「レクイエム (モーツァルト)」の版間の差分

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{{出典の明記| date = 2022年9月}}
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{{参照方法|date=2022年9月}}
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| topic = 全曲を試聴する
| audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=6McsTZ0CGmI MozartRequiem] - [[:en:Richard Egarr|]][[:en:Orquesta Sinfónica de Galicia|]] YouTube
| audio2 = [https://www.youtube.com/watch?v=Dp2SJN4UiE4 MozartRequiem] - [[:en:James Gaffigan (conductor)|]][[]] [[|France Musique]]YouTube
| audio3 = [https://www.youtube.com/watch?v=0J48Jag6YI8 Mozart:Requiem KV_626] - [[:en:Harry Christophers|ハリー・クリストファーズ]]指揮[[:en:Netherlands Radio Chamber Philharmonic|オランダ放送室内フィルハーモニー]]他による演奏。[[オランダ公共放送|NPO Radio 4]]公式YouTube。
| audio4 = [https://www.youtube.com/watch?v=JS9hS-PW8Rg Mozart - Requiem in D minor K.626] - [[ナタリー・シュトゥッツマン]]指揮サンパウロ州立交響楽団他による演奏。当該指揮者自身の公式YouTube。
| audio5 = [https://www.youtube.com/watch?v=kBkr7JF1ur4 Mozart Requiem] - ピーター・ヤン・ルーシンク(Pieter Jan Leusink)指揮オランダ・バッハ管弦楽団(Bach Orchestra of the Netherlands)他による演奏。Beleef Klassiek《コンサート・マネジメント会社》公式YouTube。
| audio6 = [https://www.youtube.com/watch?v=hwDCAvoPXOU W.A.Mozart Requiem K.626] - ハム・シンイク(咸信益)指揮次世代交響楽団(Symphony S.O.N.G)、韓国国立合唱団他による演奏。次世代交響楽団公式YouTube。
}}
{{Portal クラシック音楽}}
'''レクイエム ニ短調'''(独語名:''Requiem in d-Moll'')[[ケッヘル番号|K. 626]]は、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]](1756年 - 1791年)が作曲した[[レクイエム]](死者のための[[ミサ曲]])である。モーツァルトの最後の作品であり、モーツァルトの死によって作品は未完のまま残され、弟子の[[フランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤー]]により補筆完成された。
 
しばしば、[[レクイエム (ヴェルディ)|ヴェルディ]]、[[レクイエム (フォーレ)|フォーレ]]の作品とともに「三大レクイエム」の一つに数えられる。
 
== 作曲の経緯 ==
[[Image:K626 Requiem Mozart.jpg|thumb|right|300px|楽曲冒頭、第1曲「レクイエム・エテルナム」最初の部分の自筆譜]]
[[1791年]]、モーツァルトは[[ウィーン]]の聴衆の人気を失い、苦しい生活を送っていた。旧知の[[エマヌエル・シカネーダー|シカネーダー]]一座から注文を受けた[[ジングシュピール]]『[[魔笛]]』K. 620の作曲をほぼ終えたモーツァルトは、[[プラハ]]での[[ボヘミア王国|ボヘミア]]王としての皇帝[[レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト2世]]の戴冠式で上演する[[オペラ・セリア]]『[[皇帝ティートの慈悲]]』K. 621の注文を7月末に受け、これを優先して作曲する。ジュースマイヤーに[[レチタティーヴォ]]の部分を手伝わせてようやく完成の目処が立ち、8月末にプラハへ出発する直前、見知らぬ男性が彼を訪ねた。男性は匿名の依頼主からの[[レクイエム]]の作曲を依頼し、高額な報酬の一部を前払いして帰っていった<ref group="注">作曲の依頼時期は伝記などでは7月説もある。本稿ではより合理的なH. C. ロビンズ・ランドンの説を採用した(末尾の参考文献)</ref>。
 
9月中旬、プラハから戻ったモーツァルトは『魔笛』の残りを急いで書き上げ、[[9月30日]]の初演に間に合わせる。その後、レクイエムの作曲に取りかかるが、体調を崩しがちとなり、11月20日頃には床を離れられなくなってしまう。12月になると病状はさらに悪化して、モーツァルトは再び立ち直ることなく[[12月5日]]の未明に他界する(享年35)。彼の葬儀は12月6日に[[シュテファン大聖堂]]の十字架チャペルで行われ、4日後の10日には[[エマヌエル・シカネーダー]]などの勧めにより[[ホーフブルク宮殿]]の前にある皇帝用の[[聖ミヒャエル教会 (ウィーン)|聖ミヒャエル教会]]での[[ミサ]]で「レクイエム」の「初演」がそれまで完成した形(第2曲以下を[[クワイアー]]は斉唱)で行われた。<ref>Mozart『Requiem』(Baerenreiter-Verlag Karl Voetterle GmbH、2017)のChristoff Wolffによる前書き</ref>
 
