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* '''モンテビデオ条約'''︵1828年、[[スペイン語|西]]‥Tratado de Montevideo, [[ポルトガル語|葡]]‥Tratado do Rio de Janeiro, [[英語|英]]‥Treaty of Montevideo︶は、ウルグアイにあたる地域を巡って[[ブラジル]]と[[アルゼンチン]]との間で行われていた係争に終止符を打った条約であり、[[イギリス]]の仲裁の下、[[1828年]][[8月27日]]に結ばれ、これによりウルグアイの独立が承認された。この和平会議は[[リオデジャネイロ]]で開かれた︵8月11日~27日︶ため、ブラジル側では﹁[[リオデジャネイロ条約]]﹂と呼び、ウルグアイは従来ブラジル領︵[[シスプラチナ州]]︶であったため国内的には﹁1828年8月30日の法令︵Carta de Lei de 30 de agosto de 1828︶﹂によりウルグアイの独立を承認した。 * '''モンテビデオ条約'''︵1890年、葡‥Tratado de Montevidéu︶は、木材を豊富に産し、草原地帯をも有するブラジルとアルゼンチンとの国境地帯パウマス地域を巡る両国間の係争︵パウマス問題︶の解決を狙って結ばれた条約である。しかしながら、この問題の完全な解決は1895年の[[アメリカ合衆国]]大統領[[グロバー・クリーブランド]]の仲介による国境線確定を待つこととなる。 *
* '''モンテビデオ条約'''︵1960年、英‥Treaty of Montevideo︶は、[[ラテンアメリカ自由貿易連合]]︵LAFTAもしくはALALC︶の設立のため、1960年2月にアルゼンチン、ブラジル、[[チリ]]、[[メキシコ]]、[[パラグアイ]]、ウルグアイ、[[ペルー]]の7ヶ国によって結ばれた条約である。翌1961年5月にパラグアイを除く6ヶ国の批准を得てLAFTAが発足、この条約は﹁ラテンアメリカ自由貿易連合条約﹂とも呼ばれる。 * '''モンテビデオ条約'''︵1979年、英‥Act of Montevideo︶は、[[ビーグル水道|ビーグル海峡]]諸島の[[ピクトン島・レノックス島・ヌエバ島]]を巡るアルゼンチンとチリの係争について、[[ローマ教皇]][[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]の仲裁の下、両国の間で結ばれた条約である。この条約は[[1979年]][[1月9日]]に調印され、この条約によりアルゼンチン側は3島の主権がチリにあることを認めた上で、1984年には両国間で平和友好条約が結ばれた。 * '''モンテビデオ条約'''︵1980年、英‥Treaty of Montevideo︶は、1960年の同名条約を更新する条約である。これによりLAFTAは発展的解消を遂げ、新たに[[ラテンアメリカ統合連合]]︵ALADI︶が創設された。 {{aimai}}
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[[Category:条約]]
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