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Masyu (会話 | 投稿記録)
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[[ファイル:Hyakuninisshu Mitsusada Tosa 092.jpg|thumb|240px|二条院讃岐 - 土佐光貞画 芝山持豊筆 文化五年版百人一首]]
{{文学}}
''''''[[]][[1141]]? - [[]]5[[1217]]?[[]][[]][[]][[]][[]]
 
''''''[[1141]] - [[1217]]5[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]''''''''''''
[[]][[]][[]][[1190]][[|]][[]][[]][[|]]
 
== 経歴 ==
;「[[小倉百人一首]]」から
[[]][[1159]]19<ref name=isa/>[[]]<ref group= name=kaen/>
<blockquote>わが袖は 潮干(しおひ)に見えぬ 沖の石の 人こそ知らぬ 乾く間もなし(「[[千載和歌集]]」恋二759)
</blockquote>
:「[[沖の石]]の讃岐」はこの歌によりつけられた異名である。
 
この後、二十代半ばから四十代後半にかけての讃岐の動静については、大きく分けて二説あり、両説の隔たりは大きい。
== 「世にふる」の系譜 ==
* <ref group= name=sonpi/>[[]][[1190]][[]][[]][[|]]
二条院讃岐の
* )<ref name=isa/>[[]][[1163]]退[[1165]][[]][[1174]]4[[]][[1187]]21190
 
[[1172]]232<ref group= name=rakusyo/>[[1200]]260[[]][[|]][[]][[]]<ref name=aduma/>[[1216]]476[[]][[]][[]]
 世にふるは苦しきものを槙の屋にやすくも過ぐる初時雨かな
 
== 逸話 ==
は延々と続く[[本歌取り]]のもととなった。
* 二条院崩御の翌[[1166年]](仁安元年)、『後白河院当座歌合』の場での、内裏歌合のベテランらしい讃岐の立振舞が伝えられている。
これは「世の中を、人と関わり合いながら生きてゆくのは、苦しいものだわ。そんな思いで冬の夜を過ごしていたら、槙で葺いた屋根を叩いて初時雨が通り過ぎていった。辛い思いをしている人の家の上を、なんとまあやすやすと過ぎてゆく雨だこと。」という意味である。
{{quotation|
金吾の口伝のうちに 女房の故実に 兼日の懐紙なき時は 後白河院の仁安御歌合<br>
当座にて侍りけるに 讃岐参たりけるに 扇をさし出して題をたまはりけるとかや<br>
まことにある中にきはもたちて いみじく見えたりけるとなん申侍り
|[[藤原定家]] 『愚秘抄』}}
* 「世にふる」の系譜:二条院讃岐の<ref name=shinkokin/>
{{quotation|
  千五百番歌合に 冬の歌                    二条院讃岐<br>
世にふるはくるしき物をまきのやに やすくも過る初時雨哉
|『新古今和歌集』 巻第六 冬歌}}
:<ref group= name=moto/>綿使<ref name=iwanami/><ref name=mizugaki/><ref name=senzai1/>
{{quotation|
  崇徳院に百首の歌奉りける時 落葉の歌とてよめる 皇太后宮大夫俊成<br>
まはらなる槙の板やに音はして もらぬ時雨や木葉なるらん<br>
<br>
  閑居聞霰といへる心を読侍ける             左近中将良経<br>
さゆる夜の真木の板屋の独ねに 心くたけと霰ふるなり
|『千載和歌集』 巻第六 冬歌}}
:この二条院讃岐の歌は、さまざまな連歌・俳諧に取り入れられていった。
{{quotation|
世々ふるもさらに時雨のやどり哉 - 後村上院<br>
雲はなほ定めある世のしぐれかな - 心敬<br>
世にふるもさらに時雨のやどりかな - 宗祇<br>
時雨の身いはゞ髭ある宗祇かな - 素堂<br>
世にふるも更に宗祇のやどり哉 - 芭蕉<br>
世にふるもさらに祇空のやどりかな - 淡々<br>
世にふるはさらにはせをの時雨哉 - 井上士朗<br>
時雨るゝや吾も古人の夜に似たる - 蕪村
}}
 
