。
テウォ俄界会議会址、達茨日那村毛沢東故居などは紅色旅遊︵革命聖地などを訪ねる観光︶の目的地である。
行政区画
編集5鎮、6郷を管轄: