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=== マラリア5県 ===
戦前、[[青森県]]、[[群馬県]]、[[栃木県]]、[[三重県]]、[[静岡県]]、[[福井県]]、[[滋賀県]]などでマラリア対策が実行された。各地の対策はマラリア患者に塩酸[[キニーネ]]を無料で投与する無料診療が中心であり、流行が見込まれる場合には塩酸キニーネの予防投与が行われたこともあった。またマラリアを媒介するハマダラカの駆除を目的として発生する水域に石油を撒いたり、人家付近の樹木や雑草の除去を奨励した例もあった<ref name="日本に於けるマラリアの疫学的研究101">[[#日本に於けるマラリアの疫学的研究|森下︵1969︶p.101.]]</ref>。戦前の各地の対策は計画的に遂行されたマラリアの予防策ではなかったものの、主に実行された塩酸キニーネ投与による無料診療は、三日熱マラリアはキニーネがよく効くマラリアであるため効果はあったと考えられている<ref name="日本に於けるマラリアの疫学的研究101-102">[[#日本に於けるマラリアの疫学的研究|森下︵1969︶pp.101- マラリアは大正時代以降減少していき、大正末期には消滅した地域もあった。全国患者数も1920年ころには約9万、1934年から1938年には約2万と減少傾向が続いた<ref name="戦後マラリアの流行学的研究34" /><ref name="日本に於けるマラリアの疫学的研究100">[[#日本に於けるマラリアの疫学的研究|森下(1969)p.100.]]</ref>。寄生虫学者の[[佐々学]]は、「日本のマラリアは大部分がいわばひとりでになくなった」と述べている<ref name="日本の風土病124">[[#日本の風土病|佐々(1959)p.124.]]</ref>。佐々は日本のマラリアの減少は土地改良による湿地の減少、水田の整備、そして農薬の散布の普及によって、ハマダラカの発生が少なくなったためではないかと分析しており<ref name="日本の風土病124-125">[[#日本の風土病|佐々(1959)pp.124-125.]]</ref>、やはり寄生虫学者の森下薫も、ハマダラカの発生水域の減少がマラリア減少の要因であると考えている<ref name="日本に於けるマラリアの疫学的研究102">[[#日本に於けるマラリアの疫学的研究|森下(1969)p.102.]]</ref>。
マラリアは昭和に入ると一部の地域に残存する形となり<ref name="日本に於けるマラリアの疫学的研究100" />。1935年ころには[[福井県]]、[[滋賀県]]、[[富山県]]、[[石川県]]、[[愛知県]]の5県にマラリアが集中的に発生し、中でも福井県、滋賀県の2県で全国の半数以上の患者が発生するようになった<ref name="戦後マラリアの流行学的研究34" />。この福井県、滋賀県、富山県、石川県、愛知県の5県は「マラリア5県」と呼ばれた<ref name="歴史的景観の改変31">[[#歴史的景観の改変|米島(2011)p.31.]]</ref>。▼
▲ === 戦後のマラリア流行と収束 ===▼
== 彦根市のマラリア ==
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