「レクイエム (ヴェルディ)」の版間の差分

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[[Image:Requiem (Verdi) Titelblatt (1874).jpg|thumb|right|240px|初版楽譜表紙 (1874年)]]
{{クラシック音楽}}
{{External media
[[ジュゼッペ・ヴェルディ]]の作曲した'''[[レクイエム]]'''(原題:'''Messa da Requiem''' per l'anniversario della morte di Manzoni 「マンゾーニの命日を記念するためのレクイエム」)は、[[カトリック教会|カトリック]]の[[ミサ曲]]のひとつである。[[イタリア]]の文豪[[アレッサンドロ・マンゾーニ]]を追悼する目的で作曲され、マンゾーニの一周忌にあたる[[1874年]][[5月22日]]、[[ミラノ]]、サン・マルコ教会で初演された。しばしば、[[レクイエム (モーツァルト)|モーツァルト]]、[[レクイエム (フォーレ)|フォーレ]]の作品とともに「[[世界三大一覧#文化・芸術|三大レクイエム]]」の一つに数えられると共に、[[#評価|後述]]のとおり(好悪両面において)「最も華麗なレクイエム」と評される。
| width = 310px
| topic = 全曲を試聴する
| audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=QoyVfPcE3ks Verdi:Messa da Requiem] - [[セミヨン・ビシュコフ]]指揮[[ケルンWDR交響楽団]]他による演奏。ケルンWDR交響楽団公式YouTube。
| audio2 = [http://csosoundsandstories.org/simulcast-of-verdis-requiem-oct-10-2013/ Verdi’s Requiem] - [[リッカルド・ムーティ]]指揮[[シカゴ交響楽団]]・交響合唱団他による演奏。シカゴ交響楽団公式Webサイトより。
| audio3 = [https://www.youtube.com/watch?v=IYaCLAqVZlI VERDI - Requiem] - パブロ・ゴンザレス([[:en:Pablo González Bernardo|Pablo González]])指揮カタルーニャ国立バルセロナ交響楽団〔[[:en:Barcelona Symphony and Catalonia National Orchestra|Orquestra Simfònica de Barcelona i Nacional de Catalunya (OBC)]]〕他による演奏。 当該楽団首席[[ファゴット]]奏者(Silvia Coricelli)の公式YouTube。
| audio4 = [https://www.youtube.com/watch?v=ZgWUszBQgfw Giuseppe Verdi - Requiem] - Enoch zu Guttenberg指揮European Symphony Orchestra、Neubeuern Choral Societyによる演奏。LOFTmusic公式YouTube。
| audio5 = [https://www.youtube.com/watch?v=L-n1zucCrSc Verdi:Messa di Requiem] - [[クラウディオ・アバド]]指揮[[ローマ・イタリア放送交響楽団]](現・[[RAI国立交響楽団]])他による演奏。International Belcanto Academy公式YouTube。
}}
{{Portal クラシック音楽}}
[[ジュゼッペ・ヴェルディ]]の作曲した'''[[レクイエム]]'''(原題:'''Messa da Requiem''' per l'anniversario della morte di Manzoni 「マンゾーニの命日を記念するためのレクイエム」)は、[[カトリック教会|カトリック]]の[[ミサ曲]]のひとつである。[[イタリア]]の文豪[[アレッサンドロ・マンゾーニ]]を追悼する目的で作曲され、マンゾーニの一周忌にあたる[[1874年]][[5月22日]]、[[ミラノ]]、サン・マルコ教会で初演された{{Sfn|井上|1998|p=73}}。しばしば[[レクイエム (モーツァルト)|モーツァルト]]、[[レクイエム (フォーレ)|フォーレ]]の作品とともに「[[世界三大一覧#芸術・文化|三大レクイエム]]」の一つに数えられると共に、[[#評価|後述]]の理由から(好悪両面において)「最も華麗なレクイエム」と評される。
 
== 作曲の経緯 ==
=== 前史:「ロッシーニのためのレクイエム ===
1830[[]]
 
[[1868]][[]]12{{Sfn||1998|p=73}}18691113[[]][[]]{{Sfn||1998|p=73}}[[]]{{Sfn||1998|p=73}}
 
