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滋賀県内で発生していたマラリアは三日熱マラリアであり、[[琵琶湖]]東岸の低湿地帯周辺に多く発生し、湖から離れるにしたがって減少していた<ref name="彦根市におけるマラリア撲滅の効果について28">[[#彦根市におけるマラリア撲滅の効果について|加藤︵1969︶p.28.]]</ref>。滋賀県内で調査されたマラリアを媒介するハマダラカの生息状況調査でも、湖沼、湿地帯に多く発生していることが確認されている<ref name="疾病媒介蚊の生息分布域の分析152">[[#疾病媒介蚊の生息分布域の分析|米島、中谷、渡辺、二瓶、津田、小林︵2015︶p.152.]]</ref>。マラリアは古くから流行していたものと推測されているが、明治以前、滋賀県内でマラリアの記録は確認されていない<ref name="彦根市に於けるマラリアの疫学的研究366">[[#彦根市に於けるマラリアの疫学的研究|小林︵1955︶p.366.]]</ref>。1880年12月に滋賀県衛生部から出された、医師にマラリア患者を届出報告させるとの内容の通達が滋賀県内におけるマラリアの初の記録である。しかしその後、明治時代から大正時代にかけては滋賀県内のマラリア感染の実情は全く把握されることが無かった<ref name="彦根市に於けるマラリアの疫学的研究366" />。 またかつて彦根では﹁瘧︵おこり︶を振るう﹂ことは春の行事の一つのような位置づけであり、また﹁二、三日瘧︵おこり︶を震わんと夏が越せない﹂という言葉もあり、マラリアは彦根の人々にとってありふれた病気であった<ref name="彦根市史下581">[[#彦根市史下|中村︵1964︶p.581.]]</ref><ref name="戦後占領期の感染症とその対策454">[[#戦後占領期の感染症とその対策|田中︵2009︶p.454 === 戦前期の対策 ===
滋賀県内に歩兵連隊を配置することになった際に、彦根が有力候補とされながらマラリアの蔓延が問題視されて[[大津市|大津]]付近の設置が決まったとされており、1917年に滋賀県下で行われた陸軍特別大演習は彦根に大本営設置が決定するまでの間に、やはりマラリアが問題点として取り上げられたと伝えられている<ref name="彦根市のマラリア対策33">[[#彦根市のマラリア対策|小林(1952)p.33.]]</ref>。滋賀県内において初めて実施されたマラリア予防策は、1884年4月に県令として制定された「溝渠浚渫規則」であるとされている<ref name="彦根市に於けるマラリアの疫学的研究366" />。
=== GHQの勧告とマラリア対策の立案 ===
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