「レニングラード包囲戦」の版間の差分

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| caption=[[1942年]] 包囲中の[[ネフスキー大通り]]を歩くレニングラード市民達
| conflict=[[第二次世界大戦]]([[独ソ戦]])
| date=[[1941年]][[9月8日]] - [[1944年]][[1月1827日]]
| place=[[ソビエト連邦]]・レニングラード市(現・[[サンクトペテルブルク]])
| result=ソ連軍の勝利
| combatant1={{DEU1935}}<br />{{FIN}}<br />{{ITA1861}}
| combatant2={{SSR1923}}
| commander1={{Flagicon|DEU1935}} [[ヴィルヘルム・フォン・レープ]]<br />{{Flagicon|DEU1935}} [[ゲオルク・フォン・キュヒラー]]<br />{{Flagicon|FIN}} [[カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム]]<br />{{Flagicon|FIN}} [[エリック・ハインリッヒス]]
| commander2={{Flagicon|SSR1923}} [[マルキアン・ポポフ]]<br />{{Flagicon|SSR1923}} [[クリメント・ヴォロシーロフ]]<br />{{Flagicon|SSR1923}} [[ゲオルギー・ジューコフ]]<br />{{Flagicon|SSR1923}} [[イワン・フェジュニンスキー]]<br />{{Flagicon|SSR1923}} [[:ru:Хозин, Михаил Семёнович{{仮リンク|ミハイル・ホジン]]|en|Mikhail Khozin}}<br />{{Flagicon|SSR1923}} [[レオニード・ゴヴォロフ]]<br />{{Flagicon|SSR1923}} [[キリル・メレツコフ]]
| strength1=725,000
| strength2=930,000
| casualties1=不明
| casualties2=軍人<br />戦死 332,059<br />行方不明 111,142<br />市民<br />67万人ないし10095万人以上<ref>Glantz, David (2001), The Siege of Leningrad 1941-44: 900 Days of Terror, Zenith Press, Osceola, WI,</ref>
|}}
''''''[[]]:{{lang|ru|Блокадаблокада Ленинграда}} <small></small>[[1941]][[98]] - [[1944]][[11827]][[]][[]][[]]
 
[[|]][[]]2[[]]900(872{{Sfn |1991627|p=11}})[[|]][[]]9597<ref>{{Cite news|title=75 |newspaper=|date=2019-01-28|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40547160Y9A120C1000000/|accessdate=2021-04-14|agency=|publication-place=|quote=67631003%97%}}</ref><ref>''[http://www.soviethistory.org/index.php?action=L2&SubjectID=1943leningrad&Year=1943 The Siege of Leningrad]'', Seventeen Moments in Soviet History {{|date=2021-04-14}}</ref><ref>''[http://www.cambridge.org/uk/catalogue/catalogue.asp?isbn=0521863260&ss=exc The Legacy of the Siege of Leningrad, 1941-1995]'', Cambridge University Press</ref>[[]][[]][[|]][[|]] {{|date=20182021-0504-2514}}</ref>
[[|]][[|]]
 
== 枢軸軍の侵攻 ==
=== [[ダウガヴァ川|西ドヴィナ川]]突破 ===
193931921941622520728[[]][[]]3[[]][[18 ()|18]][[16 ()|16]][[4|4]]316[[ ()|]]18[[|]]24調
[[]][[|]]56[[|西]]41[[KV-1]][[KV-2]]200KV1KV-1KV2KV-2
[[]]542西西
1816[[|]]166261000[[|]]163800SS
 
=== スターリン線突破 ===
西72[[]]14078[[]]711[[|]]713[[|]]80011018[[]]10088850
7193316164SS
1816[[|]]82212[[]][[|]]1691141641
5616[[|]][[|]]西4198[[]][[|]][[]][[|]]626[[]][[]][[]]97160km94[[]][[|]]
 
== 赤軍の防衛体制 ==
=== 開戦の頃 ===
[[|]]退[[]][[|]][[]][[|]]2119416221西332西11退西
 
=== ルガ防衛線 ===
2[[|]]沿[[]][[]][[ ()|]][[]]{{||en|Shimsk}}200781813[[]]<ref>  P.309 - 344</ref>
 
