「冨士原清一」の版間の差分
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[[1928年]]︵昭和3年︶、﹃薔薇・魔術・学説﹄のメンバーと、[[西脇順三郎]]・[[瀧口修造]]ら﹃馥郁タル火夫ヨ﹄のメンバーとが合流する形で﹃衣裳の太陽﹄を創刊︵編集発行人︶。東京でシュルレアリスムを標榜する詩人の大半がここに集う。のちにシュルレアリストの国際的オルガナイザーとなる[[山中散生]]は、[[冨士原清一]]から﹃衣裳の太陽﹄を贈られたことを機にシュルレアリスムに傾倒する<ref>{{Cite book|title=黒沢義輝﹁山中散生年譜﹂︵﹃山中散生全詩集﹄所収︶|date=2010|year=|publisher=沖積舎}}</ref>。 1930年(昭和5年)、[[瀧口修造]]の主唱により、シュルレアリスムの国際交流を目論む『LE SURRÉALISME INTERNATIONAL』を創刊(編集発行人)。この雑誌は日本語版の一号のみで終刊してしまったが、この路線はのちに『L'ÉCHANGE SURRÉALISTE』([[山中散生]]編、1936年、ボン書店刊)、および日本初の本格的シュルレアリスム美術展「海外超現実主義作品展」
以上、三つの主要なシュルレアリスム雑誌すべてを主宰したほか、﹃馥郁タル火夫ヨ﹄など多くの前衛詩誌の出資者となる<ref>{{Cite book|title=京谷裕彰﹁冨士原清一年譜﹂︵﹃薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成﹄所収︶|date=|year=2019年|publisher=共和国}}</ref>。 |