「仮面舞踏会 (ヴェルディ)」の版間の差分
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== 作曲の経緯 ==
﹁[[シモン・ボッカネグラ]]﹂︵1857年3月初演︶の次作としてヴェルディが作曲した作品である。 当時は[[イタリア統一運動]]︵リソルジメント︶が激化していた時期であり、フランスの影響が強く、検閲の厳しいナポリで国王暗殺事件を扱う作品の上演は簡単ではなかった。ヴェルディたちは内容にはできるだけ手を加えず、題名を﹃ドミノの復讐﹄としてナポリ検閲当局と交渉したが、折悪しく1858年1月にイタリアの民族主義者[[フェリーチェ・オルシーニ]]が、フランス皇帝[[ナポレオン3世]]暗殺未遂事件をおこしたことなどから、検閲当局はより態度を硬化させ ヴェルディ最新作の上演計画がナポリで頓挫したとの知らせはすぐイタリア中に広まり、ミラノ、ローマなど諸都市の一流劇場から新作の上演希望がヴェルディのもとに寄せられた。幾つもの候補の中からヴェルディはローマのアポロ劇場と上演契約を締結する。同劇場支配人ヤコヴァッチから、当時ローマ法王の直轄地であったローマでは検閲が比較的寛容で、ヴェルディの望む形態での上演を実現しやすいことを熱心に説かれたことや、以前同劇場で﹃[[イル・トロヴァトーレ]]﹄を初演した経験があったことなどが劇場選定の決め手になったといわれる。ローマでの交渉の結果、物語の内容はほぼそのままで、作品の舞台を[[ヨーロッパ]]以外の場所とすることを条件に上演許可が得られた。ヴェルディは舞台を[[イギリス]]植民地時代の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に移すことを提案、主人公グスタフ3世はボストン総督リッカルド、暗殺者アンカーストレム伯爵は総督の秘書レナートに、国王に反対する貴族ホーン伯爵とリッビング伯爵をそれぞれトムとサムエルとして名前が改められた。そして、リッカルドの殺害に使われた凶器をピストルから短剣に変えるなどの修正が行なわれ、題名も﹃仮面舞踏会﹄に決定、ヴェルディによる音楽には全く変更を加えることなく、ようやく初演を迎えることとなった。 |