=== レニングラードの包囲 ===
<!-- ===  === [[|]]退[[]]2119416221西332西11退西1941710西西190km635km700km[[]]5,000[[]]25,000km西退退退退沿3384098-->
ルガ防衛線を突破したドイツ軍は西からレニングラードに迫るとともに、レニングラードの南方でも東に進んだ後、北に向かい8月30日に交通の要衝のムガ(レニングラードの南東)を陥落させ、9月 8日にはラドガ湖畔のシュリッセルブルクを制圧した。
[[|]]710<ref>  P.313</ref>2退<!-- 911 -->西[[|]]1911[[|]]<ref>  P.463 -  P.49</ref>
 
=== バルト艦隊の[[タリン]]脱出 ===
[[]]826190[[]][[]]50<ref>  P.376 - 413</ref>
 
=== ジューコフ赴任とレニングラード市街への正面攻撃 ===
913<!-- -->63653512退退退<!-- 8900  --> 17Km [[]]107<ref>  P.79 - 105</ref>
 
レニングラード防衛を適切に組織したのはジューコフの偉大な功績だが、9月18日からドイツ軍の装甲部隊(第4装甲軍団)がモスクワ方面に転進し始めた代わりにドイツ軍歩兵がレニングラード周辺の包囲攻撃陣地構築に着手する姿が目撃されているにもかかわらず、同日[[ロモノソフ|オラニエンバウム]]の疲弊した第8軍にドイツ軍の攻撃を命ずるなど不要な正面攻撃を多用し多大な損害を出し封鎖の突破に支障をきたした<ref>レニングラード封鎖 P.166 - 167</ref>。
 
== 包囲戦 ==
[[:Siege of Leningrad Eastern Front 1941 06 to 1941 12.png|thumb|right|300px|1941]]
=== 飢餓計画 ===
600010004898250使9
 
レニングラード市民への飢餓作戦は科学的な手法で計画的に実施された。ヒトラーは新たな総統訓令を発令した。「総統はペテルブルグ市を地表から削りとることを決断した。ソビエト・ロシアの敗北後は、この都市が将来に存在するための理由は跡形もなくなる。この都市を隙間もなく封鎖し、あらゆる口径の放火と絶え間のない空爆によって、これを跡形もなく破壊すべし。たとえこれによって降伏を要請する声が出てくるようになっても、これは拒否される。この戦争においてわれわれは、たとえ一部にせよ、この大都市の人口を維持することに関心を持っていない。」

[[]]3107295364[[]][[|]][[|]]
 
=== 飢餓の発生 ===
<!-- {{出典の明記|date=2017年5月|section=1}} -->
921600g400g300g98912
 
* 穀類・小麦粉 35日分
* えん麦・粉物 30日分
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* 油脂 45日分
* 砂糖・菓子類 60日分
 
1500g300g250g[[]]9使使綿107[[|]]退退54退[[]]54
 
軍人的資質に欠けるジダーノフはジューコフの始めた欠陥のある戦術を継続し、ネフスキー橋頭保から封鎖を突破しようと兵力を送るが大半が死傷し、10月に橋頭保に渡った看護師エレーナ・スヴェトコーワが手当てし、更に適切な治療のためにネヴァ川の向こう岸に戻そうとした重症者の内、幸運にも戻れた少数者の一人に未来のロシア大統領[[ウラジーミル・プーチン]]の父親(第86歩兵師団第330連隊所属)がいた。<ref>レニングラード封鎖 P.190 - 191</ref>。
 
910810241%使111942[[]][[]]
 
[[ファイル:Anti aircraft Leningrad 1941 bright.jpgJPG|thumb|right|[[聖イサアク大聖堂]]の近くに設置された対空砲]]
[[]]120[[]]12125[[#|]]<!-- {{||date=20182}}--><ref>  P.310 - 328</ref>
 
=== 命の道 ===
{{Main|{{仮リンク|命の道|ru|Дорога жизни}}}}
 
[[ファイル:LocomotiveLeningradBlocade.jpg|thumb|left|レニングラードへ食糧を輸送する氷上列車]]
ドイツ軍はレニングラードの包囲をさらに強化するため、レニングラードの南東部にある鉄道の拠点の[[チフヴィン]]を攻撃し11月8日に占拠した。チフヴィンの陥落により内陸部からラドガ湖への輸送ルートが遮断され、レニングラードは危機に陥ったが赤軍は1ヶ月後にここを奪回し輸送ルートの維持に成功した<ref>ライフ P.112</ref>。
 