モーツァルトの死後、未亡人[[コンスタンツェ・モーツァルト|コンスタンツェ]]と再婚した[[ゲオルク・ニコラウス・ニッセン]]の著したモーツァルト伝などにより、彼は死の世界からの使者の依頼で自らのためにレクイエムを作曲していたのだ、という伝説が流布した。当時、依頼者が公になっていなかったことに加え、[[ロレンツォ・ダ・ポンテ]]に宛てたとされる有名な書簡において、彼が死をいかに身近に感じているかを語り、灰色の服を着た使者に催促されて自分自身のためにレクイエムを作曲していると書いているのである。いかにも夭折した天才にふさわしいエピソードとして長らく語られてきたが、1964年になってこの匿名の依頼者が{{仮リンク|フランツ・フォン・ヴァルゼック|en|Franz von Walsegg}}伯爵という田舎の領主であること、使者が伯爵の知人フランツ・アントン・ライトゲープ (Franz Anton Leitgeb) という人物であることが明らかになった。ヴァルゼック伯爵はアマチュア音楽家であり、当時の有名作曲家に匿名で作品を作らせ、それを自分で写譜した上で自らの名義で発表するという行為を行っていた。彼が1791年2月に若くして亡くなった妻の追悼のために、モーツァルトにレクイエムを作曲させたというのが真相だった。したがって、何ら神秘的な出来事が起こったわけではない。ただ、モーツァルトが自身が死へと向かう病床にあってなおレクイエムの作曲をしていたのは事実である。コンスタンツェの妹ゾフィーは、モーツァルトが最後までベッドでジュースマイヤーにレクイエムについての作曲指示をし、臨終はまだ口でレクイエムのティンパニの音をあらわそうとするかのようだったと姉アロイジアとニッセン夫妻に宛てた手紙の中で述べている。なお、イタリア語で書かれたダ・ポンテ宛ての手紙は偽作説も有力である。というのも、イギリスに滞在していたダ・ポンテが見知らぬ男性のことを知り得ないはずだから、というのが主な根拠である。
 
{{quotation|
:'''ダ・ポンテ宛の手紙'''
::姿姿}}
 
この文は全文がイタリア語で書かれており、死の年の9月に書かれたとされるが、自筆の書簡は失われており、偽作という疑いも強い。なお、初めの文での「あなたの申し出」とはダ・ポンテがモーツァルトにイギリス行きを勧誘したことであり、後半の「死の歌(カント・フネープレ)」というのはもちろん、レクイエムのことである。また、この手紙が一般にダ・ポンテ宛てだと言われているのは、全文がイタリア語で書かれているということからの推測に過ぎず、確固たる根拠はない。
 
== 作品の補筆から初演・出版 ==
[[Image:Constanze Mozart by Lange 1782.jpg|thumb|right|100px|コンスタンツェ]]
モーツァルトの死後、貧窮の中に残されたコンスタンツェは、収入を得る手段としてこの作品を完成させることを望んだ。まず、モーツァルトも高く評価していた[[ヨーゼフ・アイブラー]]が補作を進めるが、なぜか8曲目の途中までで放棄する。作業は他の弟子、[[:de:Franz Jakob Freystädtler|ヤコプ・フライシュテットラー]]およびジュースマイヤーに委ねられ、ジュースマイヤーが改めて一から補筆を行って最終的に完成させた。完成した[[総譜]]は作品を受け取りに来た使者ライトゲープを通じてヴァルゼック伯爵に引き渡され、コンスタンツェは作曲料の残りを得た。
 
伯爵は自分の作品であるとして、[[1793年]][[12月14日]]にウィーンのノイクロスター教会において自身の指揮でこの曲を演奏したが、コンスタンツェは手元に残した写譜から亡夫の作品として出版する。このため後に伯爵が抗議するという一幕もあったというが、モーツァルトの名声はすでに高まりつつあり、この作品はモーツァルトの作品として広く認知されるようになった。なお、{{仮リンク|ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン|de|Gottfried Freiherr van Swieten}}男爵の計らいで、コンスタンツェのために[[1793年]][[1月2日]]に本当の初演が行われたという説がある。
 
典礼の際に利用するため、「リベラ・メ」【我を救い給え】の補作が行われることがあった。著名なものに、[[1819年]]に[[リオ・デ・ジャネイロ]]で演奏するために作曲された[[ジギスムント・フォン・ノイコム]]によるものと、[[1827年]]の[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の葬儀で演奏された[[イグナーツ・フォン・ザイフリート]]によるものがある<ref>{{Cite web|和書|url =https://archive.is/dtrpQ |title =知性派古楽奏者スホーンデルヴィルトによる新しいモーツァルトのレクィエム |publisher =lohaco.jp |date = |accessdate =2018-11-21}}</ref>。
=
 
