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=== イギリス ===
[[File:Winston Churchill As Prime Minister 1940-1945 H2646A.jpg|left|200px|thumb|ドラムマガジン付トミーガンを
1921年6月30日、ヨーロッパ各国を巡りトミーガンの売り込みを行っていたトンプソンは、M1921のテストを行うためイギリスの[[ロイヤル・スモール・アームズ・ファクトリー|エンフィールド造兵廠]]に招かれた。この時のテストは概ね成功を収めたものの、イギリス側の担当者は精度と信頼性に懸念を示し、ブリッシュ・ロック方式が銃の構造を不必要に複雑化していると報告した。特徴的なドラム型弾倉についても有用性が疑問視され、同じ弾数を持ち運ぶとしても20発箱型弾倉を複数携行した方が軽量であるとした。また、第一次世界大戦の終戦から間もない時代において、平時に購入するには比較的高価であったこと、あらゆる銃器について高い射撃精度を重視するイギリス陸軍の伝統に反すること、自動銃の採用によって弾薬の購入費用が増すおそれがあることなどを理由に制式採用は見送られた<ref name="AF_Thom_02">{{Cite web |author= |date=2011-02-23 |url= http://www.americanrifleman.org/articles/2011/2/23/the-tommys-thompson/ |title= The "Tommy's" Thompson |work= [[:en:American Rifleman|American Rifleman]]|publisher=[[全米ライフル協会|NRA]] |accessdate=2015-08-03}}</ref>。 |