== 作品 ==
[]綿使[[]]
;[[勅撰集]]
{| class="wikitable"
! 歌集名 !! 作者名表記 !! 歌数
! 歌集名 !! 作者名表記 !! 歌数
! 歌集名 !! 作者名表記 !! 歌数
|-
<!---
| [[古今和歌集]]|| ||
| [[後撰和歌集]]|| ||
| [[拾遺和歌集]]|| ||
|-
| [[後拾遺和歌集]]|| ||
| [[金葉和歌集]]|| ||
| [[詞花和歌集]]|| ||
|-
--->
| [[千載和歌集]]||二条院讃岐<br>讃岐|| 3<br> 1
| [[新古今和歌集]]||二条院讃岐||16
| [[新勅撰和歌集]]||二条院讃岐||13
|-
| [[続後撰和歌集]]||二条院讃岐|| 3
| [[続古今和歌集]]||二条院讃岐|| 6
| [[続拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 2
|-
| [[新後撰和歌集]]||二条院讃岐|| 3
| [[玉葉和歌集]]||二条院讃岐|| 8
| [[続千載和歌集]]||二条院讃岐|| 4
|-
| [[続後拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 3
| [[風雅和歌集]]|| ||
| [[新千載和歌集]]||二条院讃岐|| 1
|-
| [[新拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 3
| [[新後拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 1
| [[新続古今和歌集]]||二条院讃岐<br>二条院さぬき|| 3<br> 1
|-
|}
 
;[[定数歌]]・[[歌合]]
[後続の歌]
{| class="wikitable"
*まぱらなる槙の板屋に音はして漏らぬ時雨や木の葉なるらん  ([[藤原俊成]]「[[千載集]]」)
! 名称 !! 時期 !! 作者名表記 !! 備考
*さゆる夜の槙の板屋のひとり寝に心くだけと霰ふるなり    ([[九条良経]]「[[千載集]]」)
|-
| 別雷社歌合||[[1178年]](治承2年)||二条院讃岐||父と共に出詠
|-
| 民部卿家歌合||[[1195年]](建久6年)3月3日||中宮讃岐||
|-
| 正治初度百首||[[1200年]](正治2年)||讃岐 <sub>二条院女房</sub>||
|-
| 新宮撰歌合||[[1201年]](建仁元年)3月||讃岐 <sub>二条院官女頼政女</sub>||勝1
|-
| 和歌所影供歌合||[[1201年]](建仁元年)8月3日||女房讃岐||[[藤原俊成]]と番い負5無判1
|-
| 八月十五夜撰歌合||[[1201年]](建仁元年)||讃岐||負4
|-
| 千五百番歌合||[[1202年]](建仁2年)||讃岐||
|-
| 内裏百番歌合||[[1216年]](建保4年)閏6月9日||二条院讃岐||[[久我通光]]と番い負9持1
|-
|}
 
;[[私撰集]]等
この二条院讃岐の歌は、さまざまな連歌・俳諧に取り入れられていった。
* 三百六十番歌合([[1200年]](正治2年))
*世々ふるもさらに時雨のやどり哉  [[後村上天皇|後村上院]](1339~1369)
** 「讃岐 <sub>宜秋門院女房</sub>」名で12首
*雲はなほ定めある世のしぐれかな       [[心敬]](?~1475)
*世にふるもさらに時雨のやどりかな   [[宗祇]](1421~1502)
*時雨の身いはゞ髭ある宗祇かな     [[素堂]](1642~1716)
*世にふるも更に宗祇のやどり哉     [[芭蕉]](1644~1694)
*世にふるもさらに祇空のやどりかな      [[淡々]](?~1761)
*世にふるはさらにはせをの時雨哉  [[井上士朗]](1742~1812)
*時雨るゝや吾も古人の夜に似たる    [[蕪村]]
 
;[[私家集]]
* 『二条院讃岐集』(真観本)(鎌倉時代中期写本 冷泉家時雨亭文庫 [[重要文化財]])
 
