「今村英生」の版間の差分
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原稿の序文で、ケンペルが﹁日本人助手﹂の協力に言及しているが、その名前は著書のどこにも記さなかった。それが明らかにされたのは1990年、大英図書館日本コレクション部長ユーイン・ブラウン︵Yu-ying Brown︶によりケンペルと今村源右衛門︵英生︶との雇用契約書﹁請状之事﹂が発見されたことによる<ref>ユーイン・ブラウン﹁大英図書館所蔵ケンペル将来日本資料の意義﹂﹃ケンペル展﹄︵ドイツ・日本研究所、東京、1990︶</ref>。 1695年9月26日、25歳の英生は語学力を買われ稽古通詞に採用される<ref>1695年9月26日‥﹁奉行達は今朝、稽古通詞3人任命した由、 ︵中略︶2人目の自人物はオランダ語のImamorach Gennemonと名乗る者で、我々の言葉に熟達しており、だれ一人彼の上を越す物は居なかった。彼は若い頃より現在迄当地商館の上位外科医に奉公している。﹂今村英明﹁﹃商館日誌﹄と﹃オランダ商館日誌と今村英生・今村明生﹄、p.1</ref>。身分制度の厳しい時代、家格の低い内通詞出身の者が正式な通詞に採用されるのは異例なことであった<ref>片桐一男﹃阿蘭陀通詞今村源右衛門英生 ― 外つ国の言葉をわがものとして﹄丸善ライブラリー145︵丸善、1995︶ ISBN === シドッチと新井白石 ===
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* Paul van der Velde “Die Achse, um die sich alles dreht. Imamura Gen’emon Eisei(1671-1736) Dolmetscher und ebenbürtiger “Diener” Kaempfers”. In: Detlev Haberland (ed.), Engelbert Kaempfer - Werk und Wirkung, Vorträge der Symposien in Lemgo (19.-22. 9. 1990) und in Tokyo (15.-18. 12.1990). (Franz Steiner Verlag : Stuttgart, 1993)
* B.M.ポダルト・ベイリー著・中直一訳『ケンペルと徳川綱吉』中公新書1168(中央公論社、1994) ISBN 4121011686
* [[片桐一男]]『阿蘭陀通詞今村源右衛門英生 — 外つ国の言葉をわがものとして-』丸善ライブラリー145(丸善、1995) ISBN
* 勝山脩「江戸時代に翻訳されたオランダ語獣医学書の原典の探索」『洋学』4(洋学史学会、1995)
* 今村英明「阿蘭陀通詞今村・堀家に関する考察」『洋学史研究』13号(洋学史研究会、1996)
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