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{{出典の明記|date= 2021年4月6日 (火) 06:56 (UTC)}}{{Otheruses|2=15人制のラグビー競技|3=ラグビーユニオン|4=13人制のラグビー競技|5=ラグビーリーグ}}[[ファイル:Scrum-1.JPG|thumb|360px|'''[[ラグビーユニオン]]'''/[[クルセイダーズ (ラグビー)|クルセイダーズ]]と[[ブランビーズ (ラグビー)|ブランビーズ]]との間の[[スクラム (ラグビー)|スクラム]]。]]
[[ファイル:Paul Gallen (26 October 2008).jpg|thumb|'''[[ラグビーリーグ]]'''/[[ニュージーランド]]の選手が[[オーストラリア]]の選手にタックルしている。]]
'''ラグビーフットボール'''︵{{lang-en-short| フィールド上の各サイドの人数やルールが異なる様々な派生競技が存在する。ラグビーユニオンでは通常の15人制に加え[[10人制ラグビー|10人制]](テンズ)と[[7人制ラグビー|7人制]](セブンズ)、ラグビーリーグでは通常の13人制に加え[[ラグビーリーグナインズ|9人制]](ナインズ)と[[ラグビーリーグセブンズ|7人制]](セブンズ)の人気があり、各地で大会が開かれている。7人制ラグビーユニオンは[[夏季オリンピック]]、[[コモンウェルスゲームズ]]、[[アジア競技大会]]の正式種目である。
ラグビーリーグのルールに基づき、[[タックル (フットボール)#ラグビー|タックル]]を安全なタグやタッチに置き換えた[[タグラグビー]]や[[タッチラグビー]]、タッチラグビーを競技化した[[タッチ (スポーツ)|タッチ]]も広くプレーされている。 14 ⟶ 10行目:
== 概要 ==
[[ファイル:Rugby tackle cropped.jpg|thumb|220px|]]
ラグビーフットボールは2つのチームに分かれて行われ、[[楕円形]]([[回転楕円体]])の[[ボール]]を奪い合って相手陣のインゴールまで運ぶ、あるいはH型のゴール上部に蹴り入れて得点を競う[[スポーツ]]である。
[[イングランド]]発祥の競技ということもあって、[[ヨーロッパ]]([[イングランド]]、[[スコットランド]]、[[アイルランド]]、[[ウェールズ]]、[[フランス]]、[[イタリア]]。この内イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズは'''[[ホーム・ネイションズ|ホームユニオン]]'''と称される)ばかりでなく、[[オセアニア]]([[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]]、[[サモア]]、[[フィジー]]、[[トンガ]])および[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]、[[アルゼンチン]]で人気の競技である。とりわけ[[英連邦]]諸国内では[[サッカー]]や[[クリケット]]と並ぶ人気スポーツである。[[アメリカンフットボール]]は楕円形のボールを使う、タックルにより相手の前進を止めるなどラグビーフットボールと共通する特徴をもっていることから、古い時代に共通の起源をもつと考えられているものの、まったく別の競技である。
なお、ボールが楕円形であるなど他の球技に比べると珍しい特徴があるが、なぜこのような形になったかに関しては諸説があり、はっきりしていない<ref>{{Cite web|和書|url=https://spaia.jp/column/rugby/106|title=ラグビーボールはなぜ楕円球なのか|publisher=︻SPAIA︼スパイア|date=2016-03-27|accessdate=2020-11-17}}</ref>。 == 名称 ==
{{Anchors|Rugbyとrugby|rugger|rugby player|ラガー|ラガーマン}}由来[[地名]]にあたる﹁[[ラグビー (イングランド)|ラグビー]]﹂を意味する﹃'''Rugby'''︵ラグビー︶﹄との区別は、表記言語的には[[大文字]]の使用・不使用で明示されるが{{r|kb}}、一般には特に区別されない。{{Anchors|ラガー|ラガーマン}}また、[[球技]]﹁ラグビー﹂は英語で﹃'''rugger'''︵ラガー︶﹄ともいい、この語は﹁ラグビーをする人﹂をも意味する<ref name="kb_ラガー">{{Cite web {{Anchors|ラ式蹴球|蹴球|闘球}}現代日本語では、ほとんどすべての場合﹁ラグビー﹂というが、[[1925年]]︵[[大正]]14年︶ごろ以降{{Refnest|group="注"|[[小学館]]﹃精選版 [[日本国語大辞典]]﹄の1925年刊行の大増補改版に付属する﹁新らしい言葉の字引﹂が、少なくとも同社における初出である<ref name="kb_ラ式蹴球">{{Cite web == ラグビーフットボールの歴史 ==
{{See also|ラグビーユニオンの歴史}}
ラグビーフットボールの起源は、「[[1823年]]、[[イングランド]]の有名な[[パブリックスクール]]である[[ラグビー校]]での[[フットボール]]の試合中、[[ウィリアム・ウェッブ・エリス]]がボールを抱えたまま相手のゴール目指して走り出した」ことだとされている。
1840年頃にはボールを持って走る﹁ランニングイン﹂が確立して普及しだしたのは確かであるが、その第1号がエリス少年だったかどうかについては諸説ある。しかし、エリスが最初にボールを持って走ったという証言が記してある文章が、ラグビーフットボールの起源を調べる上で最古の文献だということは間違いなく、起源と考案者を探る上で名前がわかっている人物はエリスただ一人である。なお、エリス少年がルールを破ったとされるのは、ボールを手で扱ったことでなく、ボールを持って走った行為についてである。その頃はまだ今でいう[[サッカー]]も生まれておらず、当時のフットボールでは手を使うこと自体はルールとして許されていた<ref group="注">日本の資料ではしばしば﹁エリス少年がサッカーの試合中にボールを持って走り出した﹂という記述が見受けられる エリスは1806年に[[マンチェスター]]近郊で生まれ、ラグビー校では少なくとも3シーズン、フットボールをプレーしている。[[オックスフォード大学]]に進み、卒業した後は[[牧師]]となり、病気療養のために渡った南フランスで65歳で没した。南仏[[コートダジュール]]の小都市[[マントン]]に墓地がある。ラグビーフットボールと[[クリケット]]を愛したと伝えられている。
