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'''ウィラード・ミット・ロムニー'''︵'''Willard Mitt Romney''', [[1947年]][[3月12日]] - ︶は、[[アメリカ合衆国]]の[[実業家]]、[[政治家]]、前[[マサチューセッツ州]]知事︵第70代 == 経歴 ==
後に[[ミシガン州]]知事となる[[ジョージ・ロムニー]]の次男として[[デトロイト]]で生まれた。父親からの教育で﹁公に尽くす﹂ことを旨とする。[[アメリカン・モーターズ]]を再生に導いた実業家でもあった父の影響で、幼いころは[[ゼネラル・モーターズ]]︵GM︶の経営者となることに憧れていたという。 ミシガン州のクランブロック・スクールを卒業後[[スタンフォード大学]]に進学するが、まもなく渡仏しパリとボルドーで2年間、末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師として伝道活動に従事した<ref>[http://www.bbc.co.uk/news/world-us-canada-16549624 Mitt Romney lambasted in attack ad for speaking French], [[BBC News]], 13 January 2012</ref>。この期間に[[ポー]]で交通事故に逢い、瀕死の重傷を負っている。帰国後[[ユタ州]]の[[ブリガムヤング大学]]を最優等︵''summa cum laude''︶で[[1971年]]に卒業。[[ハーヴァード大学]]の[[ハーバード・ビジネス・スクール|ビジネス・スクール]]・[[ロー・スクール (アメリカ合衆国)|ロー・スクール]]のジョイント・プログラムで[[経営学修士|MBA]]・[[法務博士]]︵J.D.︶号を取得した。ビジネス・スクールでは上位5%の成績優秀者に与えられるベーカー・スカラーを得て、ロー・スクールは優等︵''cum laude''︶で卒業した。 卒業後引く手数多だったロムニーはマサチューセッツに残り、[[ボストン・コンサルティング・グループ|BCG]]でビジネス・コンサルタントとしてのキャリアをスタートした。[[1978年]]に[[ベイン・アンド・カンパニー|ベイン&カンパニー]]に移り[[モンサント (企業)|モンサント]]、アウトボードマリン、バーリントン・インダストリー、[[コーニング (企業)|コーニング]]といった企業を手がける中で、[[ヴァイスプレジデント]]でありながらシニアパートナーらを凌ぐトップ・コンサルタントとなった。 52行目:
なお、有力候補とみなされるに従い、保守派などからモルモンと呼ばれる末日聖徒イエス・キリスト教会員であることに対する信仰面での疑念が指摘されたため、12月に[[テキサス州]]で自らの宗教観についての演説を行っている。その中では、カトリック信者で初めて大統領になった[[ジョン・F・ケネディ]]を引き合いに出しながら、﹁私の︵属する︶教会だろうと、他の教会だろうと、大統領としての判断に何ら影響を及ぼさないことを約束する﹂として[[政教分離]]を訴えた。 [[2008年]]に共和党の予備選が始まると、序盤州では敗退したものの故郷の[[ミシガン州]]などで勝利して持ちこたえ、最終的に[[ジョン・マケイン]]との事実上の一騎打ちにまで持ち込んだ。しかし、[[2月5日]]に行われた天王山﹁[[スーパー・チューズデー]]﹂で大票田でマケインに敗北し、撤退を表明。マケイン支持を表明し挙党一致を呼びかけた。なお、経済が不得手とされるマケインの[[アメリカ合衆国副大統領|副大統領]]候補となる可能性が繰り返し報じられたが、実現しなかった。 選挙戦でロムニーを支持した著名人としては、地元マサチューセッツ州の[[ウィリアム・ウェルド]]元知事、[[親日家]]として知られる[[デニス・ハスタート]]元下院議長や、不法移民政策を共有する[[サウスカロライナ州]]選出の[[ジム・デミント]][[元老院|上院議員]]、[[コロラド州]]選出の[[ウェイン・アラード]][[元老院|上院議員]]、選挙戦から撤退した[[トム・タンクレイド]]、[[ピート・ホークストラ]]、[[ダナ・ローラバッカー]]、[[リン・ウェストモーランド]]の各下院議員、元上院議員の[[リック・サントラム]]、政治評論家の[[アン・コールター]]、保守派の重鎮である[[ロバート・ボーク]]元訟務長官などがいる。 73行目:
幼馴染のアン夫人との間に5人の息子があり、16人の孫がいる。
ロムニー家の
﹁[[エコノミスト]]﹂誌はロムニーの容姿、知性、学歴、華麗なビジネス経歴、リベラルなマサチューセッツ州において共和党知事として成功したこと、中西部の強力な政治基盤を父から受け継いでいることなどをして、﹁恐ろしいほど完璧な大統領候補﹂︵a scarily perfect presidential candidate︶と形容したことがある<ref>[http://www.economist.com/node/7971009?Story_ID=E1_SJSTDDJ Mitt Romney's problem] Economist Sep 28th 2006 2012年2月2日閲覧</ref>。加えて理想的な家族、︵信仰上の理由からだが︶酒も煙草もコーヒーもやらない等々、およそ欠点らしい欠点が無いともされるが、そのことがかえって戯画化の対象となったり、﹁普通のアメリカ人﹂とは異なる印象を与え、政治的な弱点にもなっていると分析されている<ref>[http://www.thedailybeast.com/newsweek/2012/01/29/mitt-romney-s-struggle-to-convince-conservatives.html Mitt Romney's Struggle to Convince Conservatives]NewsWeak Jan 30, 2012</ref>。 米紙「[[ワシントン・ポスト]]」(電子版)は2012年5月10日、大統領選の共和党候補となるロムニー前マサチューセッツ州知事が高校時代、同性愛者とみられていた男子生徒をいじめていたと報じた。ロムニーは覚えていないとしながらも「自分の行動で傷ついた人がいれば謝りたい」と述べた。ロムニーは5月9日、同性婚を容認する発言をしたオバマ大統領に対し「結婚とは男女間の関係だ」と対決姿勢を示したばかり。半世紀近く前の出来事にもかかわらず、同性愛をめぐるロムニーの意識を物語るエピソードとしてメディアの関心を集めている。同紙によると、ロムニーはミシガン州の男子校に通っていた1965年、仲間を引き連れ、同性愛者とからかわれていた男子生徒を押さえつけ、はさみで髪を切った。生徒は目に涙を浮かべて助けを求めたが、ロムニーは髪を切り続けたという。男子生徒は2004年に亡くなったが、成人してからも、恐ろしい出来事で忘れられないと話していたという。ロムニーは米メディアに「高校時代にはいろいろな悪ふざけをした。行き過ぎたこともあったかもしれない」と弁明したが、同性愛者だからいじめたということはないはずだと強調した<ref>[http://www.washingtonpost.com/blogs/the-insiders/post/romneys-boarding-school-days/2012/05/10/gIQA8efvFU_blog.html Romney's boarding school days - The Insiders](英語、2012.5、[[ワシントン・ポスト]])</ref>。
また、2012年の大統領選挙活動中においては、特に身内での会合における不用意な失言が度々報道されており、一部は発言の撤回と謝罪に追い込まれている。
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== 出典 ==
{{Reflist}}
==外部リンク==
*{{official|http://mittromney.com}}
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[[Category:マサチューセッツ州知事]]
[[Category:アメリカ合衆国の実業家]]
[[Category:アメリカ合衆国大統領候補者]]
[[Category:デトロイト出身の人物]]
[[Category:末日聖徒イエス・キリスト教会]]
[[Category:イングランド系アメリカ人]]
[[Category:スコットランド系アメリカ人]]
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