「京王電鉄バス」の版間の差分
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京王電気軌道︵現‥[[京王電鉄]][[京王線]]︶は、[[1910年]]︵[[明治]]43年︶[[9月21日]]、[[資本金]]125万円︵払込資本金31万2500円︶で設立、本店を[[東京府]][[豊多摩郡]][[代々幡村]][[大字]]代々木[[小字|字]]山谷291番地に置いた<ref name=keio>﹃京王帝都電鉄30年史﹄年表、p.236-p.241、1978年︵昭和53年︶6月1日発行、京王帝都電鉄株式会社総務部</ref>。京王のバスの歴史は[[1913年]][[4月15日]]、[[京王線]]の[[笹塚駅|笹塚]] - [[調布駅|調布]]間の開通と同時に、未成区間の新宿駅 - [[笹塚駅]]間および[[調布駅]] - [[府中駅 (東京都)|府中]] - [[国分寺駅]]間に、5両の車両で乗合バスを開業したことに始まる。これらは'''東京における最初のバス営業'''である。この路線は暫定的な輸送手段の色合いが濃く、[[1914年]]に調布駅 - 国分寺駅間が運休︵のち廃止︶、[[1915年]]には新宿駅 - 笹塚駅間も鉄道開業にともない廃止され、いずれも短期間で幕を下ろしている<ref name=bjbook27>{{Cite book |和書 |author= |year=1999-04-01 |title=バスジャパン ニューハンドブックシリーズ27京王電鉄 京王バス 西東京バス |page=|publisher=[[バス・ジャパン|BJエディターズ]]/星雲社|isbn=4-7952-7783-4 }}</ref><ref name=bjbook62>{{Cite book |和書 |author= |year=2007-09-01 |title=バスジャパン ハンドブックシリーズR 62 京王電鉄バス 西東京バス |publisher=[[バス・ジャパン|BJエディターズ]]/星雲社|isbn=978-4-434-10234-9 |quote= }}</ref><ref name=bjbook86>{{Cite book |和書 |author= |year=2014-12-01 |title=バスジャパン ハンドブックシリーズS 86 京王バス 西東京バス |page=|publisher=[[バス・ジャパン|BJエディターズ]]/星雲社|isbn=978-4-434-19866-3 }}</ref>。{{See also|京王線の新宿駅付近の廃駅|代々幡町#代々幡村と京王電鉄}} 京王が再びバス事業に乗り出すのは、昭和初期のことである。[[1924年]]︵[[大正]]13年︶10月に、笹生万吉<ref>現在の[[千葉県]][[富津市]][[湊町 (千葉県)|湊]]にて旅館﹁万歳館﹂を営んでいたが、1913年︵大正2年︶4月木更津港 - 上総湊間に千葉県下で初の乗合バスを開業させた人物。</ref>が万歳自動車の名義で[[甲州街道]]の[[新宿三丁目]] - [[京王線の新宿駅付近の廃駅|新町]] - [[代々幡町|代々幡]]間にバスを開業させた。その後路線を[[烏山 (世田谷区)|烏山]]・[[調布町|調布]]を経て[[多磨村]]の[[東京都公園協会|東京市営公園墓地]]︵現・[[多磨霊園]]︶まで延長していた。[[1927年]]5月31日、[[堀内良平]]等の手により'''甲州街道乗合自動車'''が設立され<ref>大蔵省印刷局 [編]﹃官報﹄1927年09月29日 日本マイクロ写真 1927年 国立国会図書館デジタルコレクション</ref>、笹生の事業を引き継いだ。 甲州街道乗合自動車はその後、[[1930年]]︵昭和5年︶8月5日には[[千駄ケ谷駅]] - [[原宿駅]]間、および新町 - [[青山 (東京都港区)|青山]]四丁目間の'''神宮乗合自動車'''︵[[1928年]]︵昭和3年︶2月23日開業︶を、[[1935年]]︵昭和10年︶頃には[[武蔵小金井駅]]から多磨霊園北門までと、小金井橋を経て旧[[五日市街道]]を東は柳橋、西は喜平橋まで結んで営業していた'''小金井乗合自動車'''︵鴨下正義と島崎橘之助が[[1930年]]︵昭和5年︶4月1日に開業。別名・小金井モーターバス<ref>小金井市誌編さん委員会 編﹃小金井市誌﹄第1 (地理編) 小金井市 1968年 国立国会図書館デジタルコレクション</ref>︶を、[[1937年]]︵昭和12年︶7月24日には[[東京市]]内の新宿一丁目から[[音羽]]九丁目までの路線を持つ'''山之手乗合自動車'''︵中村融一が1925年︵大正14年︶8月24日に山之手乗合自動車商会として開業し、1934年9月13日に株式会社を設立︶をそれぞれ買収して営業権と資産を譲受したことで甲州街道乗合自動車の路線網は、甲州街道沿いにとどまらず広範囲にわたっていた<ref name=bjbook27 />。 |