ラグビー校ではラグビーフットボールのルーツ以外にも多くの習慣が生まれており、イングランド代表の白い[[ラグビージャージ|ジャージ]]の元になった白いシャツとショーツと紺色のストッキング、ハーフタイムにサイドをチェンジする習慣、インターナショナル代表がかぶるキャップ、H型のゴールポスト、楕円球のボールなどラグビーフットボールの起源を示すような証拠が多くこの学校から生まれた。
ラグビーフットボールの源流である「原始フットボール」は中世[[イングランド]]に起源をさかのぼる。数千人の大人数が手と足を使って村と村の対抗戦として原始的な「フットボール」を行っていた。ちなみに1点先取で勝負を決めていたことから、長時間続けるために得点するのを難しくしようと[[オフサイド]]が生まれ、今日のラグビーフットボールにもルールとして生き永らえている。試合は祝祭でもあり、死者も出るほど激しかった。
19世紀に入り、ラグビー校や[[イートン校]]、ハロー校など[[パブリックスクール]]では学校ごとに独自のルールでそれぞれのフットボールを行なっていた。それぞれ学校で違うルールの統一を目指した協議は長らく行われてきたが、1863年[[10月26日]]に[[ロンドン]]のフリーメイソンズ・タバーンで[[フットボール・アソシエーション|FA]]︵フットボール・アソシエーション︶と[[ロンドン]]にある12のクラブの間で会議が開かれ、12月までに6回のミーティングを持って統一ルールの作成を行った。この統一ルール作成により近代[[サッカー]]が本格的に誕生した。このとき、一部のクラブの代表が、ボールを持って走ること、ボールを運んでいる相手に[[ハッキング (ラグビー)|ハッキング]]︵すねをけること︶、トリッピング︵引っ掛けてつまずかせること︶およびホールディング︵おさえること︶を行うことが認められなくなったことに合意できず、FAを脱退した。これがラグビーフットボールとアソシエーションフットボール︵サッカー︶が分岐した瞬間である。 43 ⟶ 41行目:
=== ラグビーユニオンとラグビーリーグ ===
{{main|ラグビーユニオン|ラグビーリーグ|ラグビーリーグとラグビーユニオンの比較}}
ラグビーフットボールは[[イギリス|英国]]でも指折りの[[炭鉱]]地帯である[[マンチェスター]]を中心とするイングランド北部の[[ランカスター (ランカシャー州)|ランカスター]]、[[ヨークシャー]]地方ならびに[[ウェールズ]]南部で発展していった。
しかし[[1895年]]、選手の労働会社などへの休業補償問題︵現在も兼業しながらプレーする選手が多数だが、当時は今と違ってラグビーフットボールには[[プロフェッショナル|プロ]]契約が存在しなかった︶がきっかけで、北部でRFUからの分裂が起き、22チームからなるプロリーグが発足した。それ以降、世界にはラグビーという名のスポーツが2つあり、[[ケンブリッジ大学]]対[[オックスフォード大学]]戦︵[[ザ・バーシティマッチ]]︶に代表される南部を母体とする[[アマチュア]]主義をうたった組織は'''[[ラグビーユニオン]]'''、北部を母体とする報酬を目的とするものは'''[[ラグビーリーグ]]'''と呼ばれるようになった 分裂した頃はルールは全く同一のものであったが、現在ではユニオンは15人制でリーグは13人制である。ルール上最も異なっている点は、ラグビーリーグがフォワードの密集︵[[ラック (ラグビー)|ラック]]、[[モール (ラグビー)|モール]]︶を排除したことである。 51 ⟶ 49行目:
プロ容認のリーグへのユニオン選手の流失が相次ぎ、リーグに移った選手はユニオンでのプレーを禁止されるなど長らくユニオンとリーグは対立状態にあった。
しかし[[ラグビーワールドカップ]]などをきっかけに120年以上アマチュア主義を守ってきたユニオンも1995年以降にプロを認めたこともあり、コーチ層での交流<ref>{{cite web|url=https://www.planetrugby.com/analysis-leagues-growing-impact-on-union/|title=Analysis: League’s growing impact on union|date=2019-07-17|author=Sam Larner| === ラグビーユニオンとラグビーリーグの統合年表 ===
; 18世紀まで
* 1400年から1800年 - 多くの異なる種類の[[フットボール]](サッカーやラグビーフットボールの先祖)が[[グレートブリテン島]]各地で行われていた。現代サッカーと異なり、ほとんどのフットボールの試合では手を使うことが許されていた。
; 19世紀
* 1830年 - ボールを持って走ることは1830年代にラグビー校で一般的になり、1850年代と1860年代にラグビースクールフットボールは連合王国中で人気となった。
* 1863年 - ザ・フットボール・アソシエーション (FA) が結成され、FAとラグビーフットボールの間の分裂が正式なものとなった。
; ラグビーとサッカーの分裂
* 1864年 - 初のラグビークラブが[[リーズ]]と[[ハダーズフィールド]]で結成され、その後1870年代と1880年代には[[カンバーランド]]、[[ランカシャー]]、[[ヨークシャー]]で何百ものクラブが作られた。
* 1871年 - '''ラグビー・フットボール・ユニオン'''(ラグビーフットボール協会、'''RFU''')が創設され、{{仮リンク|ポールモールレストラン|en|Pall Mall Restaurant}}で21クラブによる会合が開かれた。
* 1871年 - 確認されている初の国際試合がイングランドとスコットランドの間で行われた。
* 1876年 - {{仮リンク|マシュー・ブロクサム|en|Matthew Bloxam}}の書簡が{{仮リンク|ザ・ミーティア|en|The Meteor}}に掲載された。この書簡ではラグビー校の生徒のウィリアム・ウェブ・エリスがボールを拾い上げたことがラグビーの発祥であると主張されている。1895年のラグビー協会の調査では証拠はないとされたが、この神話を不朽のものとすることが決定された。
* 1876年 - {{仮リンク|ヨークシャーカップ (ラグビーユニオン)|en|Yorkshire Cup (rugby union)|label=ヨークシャーカップ}}がヨークシャーのラグビークラブによって始まった。この大会は[[FAカップ]]決勝よりも多くの観客を集めた。
* 1877年 - 選手数が1チーム20人から15人に減少した。
* 1883年 - 初の[[シックス・ネイションズ|ホーム・ネイションズ・チャンピオンシップ]]がイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズの間で行われた。
* 1886年 - 大部分が[[労働者階級]]で構成される北部クラブの高まる優越性を危惧して、南部が主体のラグビーフットボール協会は厳格なアマチュアルールを導入した。