== 作品の概要 ==
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|description2 = [[ブルーノ・ワルター]]指揮[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団|ウィーン・フィル]]他。[[1956年]][[ザルツブルク音楽祭]]に於いて。
}}
 
=== イントロイトゥス【入祭唱】 ===
:'''第1曲 レクイエム・エテルナム'''【永遠の安息を】 ([[ニ短調]] アダージョ 4分の4[[拍子]] 合唱・ソプラノ独唱)
::全曲中唯一モーツァルト自身の手で最後まで完成されている曲。冒頭のD-C#-D-E-F…の動機は全曲に渡って用いられている。第2曲へ休みなく続く。
:'''第2曲 キリエ'''【憐れみの賛歌】 (ニ短調 アレグロ 4分の4拍子 合唱)
::壮大な二重フーガ。
 
=== セクエンツィア【続唱】 ===
[[Image:Manuscript of the last page of Requiem.jpg|thumb|right|300px|第8曲「ラクリモーサ」最初の部分の自筆譜]]
:'''第3曲 ディエス・イレ'''【怒りの日】 (ニ短調 アレグロ・アッサイ 4分の4拍子 合唱)
::全曲中特に有名な曲で、テレビや映画などでよく用いられている。
:'''第4曲 トゥーバ・ミルム'''【奇しきラッパの響き】 ([[変ロ長調]]→[[ヘ短調]] アンダンテ 2分の2拍子 バス、テノール、アルト、ソプラノ独唱・四重唱)
::歌詞の通り、[[トロンボーン]]に導かれてバスが最後の審判について歌う。
:'''第5曲 レックス・トレメンデ'''【恐るべき御稜威の王】 ([[ト短調]] グラーヴェ 4分の4拍子 合唱)
::「グラーヴェ」はジュースマイヤーの指定。彼以降の補筆版(後述)では、速いテンポで演奏されることが多い。
:'''第6曲 レコルダーレ'''【思い出したまえ】 ([[ヘ長調]] アンダンテ 4分の3拍子 四重唱)
:'''第7曲 コンフターティス'''【呪われ退けられし者達が】 ([[イ短調]] アンダンテ 4分の4拍子 合唱)
::第5曲同様、他の補筆版では速いテンポで演奏されることが多い。
:[[ラクリモーサ (レクイエム)|'''第8曲 ラクリモーサ'''【涙の日】]] (ニ短調 ラルゲット 8分の12拍子 合唱)
::モーツァルトの絶筆(8小節、"judicandus homo reus:" まで)。9小節以降はジュースマイヤーの補筆であるが、作曲は必ずしも曲順に進められるわけではないため、後述の通り、続く第9、10曲も第3~7曲同様、旋律や和声など主要な部分はモーツァルトの作曲である。
 
=== オッフェルトリウム【奉献文】 ===
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:'''第14曲 ルックス・エテルナ'''【永遠の光】 (ニ短調 アダージョ 4分の4拍子 ソプラノ独唱・合唱)
 
=== 曲構成・作曲内容 ===
合唱部分は全て混声四部合唱で、四重唱はソプラノからバスまでの独唱者による。
 
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2[[|]]379108811稿1412[[]]
 
1'''D-C#-D-E-F-G-F-E-D'''''''''稿[[]]Wenn mein Stündlein vorhanden ist[[]][[]][[_()|]]'''F-E-G-F'''
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[[|]][[]]CD使
 
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: {{||en|Duncan Druce}}189-102使
; その他
: [[|]][[1941]]Tamás[[2005]]<ref>{{Cite web |url =https://www.ph-publishers.com/autor_info.php?manufacturers_id=87 |title =Mozart's Requiem from Pánczél Tamás|publisher =www.ph-publishers.com |date = |accessdate =2018-11-21}}</ref>Cohrs[[2013]]<ref>{{Cite web |url =https://bachtrack.com/review-dortmund-mozart-requiem-benjamin-gunnar-cohrs |title =Mozart's Requiem renewed by Benjamin-Gunnar Cohrs in Dortmund |publisher =bachtrack.com |date = |accessdate =2018-11-21 }}</ref>Dutron[[2017]]<ref>{{Cite web |url =https://www.prestomusic.com/classical/articles/1929--recording-of-the-week-mozarts-requiem-from-rene-jacobs |title =Mozart's Requiem from René Jacobs|publisher =www.prestomusic.com |date = |accessdate =2018-11-21}}</ref>[[]][[2013]]<ref>{{Cite web ||url =http://www.schottjapan.com/news/2017/170404_100846.html |title =  |publisher =www.schottjapan.com |date = |accessdate =2018-11-21 }}</ref>
 