== 百人一首==
* 92番
{{quotation|
  寄石恋といへる心を                 二条院讃岐<br>
わか袖は塩干に見えぬ[[矢代湾#沖の石|沖の石]]の 人こそしらねかはくまもなし
|『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二}}
:「沖の石の讃岐」はこの歌<ref name=senzai2/>によりつけられた異名である。
 
== 脚注 ==
 
=== 注釈 ===
{{reflist|2|group=注釈|refs=
{{refnest|group=注釈|name=kaen|「俊恵が哥苑抄の中には 一夜とて夜離れし床の小筵に やがても塵の積りぬる哉 是をなんおもて哥と思ひ給ふるはいかヾ侍らんとぞ」<ref>[[鴨長明]] 『無名抄』 代々恋歌秀歌事</ref>}}
<ref group=注釈 name=sonpi>重光と有頼の母について「従三位頼政女二条院讃岐」と記されている。</ref>
<ref group=注釈 name=rakusyo>「風體艶なるを先として いとほしきさまなり 女のうた かくこそあらめと あはれにも侍るかな」</ref>
<ref group=注釈 name=moto>歌意は「世の中を、人と関わり合いながら生きてゆくのは、苦しいものだわ。そんな思いで冬の夜を過ごしていたら、槙で葺いた屋根を叩いて初時雨が通り過ぎていった。辛い思いをしている人の家の上を、なんとまあやすやすと過ぎてゆく雨だこと。」という意味である。</ref>
}}
 
=== 出典 ===
{{reflist|2|refs=
<ref name=senzai1>『千載和歌集』 巻第六 冬歌 00403,00444</ref>
<ref name=senzai2>『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二 00759</ref>
<ref name=shinkokin>『新古今和歌集』 巻第六 冬歌 00590</ref>
<ref name=mizugaki>水垣久『千人万首』より</ref>
<ref name=iwanami>『岩波古典大系』の注</ref>
<ref name=isa>伊佐(参考文献)</ref>
<ref name=aduma>『吾妻鏡』 承元元年十一月十七日条</ref>
}}
 
== 参考文献 ==
* 古城明美 「[https://ci.nii.ac.jp/naid/110004671894 二條院讃岐集考]」 『香椎潟』 21,37-42 1975年10月15日 [[福岡女子大学]]
* [[森本元子]] 『二条院讃岐とその周辺』 笠間叢書 1984年5月 [[笠間書院]] ISBN 978-4305101822
* 小田剛 『二条院讃岐全歌注釈』 研究叢書 2007年12月 和泉書院 ISBN 978-4757604315
* 伊佐迪子 「[https://ci.nii.ac.jp/naid/110007975218 二条院讃岐新考]」 『佛教大學大學院研究紀要』(01-21) 2008年3月1日 [[佛教大学]]大学院
* 伊佐迪子 「[https://ci.nii.ac.jp/naid/110007974738 二条院讃岐の人生]」: 前半生を中心に 『佛教大学大学院紀要』(22-36) 2010年3月1日 佛教大学大学院
* 伊佐迪子 「[https://ci.nii.ac.jp/naid/110008454262 二条院讃岐の実人生:後半生を中心に]」 『佛教大学大学院紀要』(22-36) 2011年3月1日 佛教大学大学院
 
{{Portal|文学}}
{{Wikiquote|二条院讃岐}}
{{百人一首}}
{{writer-stubNormdaten}}
 
[[Category:歌人|にしよういんさぬき]]
[[Category{{DEFAULTSORT:小倉百人一首の歌人|にしよういんのさぬき]]}}
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[[Category:鎌倉時代13世紀日本人物|にしようにんさぬき女性]]
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[[Category:13世紀日本の女性著作家]]
[[Category:源頼政の子女]]
[[Category:摂津源氏]]
[[Category:日本の女性歌人]]
[[Category:平安時代の女性]]
[[Category:鎌倉時代の女性]]
[[Category:平安時代の歌人]]
[[Category:鎌倉時代の歌人]]
[[Category:12世紀の歌人]]
[[Category:13世紀の歌人]]
[[Category:小倉百人一首の歌人]]
[[Category:生没年不詳]]