1120''''''{{lang|ru|Дорога жизни}} <small></small>194242415251435194229km12201224
77 ⟶ 102行目:
=== 1942年のレニングラード ===
[[ファイル:Leningrad Siege May 1942 - January 1943.png|thumb|left|イスクラ作戦前のレニングラード周辺図]]
218[[|]]1942445219426[[|]][[|]]
194282[[ ()|]]退退使16
 
上記のように1942年の赤軍の数回の攻勢はいずれも失敗に終わり、一方のドイツ軍の攻勢計画も頓挫した。このため両軍とも大きな損害を出したものの、戦線に大きな変化は生じなかった。
 
=== イスクラ作戦(1943年) ===
{{main|イスクラ作戦}}
[[]][[|]]4500[[|]]調1943112811580052退1943117
 
この頃、[[スターリングラード攻防戦|スターリングラード]]でも赤軍は勝利し(1月31日)、[[独ソ戦]]は大きな転換期を迎えた。
 
=== 解放(1944年) ===
<!-- --><!-- -->[[]]退[[|]]西19439[[|]]西[[|]]<ref>  P.458</ref>210001500600<!-- 194311西8--><!-- -->2312511944115<!-- -->1320230501816[[|]]西280
 
1944年1月27日、レニングラードでは包囲からの解放を祝う祝砲が轟いた。1941年9月8日にシュリッセルブルクが陥落して包囲が始まってから872日目であった<ref>包囲されたレニングラード 下 P.474</ref>。
 
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== 題材とした作品 ==
=== 映画 ===
* 『[[レニングラード攻防戦I]]』 - [[1974年]] ソ連 (監督:[[ミハイル・エルショフ]])
* 『[[レニングラード攻防戦II]]』 - [[1977年]] ソ連 (監督:[[ミハイル・エルショフ]])
* 『[[レニングラード大攻防1941]]』 - [[1985年]] ソ連 (監督:[[ヴィクトル・アリストフ]])
* 『[[レニングラード 900日の大包囲戦]]』 - [[2009年]] ロシア・イギリス (監督:[[アレクサンドル・ブラフスキー]])
ほか[[セルジオ・レオーネ]]が『[[ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ]]』に続く作品としてこのレニングラード包囲戦を題材とした[[映画]]を構想していたが、逝去のため実現しなかった。
 
=== 楽曲 ===
* [[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ]]の[[交響曲第7番 (ショスタコーヴィチ)|交響曲第7番]]は、包囲下のレニングラードで作曲され、『レニングラード交響曲』と呼ばれている。
* [[ビリー・ジョエル]]の曲『レニングラード』は、レニングラード包囲戦で父親を失ったロシア人の少年ヴィクトールを主人公とするものである。
* イタリアのバンド、[[ダーク・ルナシー]]のアルバム『The Diarist』は、全編がレニングラード包囲戦を扱ったコンセプトアルバムである。
 
=== 文献 ===
* 『レニングラード』 ニコライ・チーホノフ著、前芝確三訳 創元社 (1952年)
* 『封鎖下のレニングラード』 [[ドミトリー・パヴロフ]]著、藤木伸三、滝沢一郎訳 大陸書房 (1971年)
* 『攻防900日:包囲されたレニングラード』 各・上下、[[ハリソン・ソールズベリー]]著、大沢正訳 早川書房 (1972年)
* 『攻防900日 包囲されたレニングラード 上、下[[ハリソン・ソールズベリー]]著(Harrison Salisbury, 1908-1993)、大沢正訳 早川書房 (2005年)上記文献修整・改訂再編
* 『グラフィックアクション 第2次大戦 第6号「レニングラード攻防戦」』  分林堂 (1974年)
* 『独ソ戦:この知られざる戦い(燃える東部戦線:独ソ戦の全貌)』 [[ハリソン・ソールズベリー]]著、大沢正訳 早川書房 (1980年)
* 『900日の包囲の中で』 ユーリ・イワノフ著、宮島綾子訳 岩崎書店 創作児童文学(1982年) ISBN 4-265-92727-0
* 『レニングラード物語:華麗なる都の250年』 NHK取材班著 日本放送出版協会 (1983年)
* 『封鎖・飢餓・人間:1941-1944年のレニングラード』 アレーシ・アダーモヴィチ、ダニール・グラーニン共著、宮下トモ子訳 新時代社 (1986年)
* 『歴史群像 アーカイブ Vol.7「独ソ戦」』 学習研究社 (2009年)
* 『レニングラード封鎖:飢餓と非情の都市1941-1944』 マイケル・ジョーンズ著、松本幸重訳 白水社 (2013年)
* 『戦火のシンフォニー―レニングラード封鎖345日目の真実―』 [[ひのまどか ]]、新潮社 (2014年)
* 『レニングラード日記』 ヴェラ・ミハイロヴナ・インベル(Vera Inber, 1890-1972)、ハル・ニケイドロフ訳、柘植書房新社(2023年)
* 『ライフ 第二次世界大戦史 「独ソの激闘」』、ニコラス・ベサル著、[[加登川幸太郎]] 監修、横田恒 翻訳、タイム ライフ ブックス
* {{Cite magazine|title = レーニンの名も風前のともしび [[ニューズウィーク]]日本版(1991年6月27日号) |chapter = |newspaper = |publisher = TBSブリタニカ |date = 1991-6-27 |ref = {{Sfnref |ニューズウィーク1991年6月27日}} }}
 