* 1888年・1889年 - ニュージーランド先住民フットボールチームがブリテン、オーストラリア、ニュージーランド遠征を行った。
* 1890年- 1890/91シーズンから現代の得点システムが[[ホーム・ネイションズ]]によって一様に承認された。
* 1892年 - [[ブラッドフォード]]{{要曖昧さ回避|date=2014年6月16日}}とリーズのラグビーフットボールクラブが選手の休業保障を行ったことによって、プロフェッショナリズムの非難が向けられた。しかしラグビー・フットボール・ユニオン (RFU) 自身も、1888年ブリテン諸島代表のオーストラリア遠征や、1904年にイングランドと対戦したニューサウスウェールズのHarry Hamillに対する支払いを認めている。
* 1893年 - ヨークシャーのクラブは選手の休業保障として6[[シリング]]を支払うことを提案したが、RFUはこの提案を否決した。これによって北部のクラブおよび選手による試合の中止が広がっていった。
; ラグビーリーグとラグビーユニオンの分裂
* 1895年(リーグ・ユニオン) - ラグビーフットボール界の分裂の結果、'''ノーザン・ラグビー・フットボール・ユニオン''' ('''NRFU''') が結成された。この分裂には、労働者階級の北部チームの成功や、入場料を徴収した競技場でのラグビー試合のRFUによる禁止命令、クラブがアマチュアリズムを受け入れなかった場合のRFUからの除籍に対する恐れ、選手が仕事を休んでラグビーの試合に出場した際の休業保障の開始など多くの要素が作用している。同じような動きは他の国々でも存在した。22のクラブがハダーズフィールドのジョージホテルで会合を開きNRFUが結成された。ハダーズフィールドでの初会合から15年以内に、200以上のクラブがRFUを脱退しNRFUに加入した。
* 1896年(リーグ) - [[マニンガムFC|マニンガム]]が初のノーザン・ユニオン・チャンピオンシップで優勝した。マニンガムは1903年にアソシエーションフットボール([[サッカー]])に転向し、[[ブラッドフォード・シティAFC|ブラッドフォード・シティ]]となった。
* 1896年(リーグ) - [[ラグビーリーグ・チャレンジカップ]]が創設され、開始から成功を収めた。[[バトリー・ブルドッグズ|バトリー]]が[[セント・ヘレンズRFC|セント・ヘレンズ]]を10対3で破り、初の勝者となった。
* 1897年(リーグ) - 試合をより興奮するものにするため、ノーザン・ユニオンはラインアウトを廃止し、全てのゴールの得点を2点に減らした。ラインアウトはタッチラインからのパントに変更された。トライは3点を与えられた。
* 1898年(リーグ) - ノーザン・ユニオンにプロフェッショナリズムが導入された。このプロフェッショナリズムは厳密にパートタイムであり、選手は他の「きちんとした」仕事を持っていることが義務付けられた。
* 1900年(ユニオン) - ラグビーユニオンが1900年の夏季[[パリオリンピック (1900年)|パリオリンピック]]に採用された。これは1924年の[[パリオリンピック (1924年)|パリオリンピック]]に終了した。
; 20世紀前半
* 1901年(リーグ) - ラグビーリーグのラインアウトに代わるパントアウトの導入実験がわずか4年で終了した。現在はボールがアウト・オブ・プレーになると[[スクラム (ラグビー)|スクラム]]でリスタートされる。
* 1904年(リーグ) - ラグビーリーグの初の国際試合が[[ウィガン]]で行われ、イングランドが他国合同チームに3対9で敗れた。
* 1905年(ユニオン) - ウェールズが初遠征を行ったラグビーユニオンのニュージーランド代表にかろうじて勝利した。この試合は「{{仮リンク|世紀の試合|en|The Game of the Century<!-- 曖昧さ回避ページ -->}}」と呼ばれた。
* 1906年(ユニオン) - イングランドは([[スプリングボクス]]として知られる)南アフリカとラグビーユニオンの試合を初めて行った。南アフリカが黒人選手がプレーすることに抗議した後、{{仮リンク|ジェームス・ピータース (ラグビー)|en|James Peters (rugby)|label=ジェームス・ピータース}}がイングランドチームから外された。
* 1906年(ユニオン) - ジェームス・ピータースはイングランド代表としてスコットランドと戦い、初の黒人ラグビー選手となった。
* 1906年(リーグ) - ラグビーリーグにおいて、よりクリエイティブなプレーのためのスペースを与えるために選手数が15人から13人に減らされた。タックル後の試合再開の形としてプレー・ザ・ボールの初期の形が導入された。
* 1907年(リーグ) - ラグビーリーグが[[オーストラリア]]および[[ニュージーランド]]に広まっていった。ニューサウスウェールズ・ラグビー・フットボール・リーグが[[シドニー]]のBateman'sホテルで創設された。ニューサウスウェールズ・ラグビー・リーグは故障した選手に対する保障問題でオーストラリアン・ラグビー・ユニオンと喧嘩した後に、8チームで開始した。初優勝はサウス・シドニーが果たした。ラグビーリーグは[[ニューサウスウェールズ州]]と[[クイーンズランド州]]での主要なフットボール競技としてラグビーユニオンに取って代わっていった。
* 1907年(リーグ) - ニュージーランドラグビーリーグチームがブリテンへ遠征を行った。ニュージーランドの郵便局員{{仮リンク|アルバート・ヘンリー・バスカヴィル|en|Albert Henry Baskerville}}によって組織されたニュージーランド遠征チームは、彼らのオープン・プロフェッショナリズムのために母国のメディアに「オール・ゴールズ (All Golds)」との汚名を着せられた。彼らはシドニーとブリテンではラグビーユニオンのルールで試合を行い、オーストラリアの偉大な選手である{{仮リンク|ダリ・メッセンジャー|en|Dally Messenger}}に遠征に加わるよう説得した。彼らは初の[[テストマッチ]]に2対1で勝利したが、バスカヴィルは帰国中に[[肺炎]]のため25歳で死去した。
* 1908年(リーグ) - 初のオーストラリア[[カンガルーズ]]遠征チームがブリテンを訪れた。{{仮リンク|ハンスレット・ホークス|en|Hunslet Hawks|label=ハンスレット}}は、チャンピオンシップ、チャレンジカップ、ヨークシャーカップ、ヨークシャーリーグの4つのトロフィー全てを手にした初のクラブとなった。ハンスレットはラグビーリーグ初期の主要な選手である{{仮リンク|アルバート・ゴールドソープ|en|Albert Goldthorpe}}に率いられた。
* 1910年(ユニオン) - ラグビーユニオンのホーム・ネイションズ・チャンピオンシップがフランスの参加により[[シックス・ネイションズ|ファイブ・ネイションズ・チャンピオンシップ]]となった。