1998{{Sfn||2005|p=3}}
=== マンゾーニ ===
小説「いいなずけ」(''I promessi sposi'' )で今日でも有名なイタリアの文豪、[[アレッサンドロ・マンゾーニ]]は、ヴェルディが青年時代より通じて最も敬愛していた小説家であった。マンゾーニがナポレオンの死を悼んで詠んだ詩「五月五日」(''Il cinque maggio'' )に対して、1830年頃、まだ10代のヴェルディは曲を付けている(後年ヴェルディ自身によって楽譜は破棄されたらしく、現存しない)。ヴェルディがオペラ作曲家として名を成して以降も、あまりに尊崇の念が強かったため、知遇を得る機会はいくらでもあったにもかかわらず会いに行けず、1868年になってようやくミラノで面会し言葉を交わす、といったほどであったという。
 
=== マンゾーニのためのレクイエム ===
そのマンゾーニの死([[1873年]]5月22日)はヴェルディに深い悲しみをもたらした。ヴェルディはその個人的なショックが深かったことと、自らが参列することで厳粛な空気が乱されることを恐れて、葬儀には列席しなかったが、同年6月3日個人的にマンゾーニの墓地を訪れて追悼を行った。そしてこの時点までに、新たな「マンゾーニ追悼のレクイエム」の構想を固めたらしい。ヴェルディは楽譜出版社[[リコルディ]]社の総帥、[[リコルディ#ジューリオの時代|ジューリオ・リコルディ]]を通じて[[ミラノ]]市長にレクイエムの提案を行っている。ヴェルディからの条件は、初演の演奏に要する費用を市側が負担してくれれば、楽譜印刷の費用はヴェルディが支出しよう、というものであり、市長もそれを了承した。前回の「ロッシーニ」に懲りてか、ヴェルディはすべて単独で作業を進める心積もりだったようである。
[[Image:Francesco Hayez - Ritratto di Alessandro Manzoni.jpg|thumb|right|200px|アレッサンドロ・マンゾーニ]]
小説「[[いいなづけ (マンゾーニの小説)|いいなずけ]]」(''I promessi sposi'' )で知られるイタリアの文豪、[[アレッサンドロ・マンゾーニ]]は、ヴェルディが青年時代より通じて最も敬愛していた小説家であった。マンゾーニが[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の死を悼んで詠んだ詩「五月五日」(''Il cinque maggio'' )に対して、1830年頃、まだ10代のヴェルディは曲を付けている(後年ヴェルディ自身によって楽譜は破棄されたらしく、現存しない)。ヴェルディがオペラ作曲家として名を成して以降も、あまりに尊崇の念が強かったため、知遇を得る機会はいくらでもあったにもかかわらず会いに行けず、1868年になってようやくミラノで面会し言葉を交わす、といったほどであったという。
 
そのマンゾーニの死([[1873年]]5月22日)はヴェルディに深い悲しみをもたらした。ヴェルディはその個人的なショックが深かったことと、自らが参列することで厳粛な空気が乱されることを恐れて、葬儀には列席しなかったが、同年6月3日個人的にマンゾーニの墓地を訪れて追悼を行った。そしてこの時点までに、新たな「マンゾーニ追悼のレクイエム」の構想を固めたらしい。ヴェルディは楽譜出版社[[リコルディ]]社の総帥、[[リコルディ#ジュリオの時代|ジューリオ・リコルディ]]を通じて[[ミラノ]]市長にレクイエムの提案を行っている。ヴェルディからの条件は、初演の演奏に要する費用を市側が負担してくれれば、楽譜印刷の費用はヴェルディが支出しよう、というものであり、市長もそれを了承した。前回の「ロッシーニ」に懲りてか、ヴェルディはすべて単独で作業を進める心積もりだったようである。
 
