「中華」の版間の差分
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** 「中華」と「[[中華思想]]」を区別する例も多いが、本来は「中華」という言葉自体が「華夷[[思想]]」を意味する。
**中華を世界の中心とする解釈は、非中華(非文明=他文明)地域を方角によって[[南蛮]](なんばん)・[[東夷]](とおい・とうい)・[[北狄]](ほくてき)・[[西戎]](せいじゅう)と呼び区別または差別したことにはじまる。
* 中華を主張する地域において、また本来の意味において中華は「[[文明圏]]」を意味する。華の外の地域(外世界)は、
== 中華 ==
*「中華とは、宇宙唯一の文明ということである。(中略)華が
** ﹁中華﹂とは自分達を華︵文明︶の中にあるとする **(したがって本来の意味を客観的に解釈したなら、日本人が中華と呼んで認めることは、華の外にある日本を『夷狄・
*また中華は漢民族文明として一般的に認識されているが、近年の研究(謝小東(シエ・シャオドン)副教授の遺伝子調査など)によって、
* 言葉としての'''中華'''の始まり。
** 中華の語源は[[北宋]]時代に[[司馬光]]の書いた﹃[[資治通鑑]]﹄であるとする説もあるが、﹃[[晋書]]﹄に[[桓温]]が都[[洛陽市|洛陽]]に帰国したいと願って曰く﹁彊胡陵暴,中華蕩覆,狼狽失據。︵列傳第六十八/桓温 子熙 濟 歆 禕 偉 孟嘉︶﹂、﹁所以防夷狄之亂中華,其備豫如此︵巻101 載記第一︶﹂、今年國滅,吾必死之,卿等中華之士,復為文身矣︵卷一百二十八 載記第二十八/慕容超 慕容鍾 封孚︶﹂という用例が見られ、﹃[[北斉書]]﹄巻二十一・高乾伝に﹁于時,鮮卑共軽中華朝士,唯憚服於昂。﹂ という用例が出ている。 ** 北宋説の語源は、北族出身︹[[沙陀族]]系︺とされる[[北宋]]人が新興北族勢力である[[契丹]]に対し、主に国内向けて﹁契丹は夷狄であり、自分達こそが[[漢族]]であり支配の正統性がある中華であると﹂主張したことに始まる、という説である。 *自分達︵中華︶以外は夷狄︵野蛮・未開とする︶とする選民的な考え方は、[[儒教]]を国教化した[[前漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]時代︵紀元前159〜89︶の頃にはすでにあったとされる。その根拠の一例として、周辺の国や民族に対して差別的な名称︵例‥[[ワイ人|濊]]、[[ワイ貊|貊]]など︶が使用されたり、中華での国名が[[秦]]、[[漢]]、[[隋]]、[[唐]]のように一字表記なのに対して、華の外(夷狄)とされた国や民族は[[匈奴]]、[[鮮卑]]、[[東胡]]、[[烏丸]]のような二字以上の表記がされたことがあげられる。このような中華の根底には儒教での序列︵順位︶を絶対視する価値観があるとされ、司馬遼太郎は著書の中で﹁ *華︵文明︶の意味は、本来﹁'''﹃[[中原]]﹄︵河南省地域︶とそこに発祥した文明'''﹂をさすが、歴史的に見て[[五胡十六国]]・[[隋]]︵[[鮮卑族]]︶・[[唐]]︵鮮卑族︶・[[五代]]︵[[沙陀族]]︶・[[宋]]︵沙陀族︶・[[元 (王朝)|元]]︵[[モンゴル族]]︶・[[金 (王朝)|金]]︵[[女真族]]︶・[[清]]︵女真族︶などの他民族の流入と他民族王朝支配に加えて︵ == 日本での呼称変化 ==
*江戸時代までは、一般に﹃'''唐︵から︶・唐土︵もろこし︶'''﹄などと呼称していたが︵例‥[[唐物]]、[[唐染め]]など︶、[[明治時代]]に入ると、清朝の存在を否定する革命家達とその賛同者によって王朝名の﹃'''清'''﹄ではなく﹃'''支那'''﹄の呼び名が広められた。例えば *<※ちなみに『'''支那'''(シナ)』とは外国表記での'''chaina'''(チャイナ)や'''china'''(チナ)と同じく、彼の地での最初の統一王朝である『[[秦]]』([[始皇帝]]で有名)の訛り読みの1つであり、インド地域の[[サンスクリット語]]での呼び名(発音)であったシナを当て字にして逆輸入したものとされ、『[[宋書]]』などに記載が残る>
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