「伊東一雄」の版間の差分
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== ドラフト会議の司会者 ==
{{by|1965年}}から始まった[[プロ野球ドラフト会議|ドラフト会議]]では[[1991年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1991年]]まで司会を務め、独特の名調子で選手名を読み上げることで知られた。また1988年以前のドラフト会議では、選手名などが記された看板を掲示板に引っかけて表示する方式だったため、伊東が選手名を読み上げた後すぐには漢字表記がわからないことがあり、以下のような独特の漢字説明を行なっていた。 *[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]から指名された[[芝草宇宙]]︵投手、[[帝京中学校・高等学校|帝京高]]︶の﹁宇宙﹂を説明するために、英語に堪能な伊東は﹁ひろしは宇宙、大宇宙、コスモ﹂と例えた。 *[[1984年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1984年のドラフト会議]]では、[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ]]に指名された[[蒲谷和茂]]に対して﹁[[ウナギ|うなぎ]]の[[蒲焼|蒲焼き]]の蒲﹂と発言している<ref>蒲谷はオリンピック出場のため、この年のドラフト指名を拒否して[[東芝硬式野球部|東芝]]に進んだ。</ref>。 最も物議を醸したエピソードとしては[[1972年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1972年]]、[[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ]]4位指名の[[益山性旭]]︵投手、[[履正社学園豊中中学校・履正社高等学校|大阪福島商高]]︶の名前を説明する際に、﹁'''﹃性﹄は[[Sex|セックス]]の性!'''﹂と高らかに説明した件が挙げられる。この﹁セックス﹂はいわゆる性行為ではなく﹁性別﹂の意︵英語ではどちらも“sex”である︶であり、英語が堪能な伊東らしい言い回しではあったのだが、場内は爆笑に包まれ、特に当時[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]監督の[[西本幸雄]]は座っていた椅子から転げ落ちて大笑いしたという。後日伊東は﹁﹃性別の性﹄と言っておけばよかった﹂と語っており、益山に対して謝罪している<ref>この年益山は大洋には入団せず[[帝京大学]]に進み、[[1976年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1976年]]に[[阪神タイガース]]から1位指名を受け入団した。このエピソードが阪神1位指名時のものとする記述が各所で見られるが誤りである。</ref>。 [[1976年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1976年のドラフト会議]]では、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]がいの一番に指名した投手・[[酒井圭一]]の読みを﹁さかい せいいち﹂と読んだり︵戦前の[[慶應義塾大学]]の名監督・阪井盛一と混同したという︶、最後の司会となった[[1991年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1991年のドラフト会議]]にも、ヤクルトが1位指名した[[石井一久]]の学校名︵[[東京学館浦安中学校・高等学校|東京学館浦安高]]︶を﹁[[東京学館高等学校|東京学館高校]]﹂と読んだ。なお後者の際は、1度目に読む時には正しく発音している。同年のドラフトで全選手中、最後に指名された︵[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]のテストを200名近い全受験者中たった一人合格した︶[[田畑一也]]が最後に伊東から名を読み上げられた指名選手となった。 |