* 1910年(リーグ) - 初のノーザン・ユニオンの{{仮リンク|ラグビーリーググレートブリテン代表|en|Great Britain national rugby league team|label=ブリティッシュ・ライオンズ}}による遠征がオーストラリアおよびニュージーランドへ行われ、シドニーと[[ブリスベン]]で行われたテストマッチに勝利した。
* 1912年(ユニオン) - [[ラグビー南アフリカ代表|ラグビーユニオン南アフリカ代表]]がブリテン諸島およびフランスに遠征した。遠征チームはイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、フランスのヨーロッパ5チーム全ての勝利する「グランドスラム」を達成した。
* 1914年(リーグ) - [[ハダーズフィールド・ジャイアンツ|ハダーズフィールド]]の{{仮リンク|アルバート・ローゼンフェルド|en|Albert Rosenfeld}}が1シーズン100トライを記録した。ブリテン代表遠征チームはテストマッチ3連戦の最終戦でオーストラリアに14対6で勝利し、{{仮リンク|ジ・アッシーズ (ラグビーリーグ)|en|The Ashes (rugby league)|label=The Ashes}}を勝ち取った。最後までこの試合に残っていたのはわずか10人であり(選手交代は認められていなかった)、{{仮リンク|ロークス・ドリフトの防衛戦|en|Battle of Rorke's Drift|label=ロークス・ドリフト}}のテストマッチとして知られるようになった。
* 1922年(リーグ) - ノーザン・ユニオンは'''ラグビー・フットボール・リーグ'''と改名した。この組織名がオーストラリアにおけるこのスポーツの名称としても以後使用されるようになった。
* 1925年(ユニオン) - ラグビーユニオンの[[オールブラックス]]のブリテン、フランス、カナダ遠征が行われた。ニュージーランド人達は遠征中無敗を誇り、「The Invincibles(無敵)」の称号を得た。
* 1929年(リーグ) - 初の[[ラグビーリーグ・チャレンジカップ]]決勝が[[ウェンブリー・スタジアム (1923)|ウェンブリー]]で行われた。41,500人の観衆の前で[[ウィガン・ウォリアーズ|ウィガン]]が{{仮リンク|デューズベリー・ラムズ|en|Dewsbury Rams|label=デューズベリー}}に13対2で勝利した。
* 1930年(ユニオン) - ファイブ・ネイションズとは別にラグビーユニオンヨーロピアンカップが始まった。この大会は第二次世界大戦で中断された。
* 1930年(ユニオン) - ラグビーリーグのブリテン代表とオーストラリア代表のテストマッチ第3戦が0対0の引き分けに終わった後、前例のない第4戦が[[ロッチデール]]で行われた。ブリテン代表は3対0で勝利しThe Ashesを手にした。
* 1932年(リーグ) - 夜間照明の下で初のラグビーリーグの試合が開催された。
* 1933年(リーグ) - 大晦日、フランスにおける初のラグビーリーグの試合が、イングランドとオーストラリアの間で行われた。フランスはプロフェッショナリズムの申し立ての真っ只中にありラグビーユニオンのファイブ・ネイションズから除外されていたことから、新しいスポーツを受け入れようとしていた。
* 1934年(リーグ) - 元ラグビーユニオン代表の{{仮リンク|ジャン・ガリア|en|Jean Galia}}によってフランスでラグビーリーグが設立された。1939年までにフランスリーグには225クラブが所属した。
* 1934年(リーグ) - フランスはパリで初めての国際試合を行いイングランドに32対21で敗れた。[[サルフォード・レッドデビルズ|サルフォード]]はフランス遠征を行い、‘Les Diables Rouges’(赤い悪魔)のニックネームを得た。
* 1941年(リーグ・ユニオン) - フランス[[ヴィシー政権|ヴィシー政府]]は敵国との繋り(フランスはドイツおよびイタリアの占領下にあった)を理由にラグビーリーグを禁止した。ラグビーリーグの資金および資産は全て没収されるかラグビーユニオンのクラブに渡った。ラグビーユニオンは無傷であり、ラグビーリーグに奪われた競技場のほとんどを取り返した。今でもラグビーリーグのクラブの資産は彼らに返還されていない。
* 1943年(リーグ・ユニオン) - {{仮リンク|ノーザン・コマンド (イギリス)|en|Northern Command (United Kingdom)|label=ノーザン・コマンド}}陸軍ラグビーリーグチームとノーザン・コマンド陸軍ラグビーユニオンチームは[[ヘディングリー・スタジアム|ヘディングリー]]でラグビーユニオンルールで戦い、ラグビーリーグ側が18対11で勝利した。次の年は三軍統合ラグビリーグチームが三軍統合ラグビーユニオンチームを15対10で破った。1996年に交流が再開されるまでリーグ対ユニオンの試合はこれらだけであった。
* 1944年(リーグ) - ヴィシー政権の崩壊により、フランスにおけるラグビーリーグの禁止令が解除された。
* 1945年(リーグ) - {{仮リンク|ブライアン・ビーヴァン|en|Brian Bevan}}が[[ウォリントン・ウルブズ|ウォリントン]]でラグビーリーグデビューを果たした。16年間に渡って、ビーヴァンはウォリントンで620試合に出場し740トライを上げた。キャリア通算トライ数は796。しかし、故郷のオーストラリア代表としてプレーすることはなかった。
* 1946年(リーグ) - {{仮リンク|ランス・トッド・トロフィー|en|Lance Todd Trophy}}がチャレンジカップ決勝のマン・オブ・ザ・マッチに初めて手渡された。[[ウェイクフィールド・トリニティ|ウェイクフィールド・トリニティー・ワイルドキャッツ]]の{{仮リンク|ビリー・ストット|en|Billy Stott}}が初の受賞者となった。1942年に交通事故で死亡した{{仮リンク|ランス・トッド|en|Lance Todd}}は1907年ニュージーランド代表遠征チームの一員であり、サルフォードを1928年から1940年まで指揮した。
* 1946年(リーグ) - この年は史上最も有名なラグビーリーグ遠征が行われた。ライオンズは[[インドミタブル (空母)|HMSインドミタブル]]でオーストラリアへ航海した。オーストラリアを横断する5日間の旅で、{{仮リンク|ガス・リスマン|en|Gus Risman}}に率いられたチームはテストマッチを2勝1引き分けで終えThe Ashesを保持した。
* 1949年(リーグ) - フランスラグビーリーグは名称への「ラグビー」の使用を禁止され、''Jeu à Treize''(Game of Thirteen)へと改称した。
