「佐良直美」の版間の差分
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[[東京都]]出身で、[[明治時代]]の[[漢学者]][[川田甕江]]の[[玄孫]]で[[住友財閥]]の常務理事の[[川田順]]︵甕江の三男︶の従曾孫にあたる。遠縁に[[吉永小百合]]がいる<ref>佐良直美の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永小百合の母が姉妹同士</ref><ref name="joseijishin">﹃女性自身﹄1981年5月14日・21日合併号。</ref>。また[[山本直純]]の妻の[[山本正美 (作曲家)|山本正美]]も遠縁にあたる<ref>山本正美の妹の夫の母が、吉永小百合の母のいとこの妻と姉妹同士</ref><ref name="joseijishin"></ref>。 [[雙葉中学校・高等学校|雙葉高等学校]]在学時の16歳の時、ジャズボーカリスト、[[水島早苗]]に師事しジャズボーカルを学ぶ。[[1967年|1963年]]、[[日本大学藝術学部]]に進学。[[1967年]]に卒業後、プロシンガーを目指し、NHK新人オーディションを受け、高成績で合格。新人離れした歌唱力とステージ度胸で、同年4月スタートの公開音楽番組﹃音楽の花ひらく﹄<ref>{{Cite web |title=音楽の花ひらく|番組|NHKアーカイブス |url=https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009041278_00000 |website=音楽の花ひらく|番組|NHKアーカイブス |access-date=2024-06-10 |language=ja |last=NHK}}</ref>のレギュラー出演者として異例の抜擢を受ける。5月には作曲家[[いずみたく]]が主宰する芸能事務所﹁株式会社オールスタッフプロダクション﹂に所属し、[[ビクターエンタテインメント|日本ビクター]]より﹁[[世界は二人のために]]﹂でレコードデビュー。120万枚を売り上げ、[[第9回日本レコード大賞]]の新人賞を受賞し、同年の[[第18回NHK紅白歌合戦]]に初出場する。﹁世界は二人のために﹂は翌[[1968年]]、[[第40回選抜高等学校野球大会]]の[[選抜高等学校野球大会入場行進曲|入場行進曲]]に採用された。 [[1969年]]に「[[いいじゃないの幸せならば]]」で[[第11回日本レコード大賞]]を受賞し、女性歌手初の日本レコード大賞新人賞・大賞受賞者となる。[[1970年]]に[[芸術選奨新人賞]]を受賞する。
[[1971年]]に
歌手としてだけでなく、作曲︵テレビドラマの音楽も担当︶、タレントとしてのバラエティー番組への出演やテレビ番組の司会、女優としても石井ふく子組の一員として﹃[[ありがとう_(テレビドラマ)|ありがとう]]﹄に出演するなど、多方面で活躍した。 |