「北川博敏」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
プレースタイル タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
出典情報補完 |
||
32行目:
* 阪神タイガース (2020 - )
}}
'''北川 博敏'''︵きたがわ ひろとし、[[1972年]][[5月27日]] - ︶は、[[兵庫県]][[伊丹市]]<ref name="jinmei">プロ野球人名事典 2003︵2003年、日外アソシエーツ︶、183ページ</ref>出身の元[[プロ野球選手]]︵[[内野手]]、[[捕手]]︶、[[プロ野球コーチ|コーチ]]。 現役時代には、[[阪神タイガース]]、[[大阪近鉄バファローズ]]、[[オリックス・バファローズ]]でプレー。大阪近鉄時代の{{By|2001年}}、パ・リーグ公式戦対オリックス・ブルーウェーブ最終戦にて'''[[#代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打|代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打︵釣銭無し︶]]'''を放ったことで知られる。 {{By|2012年}}に現役を引退してからは、オリックスで一軍<ref name="sponichi151015">{{Cite news |title=オリックス 新コーチングスタッフ発表 西村ヘッド、高橋打撃コーチら |date=2015-10-15 |newspaper= ==
===プロ入り前===
出生から小学6年生の時まで伊丹市内で過ごした後に、中学1年生から[[埼玉県]][[志木市]]へ転居。当初は父親のみ単身赴任するつもりだったが、北川がそれを嫌い号泣しながら引き留めたために一家揃って埼玉に引っ越した<ref name="datafile62">プロ野球データファイル([[ベースボール・マガジン社]])第62号</ref>。
[[埼玉県立大宮東高等学校]]では3年時に主将を務め、夏の[[全国高等学校野球選手権埼玉大会|埼玉大会]]決勝戦では本塁打を放つなど、同校初となる[[第72回全国高等学校野球選手権大会|全国選手権]]出場に貢献 卒業後、[[東都大学野球連盟]]所属の[[日本大学]]に進学し、一学年下の[[高根澤力]]と正捕手のポジションを争う。捕手としてレギュラーに定着した3年の春季リーグ戦で打率.471の好成績を残し首位打者を獲得 [[1994年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1994年度ドラフト会議]]にて[[阪神タイガース]]から2位指名を受け入団([[希望入団枠制度|逆指名]])
=== 阪神時代 ===
1年目の[[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスター]]でMVPを受賞するなど、打力のある捕手として期待されたが、チームには[[関川浩一]]・[[矢野燿大|矢野輝弘]]などが活躍しており、セールスポイントの打撃も一軍では結果を出せなかった。{{By|2000年}}には監督[[野村克也]]の息子・[[野村克則|カツノリ]]が加入したこともあり、出場機会に恵まれず7打数無安打に終わる。この年のシーズンオフに[[湯舟敏郎]]・[[山﨑一玄]]と共に、[[酒井弘樹]]・[[面出哲志]]・[[平下晃司]]との3対3の[[トレード]]で[[大阪近鉄バファローズ]]へ移籍。背番号は'''46'''となった。 野村は、後に出した著書の一冊である﹁ああ、阪神タイガース﹂に、当時の阪神の中で[[定詰雅彦]]と北川は捕手としては論外であったと書いており、両者とも野村の時代は出場試合が少なく途中でチームを去っており、野村からの評価はかなり低かった<ref>{{Cite news |title=つねに明るい…藤田監督が1軍に引き上げた性格 |date=2019-10-26 |newspaper= === 近鉄時代 ===
70行目:
{{By|2007年}}は、選手会長に就任し、故障も癒えて引き続き主軸として5番を任された。チームは3年ぶりの最下位と低迷したものの、9本塁打を放ち、右肩の故障からの復活を果たした。 {{By|2008年}}は、春季キャンプ中に[[肉離れ]]をおこし、開幕二軍スタートとなった。4月29日の楽天戦より一軍に合流。[[グレッグ・ラロッカ|グレグ・ラロッカ]]の離脱に伴い、[[三塁手]]で起用されることとなった{{Refnest|本人のブログによると、三塁を守るのは約12年ぶりのことだった<ref>{{Cite web |url=https://ameblo.jp/hirotoshi-kitagawa/entry-10095844210.html |title=大敗…(+_+) |accessdate=2020-07-08 |publisher= {{By|2009年}}は、[[ホセ・フェルナンデス (1974年生の内野手)|ホセ・フェルナンデス]]の加入、ラロッカの復調により前年より更にスタメン出場が困難になった。主に右の代打を務めつつも、外国人4人が次々に戦線離脱したため、シーズン最後までスタメンに名を連ねた。しかし、打率以外のほとんどの面で前年の成績を下回り、本塁打は2本に終わった。 76行目:
{{By|2010年}}は、開幕戦を4番DHのスタメン出場で迎えた。本職である一塁手は[[アレックス・カブレラ]]や[[T-岡田]]に奪われ、DHでの出場が多かったが、打撃ではハイアベレージを記録。6月2日の[[中日ドラゴンズ]]戦では、7点ビハインドの8回裏に3点返したあとの無死満塁の打席で、[[高橋聡文]]から同点満塁本塁打を放ち、チームの逆転サヨナラ勝ちに貢献した。その後も主力打者として活躍し続けたが、8月13日から登録抹消はされなかったものの10試合を欠場した。これは、7月14日のロッテ戦で左脛に自打球を当てた影響で、蜂窩(ほうか)織炎による発熱を発症したためであった。復帰後は、9月に100本塁打、1000本安打と節目の記録を次々と達成した。最終的には119試合に出場して打率.306、12本塁打61打点の成績を収めた。 {{By|2011年}}は、キャンプ中に左腓骨骨折と肉離れを併発する。その後震災の影響で開幕が遅れたこともあり、開幕戦の復帰には間に合ったものの、完治していない状態で強行出場することとなる。主に5番指名打者・代打で出場し、6月12日の巨人戦では8回裏に[[澤村拓一]]から決勝2点本塁打を放つ活躍も見せた。しかし、6月26日にロッテ戦︵[[千葉マリンスタジアム]]︶で7回表に左翼線に安打を放ったものの、二塁への走塁中に左足を負傷したため、途中交代後にベンチ裏で応急処置を施された上で試合後に帰阪した<ref>{{Cite news |title=北川 左アキレス腱断裂か…27日に精密検査 |date=2011-06-27 |newspaper=スポーツニッポン |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/06/27/kiji/K20110627001096490.html |accessdate=2020-07-08}}</ref>。診断の結果、全治6か月の[[アキレス腱断裂]]の大怪我であったため翌日縫合手術が行われた<ref>{{Cite news |title=北川、左アキレス腱断裂で手術…今季絶望に |date=2011-06-28 |newspaper=スポーツニッポン |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/06/28/kiji/K20110628001102940.html |accessdate=2020-07-08}}</ref><ref>{{Cite news |title=オリ北川全治6カ月、アキレス腱断裂手術 |date=2011-06-28 |newspaper= {{By|2012年}}も開幕一軍入りし、6月5日のヤクルト戦︵京セラドーム︶で8回裏に[[押本健彦]]からアキレス腱断裂後初の本塁打を放つ<ref name="daily20120606">{{Cite news |title=オリ北川、アキレス腱断裂から復活弾 |date=2012-06-06 |accessdate=2012-10-10 |newspaper= === 現役引退後 ===
85行目:
2014年11月1日付で、オリックスの事業本部企画事業部プロジェクトマネジャー︵PM︶に転身。自身初のフロント業務で、少年野球の指導や、新規ファンの開拓に向けたPR、[[大阪ドーム|京セラドーム大阪]]内の有料見学ツアー︵ドームツアー︶のガイドなどに携わっていた。球団では、北川のPM就任を機に、PMとしての北川の公式ブログ﹁PEI's TIME﹂を公式サイト内に開設。{{By|2015年}}のプロ野球シーズン中には、[[J SPORTS]]の球団主管試合中継や、[[東日本放送]]制作のオリックス戦中継で随時解説を担当した。同年4月から[[TwellV]]で放送を開始した球団情報番組﹁[https://www.twellv.co.jp/program/sports/orix.html オリックス日和]﹂では、元[[BsGirls]]リーダーでキッズチアインストラクターのKYOKOと共に、MCを務めていた。 {{By|2015年}}10月14日に、オリックスの一軍打撃コーチへ就任することが球団から発表{{R|sponichi151015}}。自身2年 == プレースタイル ==
驚異的な勝負強さが魅力の強打者<ref>{{Cite web |title=阪神北川コーチ﹁スパイス的要素に﹂井上1軍推薦も [[バント]]は高校時代に猛練習をしたことから自信を持っており、実際に試合でも決めている<ref>{{Cite news |title=岡田マジックよ﹁5番にバント﹂ |date=2011-04-24 |newspaper=デイリースポーツ |url=http://www.daily.co.jp/baseball/2011/04/25/0003997201.shtml |accessdate=2020-10-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111123153426/http://www.daily.co.jp/baseball/2011/04/25/0003997201.shtml |archivedate=2011-11-23}}</ref>。 近鉄時代の打撃コーチだった[[正田耕三]]は﹁︵北川は︶練習でやったことを試合で出せるタイプ。代打出場でも場面、対戦相手など頭に入れ冷静に準備ができる﹂と評している<ref>{{Cite web |title=ミラクル男・北川博敏打撃コーチが﹁2021猛虎打線﹂のカギ握る – 東京スポーツ新聞社 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/2404515/ |website=東スポWeb | 元々のポジションである捕手は内野手転向後は守る機会が減った。ただし2004年に捕手を使い果たした試合で梨田昌孝が﹁延長戦となったら北川を捕手で使うつもりだった。久々に北川の捕手が見られると思ったのに︵同点に追い付けず敗れて︶残念﹂と語っている<ref>2004年9月13日 == 人物 ==