* 1950年(リーグ) - [[トリノ]]からのイタリアチームがイングランド北部へと遠征した。イタリアは後に国内大会やオーストラリアとの試合を行ったが、この活動は1962年に途絶えた。
; 20世紀後半
* 1951年(ユニオン) - {{仮リンク|南米ラグビーチャンピオンシップ|en|South American Rugby Championship}}が開始した。
* 1951年(ユニオン) - 南アフリカラグビーユニオン代表がブリテン諸島およびフランスへ遠征した。南アフリカは二度目のファイブ・ネイション・グランドスラムを達成した。
* 1951年(リーグ) - 活動を終えてからちょうど10年後、フランスはオーストラリアでの初のラグビーリーグシリーズに勝利した。フランスは1955年にも再び勝利を収めた。
* 1951年(リーグ) - ラグビーリーグの{{仮リンク|セク・トンプソン|en|Cec Thompson}}はあらゆるスポーツの中で初のグレートブリテン代表の黒人選手となった。
* 1952年(ユニオン) - ラグビーユニオンのヨーロピアンカップが再開した。
* 1953年(リーグ) - 英国陸軍通信部隊で兵役を果たしていたウェールズ人の若者、{{仮リンク|ビリー・ボストン|en|Billy Boston}}がウィガンでデビューした。彼はイギリスの最多トライ数の記録を持っており、全世界ではビーヴァンに次いで第2位である。
* 1954年(リーグ) - イングランドブラッドフォードOdsalスタジアムで行われた{{仮リンク|label=1953-54 ラグビーリーグチャレンジカップ|1953-54 ノーザン・ラグビー・フットボール・リーグ・シーズン|en|1953–54 Northern Rugby Football League season}}決勝は102,569の観衆を集め、ラグビーユニオン・ラグビーリーグを含むラグビーフットボールの試合の新記録を打ち立てた。
* 1954年(リーグ) - 初の[[ラグビーリーグ・ワールドカップ]](ユニオンも含めて初)がフランスで開催された。パリ、[[パルク・デ・プランス]]で行われた決勝では、グレートブリテン代表がフランス代表を16対12で破り優勝した。
* 1956年(ユニオン) - [[ラグビー南アフリカ共和国代表|スプリングボクス]]がニュージーランドに遠征した。南アフリカはニュージーランドに対して遠征で初めての敗戦を喫した。
* 1957年(リーグ) - オーストラリアがラグビーリーグ・ワールドカップ第2回大会で優勝した。
* 1958年(リーグ) - ラグビーリーグテストマッチ第2試合でグレートブリテン代表はオーストラリア代表に25対18で勝利した。この試合では健康なグレートブリテン代表はピッチに8人しかいなかった。{{仮リンク|アラン・プレスコット|en|Alan Prescott}}は腕を骨折しながら77分間プレーした。
* 1960年(リーグ) - グレートブリテンが第3回ラグビーリーグ・ワールドカップで優勝した。
* 1964年(リーグ) - ラグビーリーグで初めて選手交代が認められたが、ハーフタイム前に負傷した選手に限られていた。
* 1966年(リーグ) - [[国際ラグビーリーグ連盟|国際ラグビーリーグ委員会]]は、ボールを保持したチームには3度のプレー・ザ・ボールが認められ、4度目のタックルでスクラムが組まれるルールを導入した。次の年に南半球はこのルールを採用した。1972年には6度の攻撃権が認められるようになり、1983年にスクラムはボールの引き渡しに変更された。
* 1967年(リーグ) - プロラグビーリーグは減少する観客を呼び戻す試みで、他のスポーツに先駆けて主な試合日を日曜日とした。
* 1968年(リーグ) - ‘Watersplash’(浅瀬)チャレンジカップ決勝が、豪雨がピッチを満たしていたにもかかわらず行われた。この試合は最もドラマティックな幕切れとなった。ウェイクフィールドの{{仮リンク|ドン・フォックス|en|Don Fox}}が逆転のためのゴール近くからの簡単なコンバージョンを試みたが失敗し、リーズが11対10で勝者となった。
* 1968年(ユニオン) - ラグビーユニオンで選手交代が初めて認められた(負傷選手のみ)。
* 1969年(ユニオン) - スクリングボクスがブリテンとアイルランドに遠征した。この遠征は[[アパルトヘイト]]に対する抗議を受け、以後南アフリカはアパルトヘイト廃止までヨーロッパ遠征を行わなかった。
* 1969年(リーグ) - ラグビーリーグはイギリスの大学のスポーツとしてついに認められていった。
* 1970年(リーグ) - グレートブリテン代表はオーストラリアとのテストマッチの後半2戦に勝利しThe Ashesを得た。
* 1970年(リーグ) - イングランドで開催されたラグビーリーグ・ワールドカップは少ない観客しか集めることができなかった。オーストラリアが優勝した。
* 1971年(リーグ) - ニュージーランドがブリテンでのラグビーリーグシリーズで初めて勝利した。
* 1971年(ユニオン) - ラグビーユニオンの[[ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ|ライオンズ]]がオーストラリアとニュージーランドに遠征した。このライオンズはニュージーランドでのテストシリーズで勝利した唯一のチームである。
* 1971年(ユニオン) - スプリングボクスのオーストラリア遠征は抗議活動を受けた。
* 1972年(リーグ) - タイムキーパーとサイレンがラグビーリーグに初めて導入された。
* 1972年(リーグ) - グレートブリテンがフランス・ラグビーリーグ・ワールドカップで再び優勝した。
* 1973年(ユニオン) - [[バーバリアンズ]]が[[カーディフ・アームズ・パーク]]で[[オールブラックス]]を破った。
* 1973年(リーグ) - 多くのアマチュアリーグ・クラブが消滅していることに対するRFLの軽視に抗議して、草の根レベルでラグビーリーグを運営するため{{仮リンク|イギリスアマチュアラグビーリーグ協会|en|British Amateur Rugby League Association}}が設立された。両者の再統一には30年を要した。
* 1974年(ユニオン) - ラグビーユニオンのライオンズが南アフリカに遠征した。[[99コール]]が悪名高い遠征である。
* 1974年(リーグ) - ラグビーリーグの[[ドロップゴール]]による得点が2点から1点に減点された。
* 1975年(リーグ) - ウェールズとイングランドが別々のチームでラグビーリーグ・ワールドカップに参加し、両半球で数カ月に渡ってプレーした。オーストラリアがイングランドに1ポイントリードしトロフィーを手にした。
