削除された内容 追加された内容
漱石との関係
ホレーショの哲学について
 
(3人の利用者による、間の12版が非表示)
1行目:
宮武外骨に藤村操の「巖頭之感」の強烈なパロディがありますが、そろそろ著作権が切れる頃なので載せたいところですね。--[[利用者:Charon|Charon]] 2005年6月2日 (木) 12:17 (UTC)
 
   
:※嬋娟(せんけん)たる⇒容姿の美しいさま。 ※外骨は菊池松子説をほのめかしているらしい。 『日本の百年』第3巻p341再引用
 --[[利用者:Chuta|忠太]]([[利用者‐会話:Chuta|会話]]) 2018年7月10日 (火) 14:46 (UTC)
 
== なぜ藤村がこれほど持ち上げられるのか? ==
9 ⟶ 13行目:
:「エリートの思惑」や「特権意識」を持ち出す必要はないのでは? --[[利用者:Chuta|忠太]] 2011年1月7日 (金) 14:38 (UTC)
 
==漱石への影響==
<strike>367 --[[:Chuta|]] 201117 () 14:38 (UTC) </strike>    --[[:Chuta|]][[:Chuta|]] 2018321 () 06:49 (UTC)
 
==藤山一郎==
[[]] - [[]] --[[:Chuta|]][[:Chuta|]] 20131031 () 14:03 (UTC)
 
== 藤村の行動は不可能なのではないか? ==
 
 78km 22 3 km
 
さらに、明治の旧道には、毒をもつ蛇や多種多様な虫が生息しています。(私は日光市に住んでいた事があり、その恐ろしさを、身をもって経験しています。)それらの苦難を乗り越えても、滝壺の真上に立つ為には、水源(中禅寺湖)を反時計回りに一周(25.5km)歩かねばなりません。
 
現在(2017年)の登山者は、トレッキング・ウェアーとシューズ、3M Ultrathon、GPS、スマートフォンに加え、明智平へ登る為のピッケルやザイルなどの先進的な器具を装備しています。
 
藤村が「制服制帽」だけで登頂した…という記述は、間違いなく誤りです。
もし。反論をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非とも再現実験を行ってください。
--[[:|sakimotoruri]][[:|]] 20171125 () 21:16 (UTC)
:(節の位置がおかしかったので修正しました)独自研究の開陳はおやめ下さい。--[[利用者:霧星小根|霧星小根]]([[利用者‐会話:霧星小根|会話]]) 2017年11月29日 (水) 13:54 (UTC)
 
==ホレーショの哲学について==
<strike>藤村がハムレットを原文で読んだのかどうか定かでありませんが…。</strike>当時「名言集」みたいなお手軽な本が出ており、これがネタ本ではないか、という説を読んだことがあります。ネタ本についてもちらっと見た記憶があるのですが、メモも取っておらず不明となってしまいました。ご存知の方、ご教示をお願いいたします。
 --[[利用者:Chuta|忠太]]([[利用者‐会話:Chuta|会話]]) 2018年7月10日 (火) 13:56 (UTC)
:もう1点、本文に「当時は精度の高い翻訳書は高価であった」とありますが、そのような訳書が存在したのでありましょうか…? --[[利用者:Chuta|忠太]]([[利用者‐会話:Chuta|会話]]) 2018年7月10日 (火) 15:06 (UTC)
:(自己レス)ネタ本について記述しているブログがありました。[[礫川全次]]氏のブログ(2014.12.8)[https://blog.goo.ne.jp/514303/e/766a51bea42d1e6bd9c32b75f8dd5bf1]です。
:[[黒岩涙香]]の『天人論』(藤村が投身する直前の刊行:奥付は5月14日付)のP28に名言の引用で「ホレーショよ、天地には汝が哲学にて夢想し得ざる所の者あり 砂翁のハムレツト」[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/899493/18]とあります。 --[[利用者:Chuta|忠太]]([[利用者‐会話:Chuta|会話]]) 2019年1月29日 (火) 14:16 (UTC)
 
*「ホレーショの哲学」について、(1)藤村がハムレットを原文で読み、誤訳した。(2)誤訳(涙香?)の受け売り。(3)ホラティウスのこと。の3つの説があることになる。
: --[[:Chuta|]][[:Chuta|]] 2019217 () 14:29 (UTC)
 
;メモ
*藤村はハムレットを原文で読んでいたとのこと。(土方、p36) ※どの程度理解できたかはともかく、読んでいると手紙に書いている。
*徳冨蘆花『想出の記』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/885690/129]に「ホラシオ、天地のことは卿(ルビ:おんみ)<あなたの意味>が理学に説き尽されぬ事もあるものぞ」とある。(土方、p164)
*小田島雄志によれば(略)「その誤訳をした最初の日本人は、おそらく、藤村操である」という
:⇒蘆花や涙香(前掲)の方が先行している訳だから誤りである。
*藤村の学力については、基本的なレベルにおける英文読解力が欠如していた
:⇒出典とされる柴田耕太郎『英文翻訳テクニック』には、そのような記述はない。(藤村への言及はp53-54)
*[[逸身喜一郎]](略)「未来に思い悩まされることなく、一日一日を楽しめ」というホラティウスの[[快楽主義]]を批判していることになる。
:逸身はそのようなことは書いていない。ボラティウスの『書簡詩』に「[[ニヒル・アドミラリ|ニル・アドミラルイ]]」(無関心)という語があり、鴎外『舞姫』にもこの語が出てくる。『ハムレット』のホレーショと、どこかで聞いたホラティウスを混同したのでは、というのが逸身の説(「ホレーショの哲学」『文学』1992.冬号)。
--[[利用者:Chuta|忠太]]([[利用者‐会話:Chuta|会話]]) 2019年2月18日 (月) 14:02 (UTC)
本文を直しました。 --[[利用者:Chuta|忠太]]([[利用者‐会話:Chuta|会話]]) 2019年2月19日 (火) 12:58 (UTC)
ページ「藤村操」に戻る。