1873[[]]4[[]][[]][[1867]]
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*管弦楽
**木管 [[フルート]] 3([[ピッコロ]]持ち替え 1)、[[オーボエ]] 2、[[クラリネット]] 2、[[ファゴット]] 4
**金管 [[ホルン]] 4、[[トランペット]] 4、[[トロンボーン]] 3、[[オフィクレイド]] 1(現在は[[チンバッソ]]で代奏)
**打楽器 [[ティンパニ]](4個)、[[バスドラム]]
**[[弦五部]]
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== 楽曲構成 ==
{{試聴
|header = 全曲
|type = music
|filename = ICBSA Verdi - Messa da requiem parte 01, Requiem aeternam.ogg
|title = Requiem æternam(レクイエム)
|filename2 = ICBSA Verdi - Messa da requiem parte 02, Kyrie eleison.ogg
|title2 = Kyrie eleison(キリエ)
|description2 = Orchestra and Choir of Teatro Reale dell'Opera di Roma
|filename3 = ICBSA Verdi - Messa da requiem parte 03, Dies irae.ogg
|title3 = Dies Iræ(怒りの日)
|filename4 = ICBSA Verdi - Messa da requiem parte 04, Tuba mirum.ogg
|title4 = Tuba mirum(くすしきラッパの音)
|filename5 = ICBSA Verdi - Messa da requiem parte 06, Quid sum miser.ogg
|title5 = Liber Scriptus(書き記されし書物は)
 
|filename6 = ICBSA Verdi - Messa da requiem parte 07, Rex tremendae.ogg
|title6 = Rex tremendæ(御稜威の大王)
 
|filename7 = ICBSA Verdi - Messa da requiem parte 08, Recordare.ogg
|title7 = Recordare(思い給え)
 
|filename8 = ICBSA Verdi - Messa da requiem parte 09, Ingemisco.ogg
|title8 = Ingemisco(我は嘆く)
}}
=== {{lang|lt|Requiem et Kyrie}}(レクイエムとキリエ) ===
;{{lang|lt|Requiem æternam}}(レクイエム)
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;{{lang|lt|Dies Iræ}}(怒りの日)
:[[ト短調]]、4分の4拍子、アレグロ・アジタート
:(Dies Iræ)(Quid sum miser)(Lacrymosa)(Libera me)
;{{lang|lt|Tuba mirum}}(くすしきラッパの音)
:[[変イ短調]]、アレグロ・ソステヌート
:バスと合唱。冒頭にトランペットの[[バンダ (オーケストラ)|バンダ]]を伴う盛大な[[ファンファーレ]]がある。
;{{lang|lt|Mors stupebit}}(審判者に答えるために)
63 ⟶ 104行目:
;{{lang|lt|Confutatis maledictis}}(判決を受けた呪われし者)
:バスによる独唱。
;[[ラクリモーサ (レクイエム)|{{lang|lt|Lacrymosa}}(涙の日)]]
:[[変ロ短調]]→[[変ロ長調]]、4分の4拍子、ラルゴ
:4重唱と合唱からなる。『[[ドン・カルロ]]』[[パリ]]初演([[1867年]])時に演奏時間の都合でカットされた部分(ロデリーグの非業の死を受けてのフィリップ王とカルロとの2重唱)の転用。
 
92 ⟶ 133行目:
 
== 初演と各地での再演 ==
[[Image:Verdi Requiem poster 1874.jpg|thumb|right|240px|初演の3日後にスカラ座で行われた『レクイエム』公演の告知ポスター]]
初演はマンゾーニの一周忌に当たる1874年5月22日、[[ミラノ]]市のサン・マルコ教会で挙行された。この教会は音響が良いことからヴェルディ自身が選択したと伝えられる。指揮はヴェルディ自身、管弦楽は[[スカラ座]]のオーケストラを中心とする100名、合唱は120名という。ソリストはテレーザ・ストルツ([[ソプラノ]])、マリア・ヴァルトマン([[メゾソプラノ]])、ジュゼッペ・カッポーニ([[テノール]])、アルマンド・マイーニ([[バス (声域)|バス]])である。うちストルツ、ヴァルトマン、カッポーニは1872年に行われた『[[アイーダ]]』イタリア初演(スカラ座)で主役を歌った3人であり、またストルツはこの頃ヴェルディの公然の愛人でもあった。
1874522[[]]{{|()|label=|it|Chiesa_di_San_Marco_(Milano)}}[[]]100120[[]][[]][[]][[ ()|]]1872[[]]3
 