* 1976年(ユニオン) - ラグビーユニオンニュージーランド代表(オールブラックス)が南アフリカに遠征した。南アフリカとスポーツで交流することを禁じた[[国際オリンピック委員会]] (IOC) の決定に反抗したニュージーランドの1976年夏季[[モントリオールオリンピック]]からの追放をIOCが拒否したことから、28の国(アフリカのほとんどの国)がモントリオールオリンピックを[[ボイコット]]した。
* 1978年(ユニオン) - ラグビーユニオンニュージーランド代表がブリテンおよびアイルランドに遠征した。ニュージーランドはイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズを破り初めてグランドスラムを達成した。
* 1980年(リーグ) - ロンドンにラグビーリーグクラブ、[[ロンドン・ブロンコズ|フラムRFC]]が結成された。9,500人以上の観客が初試合に訪れ、[[ウィガン・ウォリアーズ|ウィガン]]に勝利した。フラムは初シーズンの終りに昇格し、昇格や降格、ホームの移転を経て、現在も[[ロンドン・ブロンコズ]]として存続している。
* 1980年(リーグ) - オーストラリアで出身州別のラグビーリーグチームが対戦する形式(クイーンズランド出身の選手とサウスウェールズ出身の選手が相対する)が作られた([[ステート・オブ・オリジン]])。‘State against state; mate against mate’である。1982年から、3試合シリーズとして行われており、世界最強・最も厳しいラグビーと認識されている。
* 1981年(リーグ) - オーストラリアでラグビーリーグに「[[シン・ビン]]」が導入された。
* 1981年(ユニオン) - スプリグボクスがニュージーランドに遠征した。
* 1981年(ユニオン) - 国際ラグビー評議会によってアパルトヘイト政策を廃止するまで南アフリカのラグビーユニオン国際大会への参加が禁止された。
* 1982年(ユニオン) - トンガ、フィジー、サモアによるラグビーユニオンの[[パシフィック・トライネイションズ]]開催
* 1982年(リーグ) - ラグビーリーグオーストラリアチームの遠征において初めて全試合に勝利し、「The Invincibles(無敵)」として知られるようになった。
* 1983年(リーグ) - ラグビーリーグのトライが4点に加点された。6度目のタックルによるポゼッション移行の導入やスクラムの下図を劇的に減少させたことで、試合の性格は大きく変化した。退場に値しない反則に対してシン・ビン(一時的な退場)が導入された。
* 1983年(リーグ) - ラグビーリーグの他国リーグ間の移籍が解禁された。
* 1984年(ユニオン) - オーストラリアラグビーユニオンチームのブリテンおよびアイルランド遠征。オーストラリアはイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズを破り初めてグランドスラムを達成した。
* 1987年(ユニオン) - ニュージーランドとオーストラリアで開催された初の[[ラグビーワールドカップ|ラグビーユニオンワールドカップ]]でニュージーランドがフランスを29対9で破り優勝した。
* 1987年(リーグ・ユニオン) - アマチュアレベルにおける2つのルール間の「自由通路」が導入されたが、個々の場合の区別は継続した。
* 1987年(ユニオン) - RFUはラグビーユニオンに108のリーグのおよそ1000クラブが参加する昇格・降格ありのピラミッド型[[プレミアシップ (ラグビー)|カリッジ・リーグ]](the Courage Leagues)を導入した。
* 1988年(リーグ) - ラグビーリーグのウィガンが[[ハリファックスRLFC]]を32対12で破り、チャレンジカップ8連覇のスタートを切った。{{仮リンク|エレリー・ハンリー|en|Ellery Hanley}}、{{仮リンク|アンディー・グレゴリー|en|Andy Gregory}}、{{仮リンク|ショーン・エドワーズ|en|Shaun Edwards}}といった選手を擁した現代的なタレント揃いのチームは10年間リーグを支配し、この期間に3度ワールドカップで優勝した。
* 1989年(リーグ) - 初の公式[[ワールドクラブチャレンジ]]で[[ウィドネス・バイキングズ]]が{{仮リンク|キャンベラ・レイダーズ|en|Canberra Raiders}}を30対18で破った。
* 1990年(リーグ) - ロシアでラグビーリーグが始まった。ロシアは2000年ワールドカップに出場し、クラブもチャレンジカップに出場した。
* 1990年(リーグ) - ラグビーリーグにブラッド・ビン(Blood-bin)が導入された。
* 1990年(リーグ) - フランスのラグビーリーグの名称への「ラグビー」の使用禁止が解除された。これいによって名称はRugby à Treizeへと戻った。
* 1991年(ユニオン) - ブリテン諸島とフランスで開催された第2回ラグビーユニオンワールドカップ決勝(ロンドン、[[トゥイッケナム・スタジアム|トゥイッケナム]])でオーストラリアがイングランドを12対6で破った。
* 1992年(ユニオン) - アパルトヘイトの廃止によりスプリングボクスが国際ラグビーユニオン界に復帰した。
* 1992年(リーグ) - [[ウェンブリー・スタジアム (1923)|ウェンブリー・スタジアム]]で行われたラグビーリーグワールドカップ決勝は73,631人の観衆を集め、オーストラリアがグレートブリテンを10対6で破った。
* 1992年(リーグ) - {{仮リンク|マーティン・オファイア|en|Martin Offiah}}が世界記録の440,000ポンドの移籍金によりウィドネスからウィガンへ移籍した。
* 1993年(リーグ) - アメリカ合衆国は初のラグビーリーグ国際試合でカナダを54対14で破った。
* 1994年(ユニオン) - {{仮リンク|デイヴィッド・ヒンチリフ|en|David Hinchliffe}}議員はラグビーユニオン側のラグビーリーグのアマチュア選手に対する差別を禁止する法案を提出した<ref>{{cite news|title=Do I not like that . . . / Hypocrisy has to end: David Hinchliffe MP explains why he has introduced a Bill to stop rugby union discriminating against the league code |url=http://www.independent.co.uk/sport/do-i-not-like-that-----hypocrisy-has-to-end-david-hinchliffe-mp-explains-why-he-has-introduced-a-bill-to-stop-rugby-union-discriminating-against-the-league-code-1425064.html|author=David Hinchliffe|date=1994-06-26|accessdate=2011-11-25|newspaper=The Independent}}</ref>。
