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[[画像:Santomeshinden.jpg|thumb|270px|三富新田]]
'''三富新田'''︵さんとめしんでん︶は、[[江戸時代]]の[[元禄]]期に開拓された[[武蔵野台地]]上の一地域である、[[埼玉県]][[入間郡]][[三芳町]][[上富]]と、同県[[所沢市]][[中富 (所沢市)|中富]]・[[下富]]の総称である。なお、新田を称するが[[水田]]はなく、[[畑|畑作地]]である。 == 地理 ==
開拓前は一面の原野で周辺29か村の入会地であったが、元禄7年︵[[1694年]]︶に[[川越藩]]主となった[[柳沢吉保]]が、農作物増産等によって藩政を充実させる目的で、 <gallery>
File:開拓名主 島田家.jpg|開拓時に名主を務めた島田家(三芳町上富)
File:旧島田家住宅02.jpg|三富農家の姿を伝える家屋(三芳町上富)
File:Santome-Shinden (Nakatome).jpg|所沢市中富
File:Santomee.jpg|所沢市下富の三富新田風景
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== 歴史 ==
* [[1889年]]︵[[明治]]22年︶[[4月1日]] - [[町村制]]施行に伴い、'''上富村'''は藤久保村・竹間沢村・北永井村の4村と合併し[[三芳町|三芳村]]に、'''中富村・下富村'''は神米金村・北岩岡村・北中村と合併し[[富岡村 (埼玉県)|富岡村]]となり三富地区が分かれる。 * [[1943年]]([[昭和]]18年)[[4月1日]] - 富岡村が所沢町・小手指村・山口村・吾妻村・松井村と合併して所沢町となる。
* [[1950年]](昭和25年) - 所沢町が市制を施行し[[所沢市]]となる。
* [[1970年]](昭和45年)[[11月3日]] - 三芳村が町制施行により[[三芳町]]となる。
== その他 ==
[[2000年]]︵平成12年︶[[5月5日]]には、[[埼玉新聞社]]の﹁21世紀に残したい・埼玉ふるさと自慢100選﹂に選出された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gs-dosokai.net/blog/%E4%B8%B8%E5%A2%93%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%A1%9C%E3%81%8C%EF%BC%91%E6%9C%AC%E5%80%92%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82/ |title=21世紀に残したい・埼玉ふるさと自慢100選 |website=日本百選 都道府県別データベース |accessdate=2019-05-06 }}</ref>。 == 落ち葉堆肥農法 ==
==外部リンク==▼
かつては[[関東ローム層]]が露出し痩せて作物が育たない土地であったが、島状に点在する雑木林︵主として[[クヌギ]]︶の周囲だけは[[落ち葉]]が堆積して肥沃な土壌であったことから、落ち葉を敷き詰め[[堆肥]]とし、長い時間をかけて[[腐葉土]]を形成してきた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.saitama.lg.jp/a0108/908-20091216-188.html |title=三富地域の歴史 |website=埼玉県庁 |accessdate=2021-03-12 }}</ref>。その営みは現在も続けられており、この[[循環式農業]]は[[原村政樹]]監督の[[ドキュメンタリー]]映画﹃[[武蔵野 (映画)|武蔵野]]﹄でも取り上げられた<ref>{{Cite news |title=映画﹁武蔵野﹂を上映-大都市圏の日本農業遺産|newspaper=[[農業協同組合新聞]]電子版|date=2018-03-12|url=http://www.jacom.or.jp/nousei/news/2018/03/180312-34811.php|accessdate=2018-07-01}}</ref>。 *[http://www.jade.dti.ne.jp/~miyoshir/shitei/3.html 三芳町立歴史民俗資料館 三富開拓地割遺跡]▼
*[http://www.pref.saitama.lg.jp/A02/BH00/santome/now.html 埼玉県 みどりの三富地域づくりホームページ]▼
三富新田の[[土壌]]はサラサラしており、風が吹くと土埃が舞い上がりやすいため、落ち葉を供給する雑木林が[[屋敷森]]の役割も兼ね、集めた落ち葉の山に[[昆虫]]が生息することから餌を求める[[野鳥]]も集まり小さな[[生態系]]を構成している。
当初は[[サツマイモ]]栽培に限られてきたが、現在では[[狭山茶]]や[[葉物野菜]]全般、[[果樹]]や[[花卉]]を手掛ける農家もいる。また、伝統的な芋栽培はブランド作物となっている﹁川越いも﹂︵[[紅赤]]︶の産地となっている。 一帯では[[武蔵野台地]]を深く開削した[[砂川堀]]以外に河川がなかったため利水が難しく、[[稲作]]が行われなかった。
[[2014年]]︵平成26年︶より[[世界重要農業遺産システム|世界農業遺産]]を目指しており<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNZO74055980Q4A710C1L71000/ 埼玉の﹁三富新田﹂、世界農業遺産めざす 三芳町が推進協] - [[日本経済新聞]] 2014/7/10</ref>、[[2017年]]に新たに創設された[[日本農業遺産]]に三富新田に接する[[川越市]]南西部︵中福・下赤坂︶と[[ふじみ野市]]西部︵大井武蔵野︶を加えた[[武蔵野|武蔵野地域]]に拡大し﹁武蔵野の落ち葉堆肥農法﹂として登録。さらに隣接する[[狭山市]]も加え、国内所管である[[農林水産省]]が2022年︵[[令和]]4年︶の世界農業遺産候補とし︵この年の認定は見送り︶、翌2023年に﹁Leaf compost farming method, Musashino, Saitama﹂として認定された。 <gallery>
File:Thickets in Santome-Shinden 03.jpg|身近にある雑木林(ふじみ野市)
File:Thickets in Santome-Shinden 04.jpg|落ち葉集めのための道(川越市)
File:Farming of fallen leaves compost in Musashino 03.jpg|保管されている落ち葉(三芳町)
File:Humus sedimentary layer in Santome-Shinden 01.jpg|厚く堆積した落ち葉由来の腐葉土(三芳町)
File:Tea plantation in Santome-Shinden.jpg|狭山茶畑(三芳町)
File:Sweetpotato road in Santome-Shinden.jpg|農業遺産の幟と「いも街道」の道標(三芳町)
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[人と自然が織りなす日本の風景百選]]
* [[にほんの里100選]]
* [[身近な自然]]
▲== 外部リンク ==
▲* [http://www.pref.saitama.lg.jp/
* [https://www.fuuchi.fr.a.u-tokyo.ac.jp/lfl/report/1999santome/report.html 埼玉県・三富] ([https://www.fuuchi.fr.a.u-tokyo.ac.jp/lfl/index.html 地域森林景観] - [http://www.fuuchi.fr.a.u-tokyo.ac.jp/ 東京大学大学院 森林風致計画学研究室])
▲* [http://www.jade.dti.ne.jp/~miyoshir/shitei/3.html 三富開拓地割遺跡] ([http://www.jade.dti.ne.jp/~miyoshir/ 三芳町立歴史民俗資料館
* [http://www.santome.jp/SantomeAction/OchibaYasai/OchibaYasai.html 三富落ち葉野菜研究グループ]
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[[Category:
[[Category:三芳町の歴史]]
[[Category:所沢市の地理]]
[[Category:所沢市の歴史]]
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