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﹃'''中朝事実'''﹄︵ちゅうちょうじじつ︶は、[[山鹿素行]]が記した[[尊王思想]]の[[歴史書]]。[[寛文]]9年︵[[1669年]]︶に著わした。全2巻。付録1巻。山鹿素行は[[儒学]]と[[軍学]]の大家である。 == 『中朝事実』の内容 ==
中国は'''中朝'''や'''中華'''を自称しているが、日本こそが'''中朝'''︵中華︶であるというのが、この書の主張である<ref>[[浅野晃]]﹁南方徴用作家叢書1ジャワ篇2﹂22-23頁 龍溪書舎
1996年</ref>。当時の[[日本]]では儒学が流行し、[[ == 山鹿素行の「万世一系」論 ==
[[江戸時代]]、尊皇家は天皇への尊崇と支持を高めるため、皇室の大変な古さと不変性という﹁万世一系﹂を強調した。山鹿素行は、[[神武天皇]]に先立つ皇統の神代段階は200万年続いた<ref>[[日本書紀]]の巻第三では、神武天皇が45歳になり東征を決意した際、兄と子に[[天孫降臨]]から179万2470年余りが経過した﹂と語ることが本文に記されている。</ref>と主張している。﹃中朝事実﹄で下のように論じている<ref>David M. Earl, ''Emperor and Nation in Japan.'' Seattle: University of Washington Press, 1964, p.48.</ref><ref>この章は、[[ベン {{Quotation|ひとたび打ち立てられた皇統は、かぎりない世代にわたって、変わることなく継承されるのである。……天地創造の時代から最初の人皇登場までにおよそ二〇〇万年が経ち、最初の人皇から今日までに二三〇〇年が経ったにもかかわらず……皇統は一度も変わらなかった。|山鹿素行|﹃中朝事実﹄}} 14 ⟶ 13行目:
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
==刊本==
* [https://dl.ndl.go.jp/pid/2542774 山鹿高興 著『中朝事實』上,下,乃木希典,国立国会図書館デジタルコレクション]
*『山鹿素行全集 思想篇』広瀬豊編 [[岩波書店]] 1940-42
*『山鹿素行』[[日本図書センター]] 1979
*『山鹿素行「中朝事実」を読む』[[致知出版社]] 2015。荒井桂・現代語訳
== 関連項目 ==
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* [[朱子学]]
* [[国学]]
* [[中華思想]]
* [[皇国史観]]
* [[乃木希典]] - [[明治天皇]]に[[殉死]]する際に、[[学習院]]院長として養育に当たっていた迪宮裕仁親王([[昭和天皇]])に『中朝事実』と三宅観瀾『中興鑑言』を献上した。献上の折のただならぬ様子に裕仁親王は「院長先生はどこかへゆかれるのですか」と発言している。
{{DEFAULTSORT:ちゆちようししつ}}▼
[[Category:山鹿素行]]
[[Category:江戸時代の歴史書]]
[[Category:17世紀の書籍]]
[[Category:日本漢文の典籍]]
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