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Supersumeragi (会話 | 投稿記録) ごじのしゅうせい |
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| 各国語表記 = まえじま ひそか
| 画像 = Maejima Hisoka 1.jpg
| 画像説明 =
| 国略称 = {{JPN1870}}
| 生年月日 = [[1835年]][[2月4日]]<br />([[天保]]6年[[1月7日 (旧暦)|1月7日]])
| 出生地 =
| 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1835|2|4|1919|4|27}}
| 死没地 = {{JPN1870}}
| 出身校 =
| 前職 =
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| 親族(政治家) =
| 配偶者 =
▲| サイン =
| 国旗 = JPN1870
| 職名 = [[貴族院 (日本)#伯爵議員・子爵議員・男爵議員|貴族院男爵議員]]
| 当選回数 = 1回
| 就任日 = [[1904年]][[7月10日]]
| 退任日 = [[1910年]][[3月10日]]
}}
'''前島 密'''︵まえじま ひそか、[[1835年]][[2月4日]] [[越後国]]出身。日本の近代[[郵便]]制度の主要な創設者の一人であり﹁日本近代郵便の父﹂と呼ばれ == 人物 ==
; 漢字廃止を建議
[[1866年]]︵慶応2年︶に、前島密は﹁[[漢字御廃止之議]]﹂という建議書を将軍[[徳川慶喜]]に提出した。これは、国民の間に学問を広めるためには、難しい漢字の使用をやめるべきだという趣旨のもので、 前島はその後も、国語調査委員としてこの問題に取り組んでいる。郵便制度にも「切手(きって)」「はがき」「手紙(てがみ)」「小包(こづつみ)」「為替(かわせ)」「書留(かきとめ)」など[[やまとことば]]を導入した<ref>[https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/181028/ 郵便用語は「やまとことば」ばかり!日本郵便の父・前島密がこだわった理由とは | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!]</ref>。
; 江戸遷都を建言
明治政府は新しい[[首都]]をどこにするか検討している中、前島密は、[[1868年]]︵慶応4年︶に[[大久保利通]]の大阪遷都論を読んで、これに対し、[[遷都]]の地は我が国の中央にあたる江戸でなければならないと大久保に建言した。この意見は大久保を動かし、実現することとなる。この年7月江戸は[[東京市|東京]]と改められ、9月に[[天皇]]は東京へ行幸になり、[[江戸城]]は皇居となった。 ; 鉄道敷設の立案
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; 訓盲院の創立
[[1876年]]︵明治9年︶に視覚障碍者の教育を目指す[[楽善会]]に入会した密は、[[杉浦譲]]など同志たちとともに私金を出し合い、訓盲院の設立に力を尽くした。[[1879年]]︵明治12年︶に完成した訓盲院は、その後文部省へ移されたが、前島は引き続き同校の役員として、長くその運営発展に力を注いだ。そのため[[1917年]]︵大正6年︶の皇后 ; 勧業博覧会の開催
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; 東京専門学校の創立
[[1882年]]︵明治15年︶、[[早稲田大学]]の前身、[[東京専門学校 (旧制)|東京専門学校]]が創立された。この学校は学問の独立を主張する大隈重信の発意で生まれものだが、密はその創立に参画してこれを助けた。その後、[[1887年]]︵明治20年︶に校長に就任し、財政の独立など経営上の困難な問題の解決にあたり、校長を退いたのちも、長く同校の発展のために尽くした<ref name="waseda-weekly"/>。早稲田大学正門横にある﹁早稲田大学教旨﹂の石碑の刻字は、前島密の自筆が原本である<ref>{{Cite journal|和書 |author=嶌田 修 |title=システム共同運用記念シンポジウム﹁早慶図書館の挑戦﹂併設展示に寄せて |journal=早稲田大学図書館紀要 |issn=02892502 |publisher=早稲田大学図書館 |year=2021 |month=march |volume=68 |pages=97-110 |url=https://hdl.handle.net/2065/00075046}}</ref>。また、長女の不二は、[[高田早苗]]の夫人となっている。 ; 電話の開始
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== 年譜 ==
[[Image:Maejima Hisoka.jpg|thumb|180px|幕末期の前島
[[File:Hisoka Maejima 01.jpg|thumb|和服姿の前島(1911年〈明治44年〉)]]
* 1835年︵天保6年︶ - [[越後国]][[頸城郡]][[下池部|下池部村]]︵現在の[[新潟県]][[上越市]]大字[[下池部]]︶に[[豪農]]、[[上野助右衛門]]の二男として生まれる。幼名房五郎。父が間もなく亡くなり、母方の叔父糸魚川藩医[[相沢文仲]]に養われた。 * [[1847年]]([[弘化]]4年) - [[江戸]]に出て[[医学]]を修め、[[蘭学]]、[[英語]]を学ぶ。