* 1994年(リーグ) - イギリスの三軍はラグビーリーグをスポーツであると認めた。ラグビーリーグは軍において他のスポーツと同じ立場を得た。
* 1995年(ユニオン) - 国際ラグビー評議会はラグビーユニオンが「オープン」プロフェッショナルスポーツであると宣言した。これによって、試合に関係する全ての支払いや手当の制限が撤廃された。
* 1995年(ユニオン) - 南アフリカで開催された第3回ラグビーユニオンワールドカップにおいて、[[ヨハネスブルク]][[エリス・パーク・スタジアム|エリス・パーク]]で行われた決勝で、延長戦の末に南アフリカがニュージーランドを15対12で破った。
* 1995年(リーグ) - ブリテンでワールドカップが復活し、ラグビーリーグ百周年が祝われた。ウェンブリーで行われた決勝でオーストラリアがイングランドに16対8で勝利した。フィジー、トンガ、南アフリカ、西サモアは本大会に出場したが、アイルランド、スコットランド、アメリカ合衆国、ロシア、[[クック諸島]]、[[モルドヴァ]]、[[モロッコ]]は{{仮リンク|ラグビーリーグ新興国トーナメント|en|Rugby League Emerging Nations Tournament}}に参加した。
* 1995年(ユニオン) - ラグビーユニオンのヨーロッパ12クラブによって争われる[[ハイネケン・カップ]]が作られた。
* 1995年(リーグ) - オーストラリアにおけるテレビ放映権に関する紛争の一部として、イギリスのRFLは[[ニューズ・コープ]]からラグビーリーグの[[スーパーリーグ (ラグビーリーグ)|スーパーリーグ]]を新設する87百万ポンドのオファーを受けた。リーグ側は夏シーズン制に移行することを承諾し、{{仮リンク|パリ・ザンジェルマン・ラグビーリーグ|en|Paris Saint-Germain Rugby League}}がイギリスのトップクラブに加わり14チームが参加した。
* 1996年(リーグ) - RFLはラグビーリーグのスーパーリーグにビデオ判定を導入した。
* 1996年(ユニオン) - オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカの間で争われるラグビーユニオンの[[ザ・ラグビーチャンピオンシップ|トライ・ネイションズ]]が始まった。
* 1996年(リーグ・ユニオン) - イングランドのユニオンおよびリーグのそれぞれトップクラブである[[バース・ラグビー]]と[[ウィガン・ウォリアーズ|ウィガンRLFC]]が、それぞれのルールで試合を行うという歴史を作った([[クラッシュ・オブ・ザ・コーズ]]を参照)。最初の試合はマンチェスター、[[メイン・ロード]]においてリーグルールで行われウィガンがバースに82対6で勝利した。2週間後、リターンマッチがトゥイッケナムにおいてユニオンルールで行われ、バースがウィガンに44対19で勝利した。
* 1998年(リーグ) - オーストラリアにおいて、{{仮リンク|スーパーリーグ戦争|en|Super League war}}が終わりを迎え、{{仮リンク|ニューズ・インターナショナル|en|News International}}と{{仮リンク|オーストラリアン・ラグビーリーグ|en|Australian Rugby League}}は彼らの大会を融合させて[[ナショナルラグビーリーグ]]を作ることで合意した。
* 1998年(ユニオン) - [[コモンウェルスゲームズ]]および[[アジア競技大会]]においてラグビーセブンズ競技が始まった。
* 1999年(ユニオン) - [[IRBセブンズワールドシリーズ]]が始まった。
* 1999年(ユニオン) - ウェールズで開催された第4回ラグビーユニオンワールドカップ、カーディフ[[ミレニアム・スタジアム]]で行われた決勝でオーストラリアがフランスを35対12で下した。
* 2000年(ユニオン) - IRBは南半球のスーパー12で試みた後、国際ラグビーユニオンに「シン・ビン」と「テレビジョン・マッチ・オフィシャル」(TMO) を導入した。
* 2000年(ユニオン) - ラグビーユニオンのカリッジリーグはチューリッヒ・プレミアシップとなった。
* 2000年(ユニオン) - ラグビーユニオンのファイブ・ネイションズはイタリアの参加により[[シックス・ネイションズ|シックス・ネイションズ・チャンピオンシップ]]となった。
* 2000年(ユニオン) - スタジアムオーストラリアの世界記録109,874人の観衆の前で、ニュージーランドはオーストラリアをかろうじて破った。
; 21世紀
* 2001年(ユニオン) - ラグビーユニオンのライオンズによるオーストラリア遠征が行われた。ワラビーズはライオンズに初めて勝利した。
* 2003年(ユニオン) - ラグビーユニオンの[[チャーチルカップ]]がカナダ、アメリカ合衆国、イングランド・サクソンズ(イングランド[[A代表 (ラグビー)|A代表]])と招待国1チーム(後に3チーム)によって始まった。
* 2003年(ユニオン) - オーストラリアで開催された第5回ラグビーユニオンワールドカップ、シドニー、スタジアム・オーストラリアで行われた決勝で、イングランドは延長戦の末にオーストラリアを20対16で破った。
* 2003年(リーグ) - ラグビーリーグのヨーロッパ全土への振興のために{{仮リンク|欧州ラグビーリーグ連盟|en|Rugby League European Federation}} (RLEF) が作られた。
* 2006年(リーグ) - フランスのチーム[[カタラン・ドラゴンズ]]にラグビーリーグのスーパーリーグライセンスを与えられた
* 2007年(ユニオン) - フランス、スコットランドおよびウェールズで開催された第6回ラグビーユニオンワールドカップ決勝、[[スタッド・ド・フランス]]において、南アフリカがイングランドを15対6で破った。
* 2008年(リーグ) - ラグビーリーグは2000年大会以来のワールドカップを開催した。
* 2011年(ユニオン) - ニュージーランドで開催された第7回ラグビーユニオンワールドカップ決勝、[[オークランド (ニュージーランド)|オークランド]]、[[イーデン・パーク]]において、ニュージーランドがフランスを8対7で破った。
* 2011年(リーグ) - 14チームが2013ラグビーリーグワールドカップの出場権を得た: オーストラリア、イングランド、ニュージーランド、サモア、ウェールズ、フィジー、フランス、パプアニューギニア、アイルランド、スコットランド、トンガ、クック諸島、イタリア、アメリカ合衆国。
