「伊良子光順」の版間の差分
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嘉永4年︵[[1851年]]︶、光順は[[孝明天皇]]の[[痔疾]]治療を命ぜられる。孝明天皇は嘉永2年︵[[1849年]]︶頃から痔に悩まされ、他の複数の典医たちが[[漢方薬]]を用いた治療を行ったが病状は好転せず、[[内科]]的治療に限界が見えていた。そこで、[[外科]]を家業とし痔の治療で実績を持っていた伊良子流がにわかに注目されたわけである。光順はこの拝命を機に、拝診の詳細な記録を日記に残すことを始めた。 嘉永4年10月28日︵1851年[[11月21日]]︶、光順は初めて孝明天皇の寝所に侍して患部の診察を行った。このとき、天皇の痔疾はすでに 幸いにして光順の処方は功を奏し、天皇の病状は和らぐ。この功績により、光順は[[安政]]2年︵[[1855年]]︶、32歳の若さで[[従五位|従五位下]]に推叙されている。養父の光通が同じ位階を与えられたのは47歳になってからであったから、孝明天皇の光順に寄せる信頼が大きかったことが伺える。 |