「中朝事実」の版間の差分
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== 『中朝事実』の内容 ==
中国は'''中朝'''や'''中華'''を自称しているが、日本こそが'''中朝'''(中華)であるというのが、この書の主張である<ref>[[浅野晃]]「南方徴用作家叢書1ジャワ篇2」22-23頁 龍溪書舎
1996年</ref>。当時の[[日本]]では儒学が流行し、[[中国]]の物は何でも優れ日本の物は劣る、という中国かぶれの風潮があった。また、儒教的世界観では、中国の[[帝国]]が周辺の野蛮人の国よりも勢力も強く、倫理的にも優れるという[[中華思想]]が根本にあった。素行はこの書で、この中華思想に反論した。当時中国は[[漢民族]]の[[明|明朝]]に代わって[[万里の長城]]の北の野蛮人の[[満州族]]による[[征服王朝]]の[[清朝]]となっていた。また歴史を見ると、中国では[[易姓革命]]で王朝が何度も替わって家臣が君主を弑することが何回も行われている。中国では君臣の義が守られてもいないのに対して日本は、外国に支配されたことがなく、[[万世一系]]の[[天皇]]が支配して君臣の義が守られているとした。 15行目:
==刊本==
* [https://dl.ndl.go.jp/pid/2542774 山鹿高興 著『中朝事實』上,下,乃木希典,国立国会図書館デジタルコレクション]
*『山鹿素行全集 思想篇』
*『山鹿素行』[[日本図書センター]] 1979
*『山鹿素行「中朝事実」を読む』[[致知出版社]] 2015。荒井桂・現代語訳 == 関連項目 ==
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* [[中華思想]]
* [[皇国史観]]
* [[乃木希典]] - [[明治天皇]]に[[殉死]]する際に、[[学習院]]院長として養育に当たっていた迪宮裕仁親王([[昭和天皇]])に『中朝事実』と三宅観瀾『中興鑑言』を献上した。献上の折のただならぬ様子に裕仁親王は「院長先生はどこかへゆかれるのですか」と発言している。
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[[Category:山鹿素行]]
[[Category:江戸時代の歴史書]]
[[Category:17世紀の書籍]]
[[Category:日本漢文の典籍]]
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