3日後の第2回目の公演からは会場をスカラ座に移し、ヴェルディが1度、若手ながら名指揮者の[[フランコ・ファッチョ]]がさらに2度の演奏を行った。
 
[[|]][[1874]]1117[[]][[]][[]]18747187581875[[]][[]]18754[[]]31,200[[]]
 
== 評価 ==
{{Sfn||2005|p=2}}
 
1874522[[]][[]]{{Sfn||2005|p=2}}[[]]鹿{{Efn|[[]]}}
 
ロンドン初演時も「[[レクイエム (モーツァルト)|モーツァルトのレクイエム]]以来の傑作」とする新聞評もある一方で、「絶叫するばかりのコーラス」「怒号の連続」「正常な神経の持主がこの詩句と同時に受け入れることのできるメロディーはどこにも聴かれなかった」などと酷評するものもあった。
 
{{||en|Cecilian Movement}}{{Sfn||2005|p=4}}
これらの批評のうちには妥当なものもあるだろう。オペラで培ってきた劇的表現はこのレクイエムにも随所にみられるし、ヴェルディ自身が第2回公演以降は演奏場所をスカラ座に移したことからみても、彼自身このレクイエムを「教会の音楽」というより「劇場、あるいはコンサートで演奏すべきもの」と考えていた可能性が高い。もっともヴェルディは
 
:「このミサ曲をオペラと同じように歌ってはいけません。オペラでは効果のあるかも知れない音声装飾(''coloriti'')はここでは私の趣味ではないのです」(1874年4月26日、ジューリオ・リコルディ宛書簡)
これらの批評のうちには妥当なものもあるだろう。オペラで培ってきた劇的表現はこのレクイエムにも随所にみられるし、ヴェルディ自身が第2回公演以降は演奏場所をスカラ座に移したことからみても、彼自身このレクイエムを「教会の音楽」というより「劇場、あるいはコンサートで演奏すべきもの」と考えていた可能性が高い{{Sfn|コールス|2005|p=5}}。もっともヴェルディは<blockquote>「このミサ曲をオペラと同じように歌ってはいけません。オペラでは効果のあるかも知れない音声装飾(''coloriti'')はここでは私の趣味ではないのです」(1874年4月26日、ジューリオ・リコルディ宛書簡)</blockquote>とも述べており、彼がオペラとこのレクイエムを完全には同一視していなかったのもまた事実である。
とも述べており、彼がオペラとこのレクイエムを完全には同一視していなかったのもまた事実である。
 
[[ ()|]][[ ()|]]
 
ヴェルディのもっともよき理解者であった妻ジュゼッピーナは、夫のレクイエムに寄せられた多くの賛否の評論に辟易して次のような書簡を友人に送っている。<blockquote>「人々は宗教的精神がモーツァルトの、[[ケルビーニ]]の、あるいは他の作曲家のレクイエムに比べて多いの少ないの、などと論じています。私に言わせれば、ヴェルディのような人はヴェルディのように書くべきなのです。つまり、彼がどう詩句を感じ、解釈したのかに従って書くということです。仮に宗教にはその始まり、発展そして変化というものが時代と場所に応じてあるのだ、ということを認めるならば、宗教的精神とその表現方法も、時代と作者の個性に応じて変化しなければならないでしょう。私自身はヴェルディのレクイエムがA氏の、B氏のあるいはC氏の影響を受けなければならないのだとしたら、そんなものは懲り懲りです。」</blockquote>音楽学者の{{日本語版にない記事リンク|ベンヤミン=グルナー・コールス|de|Benjamin-Gunnar Cohrs}}は、こうした作品がオペラ的か宗教的かという議論は古臭い議論とした上で、この作品がいかなる価値観とも無縁と認め、人間の死と運命という主題を感動的で普遍的な方法で扱った音楽として見ることを主張している{{Sfn|コールス|2005|p=5}}。
ヴェルディのもっともよき理解者であった妻ジュゼッピーナは、夫のレクイエムに寄せられた多くの賛否の評論に辟易して次のような書簡を友人に送っている。
:「人々は宗教的精神がモーツァルトの、[[ケルビーニ]]の、あるいは他の作曲家のレクイエムに比べて多いの少ないの、などと論じています。私に言わせれば、ヴェルディのような人はヴェルディのように書くべきなのです。つまり、彼がどう詩句を感じ、解釈したのかに従って書くということです。仮に宗教にはその始まり、発展そして変化というものが時代と場所に応じてあるのだ、ということを認めるならば、宗教的精神とその表現方法も、時代と作者の個性に応じて変化しなければならないでしょう。私自身はヴェルディのレクイエムがA氏の、B氏のあるいはC氏の影響を受けなければならないのだとしたら、そんなものは懲り懲りです。」
 