* [[1858年]]([[安政]]5年) - 航海術を学ぶため[[函館市|函館]]へ赴く。名を巻退蔵と改める。
* [[1859年]](安政6年) - [[武田斐三郎]]の諸術調所に入る。
* [[1861年]](文久元年) - [[ロシア軍艦対馬占領事件]]処理のために対馬へ赴く外国奉行組頭となった[[向山黄村|向山栄五郎]]に随行する<ref name="postalmuseum"/>。
* [[1862年]](文久2年) - 長崎で[[米国聖公会]]の宣教師[[チャニング・ウィリアムズ]]([[立教大学]]創設者)、[[グイド・フルベッキ]]から[[英学]]を学ぶ<ref name="postalmuseum">[https://www.postalmuseum.jp/column/collection/maejima-history.html 郵政博物館『前島密一代記』]</ref>。
* [[1864年]]︵元治元年︶ - [[何礼之]]が長崎に開いた私塾の塾長となる。苦学生のために瓜生寅と共に私塾﹁倍社﹂を開く{{Refnest|group="注釈"|﹃前島密自叙伝・年譜﹄︵前島密伝記刊行会︶には、﹁元治元年1864九月三十才長崎に於いて、貧しい遊学生のために少費の合宿所を設け、瓜生寅を学長に依頼し、何先生の許可を得て倍社と称する私塾を開き、貧生のために英学を教授す。倍社は禅宗某寺の空堂を借りた。﹂とある。禅宗某寺の空堂とは、[[フルベッキ]]が寓居としていた[[崇福寺 (長崎市)|崇福寺]]広福庵と考えられる。}}<ref>{{Cite journal|和書 |author=村瀬寿代 |title=長崎におけるフルベッキの人脈 |journal=桃山学院大学キリスト教論集 |issn=0286973X |publisher=桃山学院大学総合研究所 |year=2000 |month=mar |issue=36 |pages=63-94 |naid=110000215333 |url=http://id.nii.ac.jp/1420/00002595/}}</ref><ref>[https://www.japanpost.jp/corporate/milestone/founder/index02.html 日本郵政﹃前島密年譜﹄]</ref>。▼ * [[1863年]]︵文久3年︶ - 遣欧使節の通訳となった[[何礼之]]の従者として洋行する機会を得て江戸に向かう。しかし、乗船した福岡藩のコロンビア号が故障し、江戸に到着したのは池田筑後守等[[横浜鎖港談判使節団|遣欧使節]]一行が出発した後であり、洋行は失敗に終わる<ref name="postalmuseum"/>。 ▲* [[1864年]]︵元治元年︶ - [[何礼之]]が長崎に開いた私塾の塾長となる。苦学生のために[[瓜生寅]]と * [[1865年]]([[慶応]]元年) - 倍社の生徒であった[[鮫島尚信]]の招きで[[薩摩藩]]の[[洋学校]]・[[開成所#同名の機関|開成所]](幕府直轄の開成所とは異なる)の蘭学講師となる。
* [[1866年]]︵慶応2年︶ - 幕臣前島家の養子となり、[[家督]]を継いで前島来輔と名乗る。[[漢字御廃止之議]]を[[征夷大将軍|将軍]]・[[徳川慶喜]]に提出。幕臣[[清水与一郎]]の娘奈何︵仲子︶と結婚。 * [[1867年]](慶応3年) - 幕府直轄[[開成所]]の数学教授に就任。神戸開港に伴い、兵庫奉行の手付出役として神戸に行き、港の事務に当たる。
* [[1868年]]︵慶応4年、明治元年︶ - 兵庫奉行支配役になり、翻訳方を兼務する。江戸に戻り、勘定役格徒歩目付役になり、平岡一に属し官軍迎接役として小田原まで出張するが果たせず、江戸民生の安寧に努める。大阪まで出向き、[[大久保利通]]に江戸遷都を建言する。[[大政奉還]]後、駿河藩︵静岡県︶留守居添役、同本役になり、間もなく同藩公用人になる * [[1869年]]︵[[明治]]2年︶ - 駿河藩浜松添奉行になり同藩遠州中泉奉行になる。後に静岡藩開業方物産掛に。このころ密に改名。この年の暮れに[[明治政府]]に召され、[[民部省]]九等出仕になり、改正掛に出仕する。 * [[1870年]]︵明治3年︶3月 - 租税権正、5月には[[駅逓権正]]兼任となり、[[太政官 (明治時代)|太政官]]に郵便制度創設を建議。郵便制度視察および鉄道建設借款契約締結のため渡英。 * [[1871年]](明治4年)8月 - 帰国、駅逓頭に任じられ、郵便制度創設に尽力、日本の近代的郵便制度の基礎を確立。
* [[1872年]]︵明治5年︶ - 陸海元会社︵現、[[日本通運|日本通運株式会社]]︶、[[報知新聞|郵便報知新聞]]︵現[[スポーツ報知]]︶の設立及び刊行に関与。 123 ⟶ 121行目:
**[[紀尾井坂の変]]にて事件直後に駆け付け、そこで目撃した大久保の遺体を「肉飛び骨砕け、又頭蓋裂けて脳の猶微動するを見る」と生々しく表現している。
* 日本海員掖済会の委員長・会長である[[赤松則良]]を助け、同会の副委員長(1889年〈明治22年〉-1891年〈明治24年〉)・副会長(1891年〈明治24年〉 - 1905年〈明治38年〉)・理事会長(1905年〈明治38年〉-1910年〈明治43年〉)を務めた。
