リー・ラジヴィル
リー・ラジウィル・ロス︵Caroline Lee Bouvier Canfield Radziwill Ross, 1933年3月3日 - ︶は、ソーシャライト。"fashion icon"︵ファッション アイコン、ファッションリーダーのこと︶としても知名度がある。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/07/Lee_Radziwill_in_India.jpg/280px-Lee_Radziwill_in_India.jpg)
リー・ラジウィルとクリシュナ・フーシーシン︵インド、196 2年︶
姓の表記について、ラジヴィルよりもラジヴィウ、あるいは英語ではラジウィルが用いられる。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/07/Lee_Radziwill_in_India.jpg/280px-Lee_Radziwill_in_India.jpg)
経歴
アメリカ東海岸のサウサンプトン生まれ。ジャクリーン・ケネディ・オナシスの実妹で二人姉妹。ブーヴィエ夫妻の次女として生まれ、両親の離婚後は母親に引き取られる。姪っ子の現駐日米国大使キャロライン・ケネディの名前は、"キャロライン"・リー・ブーヴィエ・ラジウィルにちなんで名付けられた[1]。
ミス・ポーターズ・スクールからサラ・ローレンス大学に進み、姉ジャクリーンと共にパリに遊学[2]。
1962年3月、アメリカのファーストレディーとなった姉ジャクリーン・ケネディとイギリス、インド・パキスタン訪問に同行する[2]。
出版王の息子マイケル・キャンフィールド、ポーランドの大貴族ラジヴィウ家の末裔であるスタニスラス・ラジウィル︵スタニスワフ・アルブレフト・ラジヴィウ︶、そして映画監督ハーバート・ロスとの結婚・離婚︵1988年 - 2001年︶と、三回の結婚生活でも知られている。
1953年秋、マイケル・キャンフィールドと結婚し、結婚は姉より先だった。キャンフィールドの母親はアメリカ社交界の花形で後に投身自殺したキキ・プレストン、生物学的な父親はジョージ (ケント公)とされているので、もし、そうであれば、キャンフィールドは英国女王エリザベス2世の従兄弟ということとなる。その後、両人は1959年に離婚したが、ローマ・カトリック教会から﹁"annulment" ︵婚姻無効︶﹂が宣告されたのは1962年11月のことだった[3][4]。
1959年3月19日、二度目の夫であるポーランド大貴族のスタニスラス・ラジウィルと"略式結婚"した。スタニスラス・ラジウィルは二度目の妻グレース・マリア・コリン︵Grace Maria Kolin︶と1958年に離婚したが[5]、リー自身もキャンフィールドとまだ夫婦だった1957年からスタニスラス・ラジウィルと交際していた。なお、リーとスタニスラス双方とも敬虔なカトリック信者だったが、キャンフィールドとは1962年と、その後すぐに婚姻無効が宣告されたのは、義兄ジョン・F・ケネディのおかげだったとのこと[2]。その後、この夫婦も1974年に離婚が成立した[6]。
1960年代にかけて、女優としてのキャリアを求め、シカゴで舞台版﹁フィラデルフィア物語﹂に出演するが、低い評価しか得られなかった。その後、テレビにも出演したが成功したとは言えず、それ以降は芸能活動から遠ざかっている[7]。
彼女の二度目の夫スタニスラス・ラジウィルと暮らしたロンドンの﹁4 Buckingham Place﹂の邸宅︵タウンハウス︶とターヴィルの﹁manor Turville Grange, Oxfordshire﹂の邸宅︵マナーハウス︶は、建築家・ロレンツォ・モンジャルディーノの装飾によるものであった。メディアに取り上げられてから、大衆の憧憬の的となったが、彼女自身も短い期間であったがインテリア・デコレーターとして働いていた時にモンジャルディーノに多くの影響を受けていた。彼女のお客は富裕層ばかりだが、彼女は一度、"一年に三日と家に居たことことがない人達のために"家を装飾したと述べた[8]。
1988年9月23日、彼女の三度目の夫ハーバート・ロス︵ロスにとっては二度目の妻となるが︶とは、2001年に離婚ののちロスはすぐに亡くなった[9]。また、ロスとの結婚後、ジョルジオ・アルマーニと意気投合。彼女の社交界の人脈で﹁GIORGIO ARMANI﹂のPRに動いた[2]。
2003年﹁Happy Times﹂を出版、自らの半生を綴っている。2008年、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を受章した。
2009年、雑誌﹁Elle Décor エル デコ ﹂2009年秋号において、居住するパリ16区とニューヨーク5番街の2つのアパルトマンが特集された[10][11]。
2013年3月、ガーディアン紙で﹁五十代以上のベストドレッサー50人﹂の一人に選ばれた[12]。
2013年6月、ソフィア・コッポラの映画﹁The Bling Ring ブリングリング﹂やロスとの私生活のことについて、コッポラからインタビューされた[13]。
子女
- 長男:アンソニー・スタニスラス・アルバート・ラジウィル - テレビプロデューサー、映画プロデューサー
- 長女:アンナ・クリスチナ・ラジウィル(Anna Christina Radziwill)
参照
脚注
(一)^ IMDb mobile site Caroline Kennedy Biography Trivia (23)
(二)^ abcdELLE ONLINE ︻vol.2︼大統領の消された妹‥アメリカのファッション史を築いたケネディ家の女たちの光と影 2015年11月25日
(三)^ “Roman Catholics: The Law's Delay”. New York City: Time Life. (1964年2月28日) 2009年9月4日閲覧。
(四)^ 。一方、リーの再婚相手となるスタニスラス・ラジヴィウは、前妻グレース・マリア・コリンとの婚姻自体がローマ・カトリック教会からそもそも﹁"acknowledgement" ︵婚姻承認︶﹂されていなかったので、後述のように、リーと共に婚姻無効の申立てをする必要がなかった。ちなみに、スタニスラスは最初︵一度目︶の妻 モンレオン伯爵女ローズ︵Rose de Monléon︶とは1945年に離婚したが、婚姻無効が宣告されたのは1958年になってのことだった。
(五)^ Lundy, Darryl, ed. "Grace Maria Kolin". ThePeerage.com, September 28, 2010
(六)^ "For Princess Lee Radziwill, It's the End of a Marriage" "People", July 29, 1974
(七)^ Clarke, Gerald. Capote: A Biography (New York: Simon and Schuster, 1988), pages 388–389.
(八)^ New York Magazine, "The Decorating Establishment" February 12, 1979.
(九)^ “Lee Bouvier Radziwill Weds Herbert Ross, Film Director”. New York Times. (1988年9月24日) 2007年6月21日閲覧。
(十)^ ELLE DECOR APRIL 2009 120 Frequent Flyer With flowery fabrics and Indian accents, Lee Radziwill's Paris and Manhattan homes are two of a kind. By Mitchell Owens
(11)^ ARCHITECTUAL DIGEST Inside the Fifth Avenue Apartment of Lee Radziwill 2016年7月5日
(12)^ Cartner-Morley, Jess; Mirren, Helen; Huffington, Arianna; Amos, Valerie (2013年3月28日). “The 50 best-dressed over 50s”. The Guardian (London)
(13)^ Radziwell, Lee (2013年6月9日). “In Praise of Privacy”. The New York Times Style Magazine 2013年6月10日閲覧。