北狄

四夷のひとつ

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(てき)あるいは北狄(ほくてき)は、四夷の一つ。古代中国において北方の中原都市文化を共有しない遊牧民族を呼んだ呼称である[1]。北方の民族は度々中原を侵略したことから、北方にいた異民族は総じて狄と呼ばれるようになり、北狄は蔑称としての意味合いが強くなった。

四夷の名称

夏・商の時代


2000西西

商・周の時代


[2]西

春秋戦国時代

周王朝が衰えると、河北や山西などの長城沿いに居た白狄が大挙して南下を始め、中山と呼ばれる強大な狄人国家を建て、後に諸侯国となった。また、晋の文公重耳に仕え、外戚ともなった重臣狐偃狐氏一族が、白狄の出身であったことがよく知られる。中山国は春秋戦国時代、中原の争乱へ参与したが趙に滅ぼされ、白狄人は華夏人の中に同化していった。

赤狄


11西西

脚注

  1. ^ 白鳥庫吉は狄をテュルク系であるという見解を示している。
  2. ^ 『逸周書』には周の初期に数百の国を滅亡または服属させ、五千人を斬首・捕虜13000人を得たと記す

参考資料

関連項目