*前島は晩年を別荘﹁如々山荘﹂で過ごし、如々山翁を称した。この別荘は[[三浦半島]]西海岸の、現[[横須賀市]][[芦名 (横須賀市)|芦名]]二丁目にある[[浄土宗]]寺院、[[浄楽寺]]の境内にあった。前島夫妻の墓所も浄楽寺境内にある。また、前島の胸像と一体になった[[御影石]]製記念[[郵便ポスト]]︵使用可︶がある{{Sfn|仲野|2018|p=136}}<ref>{{Cite web == 切手 ==
132 ⟶ 130行目:
日本における近代郵便制度の父として、現行の1円[[日本の普通切手|普通切手]]に前島の肖像が描かれているほか、いくつかの[[記念切手#日本の記念切手|記念切手]]にも彼の肖像が描かれている。 他の日本の切手が頻繁にデザインを変更している中、前島の肖像が描かれている1円切手だけは昭和22年︵1947年︶の初発行以来、文字などに若干の調整があるほかは一度も基本のデザインが変更されていない。[[日本郵便]]も、1円切手の前島の肖像だけは今後も変更することはないと公式に発表している<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[朝日新聞]]|date=2014-11-13|url=https://www.asahi.com/articles/ASGCD5WKVGCDULFA02M.html|title=切手デザイン一新 1円の前島密だけは﹁変えられない﹂朝日新聞デジタル|accessdate=2014-11-13|archiveurl= https://web.archive.org/web/20190601154613/https://www.asahi.com/articles/ASGCD5WKVGCDULFA02M.html|archivedate=2019-6-1}}</ref>。 令和3年︵2021年︶4月14日に日本郵便のマスコットキャラクター﹁[[ぽすくま]]﹂をデザインした1円切手が1億枚限定で発行されたが、現行の前島1円切手も継続して販売される<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20210128/k00/00m/020/184000c|title=﹁ぽすくま﹂1円切手を限定発行 70年ぶり新デザイン 前島密肖像の現行絵柄は継続|newspaper=[[毎日新聞]]|date=2021-01-28|accessdate=2021-01-29}}</ref>。 143 ⟶ 141行目:
** 昭和27年(1952年)8月11日発売 - [[銭]]位省略
** 昭和43年(1968年)1月10日発売 - 刷色変更、文字列「NIPPON」追加
** 平成22年(2010年)12月1日発売 - 額面と「NIPPON」の書体変更<ref>{{Cite press release |和書 |url=https://www.post.japanpost.jp/whats_new/2010/1129_01_c01.pdf |title=普通切手の一部券種で使用している書体の変更 |publisher=[[郵便事業株式会社]] |date=2010-11-29|accessdate=2022-06-09|format=PDF}} </ref>
** 平成27年(2015年)2月2日発売 - 額面と「NIPPON」の位置を入れ替え、書体変更<ref>{{Cite press release |和書 |url=https://www.post.japanpost.jp/notification/pressrelease/2014/00_honsha/1112_01_01.pdf |title=新デザインの普通切手の発行 |publisher=[[日本郵便株式会社]] |date=2014-11-12|accessdate=2022-06-09|format=PDF}} </ref>
=== 記念切手 ===
156 ⟶ 154行目:
== 著作 ==
* {{Cite book |和書 |editor=市野弥三郎
* {{Cite book |和書 |editor=
* {{Cite book |和書 |editor=遞信協会
* {{Cite book |和書 |editor=佐々木元勝
* {{Cite book |和書 |title=鴻爪痕 |edition=改訂再版 |date=1955-12 |publisher=前島会 }}
* {{Cite book |和書 |editor=
* {{Cite book |和書 |editor=前島勘一郎
* {{Cite book |和書 |title=福沢諭吉・渋沢栄一・前島密 |date=1981-04 |publisher=[[平凡社]] |series=日本人の自伝 1 }}
* {{Cite book |和書 |editor=郵政省逓信博物館
* {{Cite book |和書 |title=前島密 前島密自叙伝 |date=1997-06 |publisher=[[日本図書センター]] |series=人間の記録 21 |isbn=9784820542629 }}
* {{Cite book |和書 |title=日本海員掖済会沿革小史稿 |date=2001-10 |publisher=[[日本海員掖済会]] }}
170 ⟶ 168行目:
== 親族 ==
* 妻
* 子
** 長男
** 長女
** 二女
** 三女
** 四女
* 孫
== 伝記 ==
* {{Cite book |和書 |author=萩原達 |title=前島密 日本郵便の父 |date=1947-09 |publisher=通信教育振興会 }}
* {{Cite book |和書 |author=
* {{Cite book |和書 |author=
