「バビロニア」の版間の差分
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紀元前7千年紀には[[アラビア語]]でタウフ、あるいはビゼと呼ばれる突き固められた粘土で作られた長方形の住居がバビロニアにおける一般的な形態であった<ref name="ローフ1994p47">[[#ローフ 1994|ローフ 1994]], p. 47</ref>。この住居は通常2つか3つの部屋でできており、1家族が居住していたと見られる<ref name="ローフ1994p47"/>。前5千年紀初頭の日干し煉瓦によって建設された農家が発見されているが、このような農家の基本的な建築は20世紀頃まで大きく変わらず継続したように思われる<ref name="マッキーン1976p258"/>。住居は中央主室を取り巻くように作られ、後には中庭を取り囲むように建設された<ref name="マッキーン1976p258"/>。古くは傾斜屋根がかけられていたが、その後平屋根が一般的となり、中庭にも屋根がかけられる場合もあった<ref name="マッキーン1976p258"/>。主室は日陰に建設され、酷暑に対応し部屋の温度上昇を避けるために窓を作らないのが一般的であった<ref name="マッキーン1976p258"/>。南部の湿地帯の周囲では葦を泥で固めて作る住居も広く建設された<ref name="フィネガン1983p11">[[#フィネガン 1983|フィネガン 1983]], p. 11</ref>。 王宮は通常の住居を大型化し、一般住居には存在しないいくつかの施設を追加したものであった<ref name="マッキーン1976p258"/>。バビロニアの建築様式は強い継続性を示し、古バビロニア時代から新バビロニア時代まで、王宮もまた中庭を取り巻く一連の部屋によって構成された<ref name="マッキーン1976p259">[[#マッキーン 1976|マッキーン 1976]], p. 259</ref>。社会が複雑化し、王が大きな力を持つにつれて王宮には事務所や大広間が加えられていき、また城塞としての役割も担って防壁で囲まれるようになった<ref name="マッキーン1976p259"/>。特に大型の宮殿の残存例としては、シリア地方の遺跡ではあるが、[[マリ (シリア)|マリ]]の王[[ジムリ・リム]]の宮殿や、バビロンの王[[ネブカドネザル2世]]の宮殿が発見されている<ref name="マッキーン1976p259"/>。 == 経済 ==
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