=== 小説 ===
* 『[[戦争は女の顔をしていない]]』 [[スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ]]著、[[三浦みどり]]訳、群像社、岩波現代文庫(1985年)
* 『卵をめぐる祖父の戦争』 [[デイヴィッド・ベニオフ]]著、田口俊樹訳 早川書房 (2010年) ISBN 978-4-15-001838-2
 
=== 映画 ===
* 『[[レニングラード攻防戦II交響楽]]』 - [[19771957]] ソ連 (監督:[[ル・エルショフアグラネンコ]])
* 『[[レニングラード攻防戦 (映画)|レニングラード攻防戦]]』『[[レニングラード攻防戦II/攻防900日]]』 - 1974年 ソ連 (監督:[[ミハイル・エルショフ]])
* 『[[レニングラード攻防戦I 1941]]』 - [[19741985]] ソ連 (監督:[[ミハイヴィクトル・エルショアリストフ]])
* 『[[レニングラード 900日の攻防1941包囲戦]]』 - [[19852009]] ソ連ロシア・イギリス (監督:[[ヴィアレサンドル・アリブラフトフキー]])
* 『[[脱走特急 (2019年の映画)|脱走特急]]』 - 2019年 ロシア (監督:[[フェドール・ポポフ]])
* 『[[戦争と女の顔]]』 - 2019年 ロシア (監督:[[カンテミール・バラーゴフ]])
* 『[[セイビング・レニングラード 900日奇跡大包囲脱出作戦]]』 - [[20092019]] ロシア・イギリス (監督:[[アレクサンドルセイブラコズロフ (映画監督)|アレクセイ・コズロスキー]])
ほか[[セルジオ・レオーネ]]が『[[ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ]]』に続く作品としてこのレニングラード包囲戦を題材とした[[映画]]を構想していたが、逝去のため実現しなかった。
 
=== 楽曲 ===
* [[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ]]の[[交響曲第7番 (ショスタコーヴィチ)|交響曲第7番]]は、包囲下のレニングラードで作曲され、『レニングラード交響曲』と呼ばれている。
* [[ビリー・ジョエル]]の曲『レニングラード』は、レニングラード包囲戦で父親を失ったロシア人の少年ヴィクトールを主人公とするものである。
* イタリアのバンド、[[ダーク・ルナシー]]のアルバム『The Diarist』は、全編がレニングラード包囲戦を扱ったコンセプトアルバムである。
 
== 出典 ==
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[[Category:市街戦]]
[[Category:第二次世界大戦下のロシア]]
[[Category:サンクトペテルブルクの歴史]]
[[Category:レニングラード州|ほういせん]]
[[Category:第二次世界大戦の包囲戦]]
[[Category:1941年の戦闘]]
[[Category:1942年の戦闘]]
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[[Category:1943年のソビエト連邦]]
[[Category:1944年のソビエト連邦]]
[[Category:独ソ戦の作戦と戦い]]
[[Category:ゲオルギー・ジューコフ]]
[[Category:クリメント・ヴォロシーロフ]]
[[Category:カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム]]