112行目:
オリックスは8回途中から守護神・大久保勝信を送る。9回裏、近鉄は先頭の6番吉岡が出塁、続く7番川口が二塁打、8番[[ショーン・ギルバート]]のところで代打の[[益田大介]]が四球を選んで無死満塁とした。ここで最初から監督の梨田は﹁アイツしかいない。今年のアイツは何かをやる﹂として<ref name="SN07828">{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_september/KFullNormal20070828150.html |title=︻9月26日︼2001年︵平13︶ 近鉄最後のV 決まり手は代打逆転サヨナラ満塁弾 |date= |accessdate=2012-10-11 |publisher=スポーツニッポン |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160308205114/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_september/KFullNormal20070828150.html |archivedate=2016-03-08 |deadlinkdate=2020-07}}</ref>、この試合3打席凡退だった[[古久保健二]]の代打として北川を打席に送る。北川は後にこの時の状況を﹁益田さんが四球を選んで満塁となって困ったなぁと思いました﹂とコメント。理由として﹁塁が詰まると引っかけてゲッツーが多いから﹂とした。[[真弓明信]]打撃コーチからは﹁思いきりいけばいい﹂と言われ、北川は﹁これで気持ちは楽になった﹂としている。 北川は、満塁となった状況、さらには元々7回の古久保の打順で代打に送られる予定が川口の本塁打で変更になったというタイミングもあり、﹁初球のど真ん中の直球にまったく動けなかった﹂という。そしてカウント0ボール2ストライクからの3球目を見送ったところで﹁球の見極めはできていると確信し、これで地に足がつきましたね﹂とコメントしている<ref>{{Cite news |title=史上初代打逆転サヨナラ満塁優勝決定HRを近鉄・北川振り返る |date=2013-10-01 |newspaper= カウント1ボール2ストライクとなった4球目。大久保が﹁真っ直ぐ狙いのような気がした。[[スライダー (球種)|スライダー]]で打ち取ろうと思った﹂として投じたスライダーが真ん中に入り{{R|SN07828}}、北川は﹁︵大久保の手から︶球が離れた瞬間、これはと感じて素直に振りぬいた﹂﹁打った瞬間、野手の間は抜けると思ったが、本塁打になるとは思ってなかった﹂とした打球はバックスクリーン左横に飛びこむ、日米プロ野球初となる﹁'''釣銭無し'''{{Efn2|その本塁打でちょうど1点だけ勝ち越すことを表す俗語。}}﹂+﹁'''優勝決定'''﹂の﹁代打逆転サヨナラ満塁本塁打﹂になった。優勝決定に限定せず、﹁釣銭無しの代打逆転サヨナラ満塁本塁打﹂としても45年ぶり2人目。﹁代打逆転サヨナラ満塁本塁打﹂としては6人目、近鉄では{{By|1984年}}の[[柳原隆弘]]以来2人目<ref>週刊ベースボール 2011年11月7日号P96</ref>。最終的なスコアは6対5、チームのパ・リーグ優勝が決定した<ref>この節のここまでの出典は特記ない場合、日刊スポーツ出版社発行﹃サヨナラ近鉄バファローズ﹄P50-53、及び、ベースボール・マガジン社発行﹃さらば大阪近鉄バファローズ﹄﹃週刊ベースボール別冊﹄2004年冬季号︶P32-33とする</ref>。 193行目:
!試<br /><br />合!![[刺殺|刺<br /><br />殺]]!![[補殺|補<br /><br />殺]]!![[失策|失<br /><br />策]]!![[併殺|併<br /><br />殺]]!![[守備率|守<br />備<br />率]]!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率
|-
|style="text-align:
|rowspan="3" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|阪神
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||6||1||1||0||1||1.000
|-
|style="text-align:
|4||25||5||0||3||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:
|3||2||0||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:
|rowspan="4" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|近鉄
|16||144||4||0||10||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:
|1||1||0||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:
|58||453||35||1||45||.998||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:
|133||1347||85||6||121||.996||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:
|rowspan="8" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|オリックス
|121||1070||71||8||104||.993||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:
|76||706||62||0||60||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:
|140||1307||84||3||104||.998||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:
|24||117||10||0||8||1.000||87||37||129||10||10||.943
|-
|style="text-align:
|42||289||24||1||31||.997||35||26||46||5||7||.935
|-
|style="text-align:
|38||290||27||4||24||.988||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:
|6||41||0||0||5||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:
|1||8||1||0||1||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-style="background-color: #f2f2f2;"
251行目:
!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!![[捕逸|捕<br /><br />逸]]!!守<br />備<br />率!!企<br />図<br />数!!許<br />盗<br />塁!![[盗塁刺|盗<br />塁<br />刺]]!![[盗塁阻止率|阻<br />止<br />率]]
|-
|style="text-align:
|rowspan="4" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|阪神
|13||43||5||1||0||0||.980||13||11||2||.154
|-
|style="text-align:
|7||20||3||1||0||0||.958||2||1||1||.500
|-
|style="text-align:
|23||89||11||0||4||3||1.000||12||6||6||.500
|-
|style="text-align:
|1||1||0||0||0||0||1.000||0||0||0||-
|-
|style="text-align:
|rowspan="3" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|近鉄
|55||211||8||2||3||2||.991||30||25||5||.167
|-
|style="text-align:
|18||35||2||4||0||0||.902||12||12||0||.000
|-
|style="text-align:
|15||40||4||0||1||0||1.000||9||6||3||.333
|-style="background-color: #f2f2f2;"
335行目:
{{デフォルトソート:きたかわ ひろとし}}
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:日本大学硬式野球部の選手]]▼
[[Category:阪神タイガース及びその前身球団の選手]]
[[Category:大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手]]
341 ⟶ 340行目:
[[Category:日本の野球指導者]]
[[Category:東京ヤクルトスワローズ関連人物]]
▲[[Category:日本大学硬式野球部の選手]]
[[Category:埼玉県立大宮東高等学校出身の野球選手]]
[[Category:兵庫県出身の人物]]
|