「ノート:藤村操」の版間の差分
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ホレーショの哲学について |
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:(節の位置がおかしかったので修正しました)独自研究の開陳はおやめ下さい。--[[利用者:霧星小根|霧星小根]]([[利用者‐会話:霧星小根|会話]]) 2017年11月29日 (水) 13:54 (UTC)
==ホレーショの哲学について==
<strike>藤村がハムレットを原文で読んだのかどうか定かでありませんが…。</strike>当時﹁名言集﹂みたいなお手軽な本が出ており、これがネタ本ではないか、という説を読んだことがあります。ネタ本についてもちらっと見た記憶があるのですが、メモも取っておらず不明となってしまいました。ご存知の方、ご教示をお願いいたします。 --[[利用者:Chuta|忠太]]([[利用者‐会話:Chuta|会話]]) 2018年7月10日 (火) 13:56 (UTC)
:もう1点、本文に「当時は精度の高い翻訳書は高価であった」とありますが、そのような訳書が存在したのでありましょうか…? --[[利用者:Chuta|忠太]]([[利用者‐会話:Chuta|会話]]) 2018年7月10日 (火) 15:06 (UTC)
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;メモ
*藤村はハムレットを原文で読んでいたとのこと。(土方、p36) ※どの程度理解できたかはともかく、読んでいると手紙に書いている。
*徳冨蘆花『想出の記』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/885690/129]に「ホラシオ、天地のことは卿(ルビ:おんみ)<あなたの意味>が理学に説き尽されぬ事もあるものぞ」とある。(土方、p164)
*小田島雄志によれば(略)「その誤訳をした最初の日本人は、おそらく、藤村操である」という
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:逸身はそのようなことは書いていない。ボラティウスの﹃書簡詩﹄に﹁[[ニヒル・アドミラリ|ニル・アドミラルイ]]﹂︵無関心︶という語があり、鴎外﹃舞姫﹄にもこの語が出てくる。﹃ハムレット﹄のホレーショと、どこかで聞いたホラティウスを混同したのでは、というのが逸身の説︵﹁ホレーショの哲学﹂﹃文学﹄1992.冬号︶。 --[[利用者:Chuta|忠太]]([[利用者‐会話:Chuta|会話]]) 2019年2月18日 (月) 14:02 (UTC)
本文を直しました。 --[[利用者:Chuta|忠太]]([[利用者‐会話:Chuta|会話]]) 2019年2月19日 (火) 12:58 (UTC)
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