* 2012年(ユニオン) - トライネイションズがアルゼンチンを含んで拡大し、ラグビー・チャンピオンシップに改称された。
* 2015年(ユニオン) - ニュージーランドが第8回ラグビーユニオンワールドカップ決勝でオーストラリアを34対17で下し、初の連覇を達成した。
* 2016年(ユニオン) - アメリカ合衆国の[[PROラグビー]]の初開催シーズン。PROラグビーはわずか1シーズンで解散した。
* 2016年(ユニオン) - 夏季オリンピックで[[7人制ラグビー|ラグビーセブンズ]]競技が開始。
* 2017年(リーグ) - [[トロント・ウルフパック]]が[[カナダ]]初の完全なプロラグビーリーグチームとなった。イギリス/フランスのプロラグビーリーグシステムの3部ディビジョンである[[リーグ1 (ラグビーリーグ)|リーグ 1]]に加入した。
* 2018年(ユニオン) - [[メジャーリーグラグビー]]の初開催シーズン。アメリカ合衆国とカナダのラグビーユニオンチームが参加。
* 2019年(ユニオン) - [[ラグビーワールドカップ]]日本大会が開催。決勝で南アフリカがイングランドを32対12で破り3度目の優勝。
== ルール==
{{Main|ラグビー
ラグビーユニオンとリーグに共通する特徴的な要素には、楕円形のボールの使用や前方へボールを投げることの禁止があり、選手が陣地を得る方法はボールを持って走るかボールを蹴るかしかない。ラグビーリーグではユニオンと分離し以降、より速いペースのよりトライを指向した試合とする目的でルール改正が行われている。 639 ⟶ 215行目:
ユニオンの[[セットプレー]]には、相手選手のパックをボールのポゼッションのために互いに押し合う「[[スクラム (ラグビー)|スクラム]]」や、[[タッチライン]]に対して垂直に平行なラインで並んだ両チームの選手がタッチから投げられたボールをキャッチしようと試みる「[[ラインアウト]]」がある。
リーグのルールにはスクラムはまだ存在しているが、関与する選手が少なく、争われることもほとんどないため重要性が大幅に減少している。セットプレーは一般的にプレー・ザ・ボールの状況から開始される。ラグビーリーグのポジションの多くは[[ == 文化 ==
647 ⟶ 223行目:
オーストラリアでは、ラグビーユニオンおよびラグビーリーグの人気は[[ニューサウスウェールズ州]]、[[クイーンズランド州]]、[[オーストラリア首都特別地域]]に集中している。イングランドと同様の階級間の障壁がリーグとユニオンの間には存在し、これはラグビーユニオンが私立学校で支持され発展してきていることで促進されている<ref name="Collins Paper">Collins, T. (2005). "Australian Nationalism and Working-Class Britishness: The Case of Rugby League Football." History Compass, Vol. 3, No. 1.</ref>。 上記の地域では、ラグビーユニオンが上・中流階級のスポーツ、ラグビーリーグが労働者階級のスポーツと認識されているのに対して、ニュージーランド、ウェールズ、パリを除くフランス、[[コーンウォール]]、[[グロスタシャー]]、[[サマセット]]、[[スコティッシュ・ボーダーズ]]、アイルランドの[[リムリック イギリスでは、ラグビーユニオンのファンはこのスポーツの別称として「rugger」という用語を用いることがある<ref>Rugger:
657 ⟶ 233行目:
=== 季語 ===
[[季語]]としての﹁'''ラグビー'''﹂は、[[冬]]の季語︵三冬の季語︶である{{r|水牛}}<ref name="きごさい">{{Cite web 水牛歳時記によれば、ラグビーが[[俳句]]に詠まれるようになったのは[[昭和]]時代になってからとのこと{{r|水牛}}。特に、[[山口誓子]]が昭和初期にラグビーの句を連作したことがきっかけになって定着したといわれている{{r|水牛}}。 * 例句 - ラグビーの 肉搏
* 例句 - ラグビーの 野辺も稲城も 狐色 山口誓子
* 例句 - ラグビーや 青雲一抹あれば足る [[中村草田男]] {{r|kb}}
669 ⟶ 245行目:
* 例句 - ラガーらの [[雄蕊|雄しべ]]のごとく円となる [[加藤三七子]]
* 例句 - ラグビーや 緑の大地あるかぎり [[長谷川櫂]] 『初雁』
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2
<ref name="kb">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/ラグビー |title=ラグビー |publisher=[[コトバンク]] |author=『[[ブリタニカ百科事典|ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典』、ほか |accessdate=2019-10-10 }}</ref>
}}
== 関連項目 ==
{{ウィキポータルリンク|ラグビー}}
{{sisterlinks|commons=Rugby}}
* [[ラグビーリーグ]](13人制ラグビー)
** [[ラグビーリーグナインズ]]
** [[ラグビーリーグ
** {{仮リンク|タッチ (スポーツ)|en|Touch (sport)}}
** [[車いすラグビー
* [[ラグビーユニオン]](15人制ラグビー) - 日本で一般に「ラグビー」と呼ばれているのは15人制のラグビーユニオンである。
** [[7人制ラグビー]](セブンズ)
** [[10人制ラグビー
** [[
** [[ビーチラグビー]]
**
== 外部リンク ==
* [
* [https://www.japaneserl.com/ Japan RL] {{ja icon}} - [[日本ラグビーリーグ協会]]
* [https://www.world.rugby/ World Rugby] {{en icon}} - [[ワールドラグビー]]
* [https://www.rugby-japan.jp/ JRFU] {{ja icon}} - [[日本ラグビーフットボール協会]]
* {{Kotobank|ラグビー(フットボール)}}
{{スポーツ一覧}}
754 ⟶ 283行目:
{{球技}}
{{フットボールコード}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:らくひい}}
[[Category:ラグビーフットボール|*]]
[[Category:イギリスのスポーツ]]
[[Category:オリンピック競技|廃]]
[[Category:冬の季語]]
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