== その他 ==
本作品は弟子による補作によっているとはいえ、モーツァルトの傑作の一つとしてしばしば演奏される。演奏会だけでなく、ミサ曲本来の目的である死者の追悼のためにも使われてきた。<br />
[[フレデリック・ショパン|ショパン]]の葬儀でも演奏され、[[カトリック教会|カトリック]]信者であったアメリカ合衆国大統領[[ジョン・F・ケネディ]]の追悼ミサでも[[エーリヒ・ラインスドルフ]]が指揮して演奏が行われた。<br />
また、1991年にはモーツァルト没後200年ミサが[[ゲオルク・ショルティ]]指揮、ハンス・ヘルマン・グローエル[[枢機卿]]の司式で、ランドン版を用いて執り行われた<ref>{{Cite web |url=https://tower.jp/item/3629634/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%9A-%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0%EF%BC%9C%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E9%99%90%E5%AE%9A%EF%BC%9E |title=ゲオルグ・ショルティ/モーツァルト:レクイエム<タワーレコード限定> |website=[[タワーレコード|タワーレコード オンライン]] |accessdate=2020-10-12 |quote=当該ページ中程左半分「収録内容」項記載内容から}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%881756-1791%EF%BC%89_000000000018888/item_%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%A0-%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%EF%BC%86%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B4%EF%BC%88DVD%EF%BC%89_1874267 |title=レクィエム ショルティ&ウィーン・フィル シュテファン大聖堂ライヴ(DVD):モーツァルト(1756-1791) |website=[[HMV#日本|HMV&BOOKS online]] |accessdate=2020-10-12 |quote=当該ページ中程左半分「商品説明」項記載内容から}}</ref>。<br />
 
[[|]][[1964]]119[[|]][[F]]<ref group="">19631125{{|F|en|State funeral of John F. Kennedy}}</ref>[[]][[]]<brref>{{Cite web|url=https://www.thebostonpilot.com/article.php?ID=16816 |title=JFK memorial 'Requiem' to be performed at cathedral Jan. 19 |publisher=Pilot |accessdate=2024-03-26}}</ref>
[[アカデミー賞]]の[[アカデミー作品賞|作品賞]]はじめ8部門や[[ゴールデングローブ賞]]など多数受賞したモーツァルトを描いた映画『[[アマデウス (映画)|アマデウス]]』(1984年)において、[[アントニオ・サリエリ|サリエリ]]にレクイエムの第7曲を口述筆記させるモーツァルトの作曲シーンがあるが、これは史実ではなくフィクションであり、サリエリとレクイエムに関わりはない。この映画にはモーツァルトの楽曲が全編に渡って多数使われているが、バイヤー版、ジュースマイヤー版の両方で録音を発表している音楽監督の[[ネヴィル・マリナー]]は、この映画では2つの版を混成で使用しており、特にモーツァルト埋葬の場面でバイヤー版の特徴が現れている。
 
[[1989年]]7月23日にはザルツブルグ大聖堂において[[指揮者]]の[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]の追悼ミサで[[リッカルド・ムーティ]]指揮、[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]によって演奏が行われた<ref>{{Cite web|url=https://www.wienerphilharmoniker.at/ja/konzerte/salzburg-festivalrequiem-for-karajan/2545/ |title=Salzburg Festival/Requiem for Karajan |publisher=Vienna Philharmonic |accessdate=2023-12-17}}</ref>。
 
また、1991年にはモーツァルト没後200年ミサが[[ゲオルク・ショルティ]]指揮、ハンス・ヘルマン・グローエル[[枢機卿]]の司式で、ランドン版を用いて執り行われた<ref>{{Cite web |和書|url=https://tower.jp/item/3629634/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%9A-%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0%EF%BC%9C%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E9%99%90%E5%AE%9A%EF%BC%9E |title=ゲオルグ・ショルティ/モーツァルト:レクイエム<タワーレコード限定> |website=[[タワーレコード|タワーレコード オンライン]] |accessdate=2020-10-12 |quote=当該ページ中程左半分「収録内容」項記載内容から}}</ref><ref>{{Cite web |和書|url=https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%881756-1791%EF%BC%89_000000000018888/item_%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%A0-%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%EF%BC%86%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B4%EF%BC%88DVD%EF%BC%89_1874267 |title=レクィエム ショルティ&ウィーン・フィル シュテファン大聖堂ライヴ(DVD):モーツァルト(1756-1791) |website=[[HMV#日本|HMV&BOOKS online]] |accessdate=2020-10-12 |quote=当該ページ中程左半分「商品説明」項記載内容から}}</ref>。<br />
 
[[]][[|]]8[[]][[ ()|]]1984[[|]]7使[[]]2使
 
== 脚注 ==
{{脚注の使い方}}
 
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
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[[Category:絶筆作品の楽曲]]
[[Category:ニ短調]]
[[Category:1791年の]]