* {{Cite book |和書 |author=橋本輝夫 |title=時代の先駆者前島密 没後80年に当たって |date=1999-06 |publisher=ていしんPRセンター }}
* {{Cite book |和書 |editor=総務省郵政研究所附属資料館
* {{Cite book |和書 |author=小林正義 |title=みんなの郵便文化史 近代日本を育てた情報伝達システム |date=2002-03 |publisher=にじゅうに |isbn=9784931398207 }}
* {{Cite book |和書 |editor=アチーブメント出版編集部
* {{Cite book |和書 |author=
* {{Cite book |和書 |author=
* {{Cite book |和書 |author=小林正義 |title=知られざる前島密 日本文明の一大恩人 |date=2009-04 |publisher=郵研社 |isbn=9784946429200 }}
* {{Cite book |和書 |author=井上卓朗 |others=[[通信文化協会]]監修 |title=前島密 創業の精神と業績 |date=2017-08 |publisher=鳴美 |isbn=9784863550667 }}
196 ⟶ 194行目:
=== テレビドラマ ===
* [[青天を衝け]](2021年[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]。役者:[[三浦誠己]])第29回に郵便制度の創設がある。
== 出典 ==▼
* [https://www.japanpost.jp/corporate/milestone/founder/index02.html 日本郵政『前島密年譜』]▼
== 脚注 ==
{{
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
▲=== 出典 ===
▲* [https://www.japanpost.jp/corporate/milestone/founder/index02.html 日本郵政『前島密年譜』]
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
* {{Cite book |和書 |editor=霞会館華族家系大成編輯委員会編纂 |title=[[平成新修旧華族家系大成]] |volume=下巻 |date=1996-11 |publisher=[[霞会館]] |isbn=9784642036719 }}
* {{Cite journal|和書|first=正美|last=仲野|journal=三浦一族研究|title=浄楽寺紹介|publisher=三浦一族研究会|issue= 22|date=2018-03-31|year=2018|pages=135-136|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2120/culture_info/miura_ichizoku/index.html|ncid=AA11177663|ref=harv}}
== 関連項目 ==
215 ⟶ 214行目:
* [[日本郵政]] - [[日本の普通切手]]
* [[報知新聞社]]
* [[前島記念池部郵便局]]
* [[横須賀秋谷郵便局]]
* [[日本海員掖済会]]
== 外部リンク ==
* [
* [http://www.japanpost.jp/corporate/founder/index02.html 前島密年譜] ‐ [[日本郵政]]のサイト。
* [https://www.postalmuseum.jp/column/collection/maejima-history.html 前島密一代記] - 郵政博物館
* [http://www.postalmuseum.jp/guide/maeshima.html 前島記念館] - 郵政博物館
* {{Commonscat-inline}}
{{
{{S-off}}
{{Succession box
236 ⟶ 235行目:
{{Succession box
| title = {{Flagicon|JPN}} [[駅逓司#歴代の長|駅逓総官]]
| years = 1880年 - 1881年<br />''内務省駅逓局長<br />1877年 - 1880年<br />駅逓頭<br />
| before = [[濱口梧陵|浜口成則]]
| beforenote = 駅逓頭
287 ⟶ 286行目:
| after = [[前島弥]]
}}
{{
{{早稲田大学総長|東京専門学校長:1887年 - 1890年}}
{{Normdaten}}
{{Japan-politician-stub}}
{{デフォルトソート:まえしま ひそか}}
[[Category:前島密|*]]
[[Category:19世紀日本の教育者]]
[[Category:20世紀日本の教育者]]
[[Category:19世紀日本の著作家]]
[[Category:20世紀日本の著作家]]
[[Category:上越市の歴史]]
[[Category:日本の鉄道実業家]]
299 ⟶ 304行目:
[[Category:貴族院男爵議員]]
[[Category:明治時代の貴族院議員]]
[[Category:北越鉄道
[[Category:関西鉄道の人物]]
[[Category:早稲田大学総長]]
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