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references group="注釈" />
 
=== 出典 ===
{{Reflist}}
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== 参考文献 ==
{{脚注の不足|section=1|date=2024年4月1日 (月) 15:36 (UTC)}}
*Scott L. Balthazar(Ed.), "The Cambridge Companion to Verdi", Cambridge Univ. Press (ISBN 0-521-63535-7)
*JulianScott BuddenL. Balthazar(Ed.), "The OperasCambridge ofCompanion Verdito (Volume 3)Verdi", Cassell,Cambridge Univ. Press (ISBN 0-3043521-106063535-37)
*Julian Budden, "The Operas of Verdi (Volume 3)", Cassell, (ISBN 0-3043-1060-3)
*George Martin, "Aspects of Verdi", Robson Books, (ISBN 0-86051-518-4)
*Charles Osbone, "The Complete Operas of Verdi", Indigo, (ISBN 0-575-40118-4)
*Giuseppe Verdi, "Messa da requiem", critical edition by Marco Uvietta, Bärenreiter Verlag, Kassel, 2014
*{{Cite book|和書|title=改訂版 クラシック音楽作品名辞典|year=1998|publisher=[[三省堂]]|author=井上和男|ref={{SfnRef|井上|1998}}}}
*{{Cite album-notes|title=ヴェルディ レクイエム {{!}} [[ニコラウス・アーノンクール]] (指揮)、[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]|first=ベンヤミン=グンナー|last=コールス|ref={{SfnRef|コールス|2005}}|year=2005}}
 
== 関連項目外部リンク ==
* {{IMSLP2|work=Requiem (Verdi, Giuseppe)|cname=レクイエム(Messa da Requiem)}}
*[[アンドレイ・タルコフスキー|タルコフスキー]] - 映画「[[ノスタルジア (映画)|ノスタルジア]]」の冒頭で「レクイエム」の冒頭部分を使用している。
* {{ChoralWiki|Requiem (Giuseppe Verdi)|レクイエム(Messa da Requiem)|prep=の}}
*[[新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 DEATH & REBIRTH シト新生|新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 シト新生]]- 予告・CMで「怒りの日」の部分を使用。
* [https://musopen.org/ja/music/1932-requiem/ Requiem (G. Verdi)] - 『[[Musopen]]』より
**[[モテキ|映画 モテキ]] - 上記のパロディ。特報で「怒りの日」の部分を使用。
* [http://www.magazzini-sonori.it/esplora/giuseppe_verdi/messa_requiem_verdi.aspx Messa di Requiem (G. Verdi)]{{it icon}} - 『Magazzini Sonori』より《[[ヘルベルト・フォン・カラヤン|カラヤン]]指揮[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団|ウィーン・フィル]]他による演奏音源(1949年)を掲載》
*[[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]] - 劇中BGMで「怒りの日」の部分を使用。
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:れくいえむ うえるてい}}
[[Category:ヴェルディの楽曲]]
[[Category:レクイエム|うえるてい]]
[[Category:18701874]]
[[Category:1874年]]
 
[[bg:Реквием (Джузепе Верди)]]
[[ca:Rèquiem (Verdi)]]
[[de:Messa da Requiem (Verdi)]]
[[en:Requiem (Verdi)]]
[[es:Requiem (Verdi)]]
[[fi:Requiem (Verdi)]]
[[fr:Requiem (Verdi)]]
[[hr:Requiem (Verdi)]]
[[it:Messa di requiem (Verdi)]]
[[nl:Messa da Requiem (Verdi)]]
[[pt:Requiem (Verdi)]]
[[ru:Реквием (Верди)]]
[[sh:Rekvijem (Verdi)]]
[[uk:Реквієм (Верді)]]