北狄
四夷のひとつ
狄︵てき︶あるいは北狄︵ほくてき︶は、四夷の一つ。古代中国において北方の中原的都市文化を共有しない遊牧民族を呼んだ呼称である[1]。北方の民族は度々中原を侵略したことから、北方にいた異民族は総じて狄と呼ばれるようになり、北狄は蔑称としての意味合いが強くなった。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/66/Tianxia_ja.svg/220px-Tianxia_ja.svg.png)
夏・商の時代
翟人は紀元前2000年頃にはオルドス地方一帯で繁栄していたようで、考古物から時代ごとの人口の増加と経済的発展が確認される。その後、水と草を追い求めながら東方や南方へ向かって居住地域を拡大、夏・商前期には翟人の遊牧地域は華北一帯︵主に山西・河北・陝西︶で存在していた事が確認されている。商後期・周の時代へ入ると遊牧生活や習俗が礼記に記録されるなど中原の文献にも登場し始め、長狄、赤狄、白狄といった集団が史書に記されている。それらの首長家系は晋の公室と通婚するなど中原諸侯を構成した諸国とも密接な関わりを持ち、居住地も中原北部に点在し北方諸侯に属する都市国家群の点状に分散する領地の間に広く居住していた。
商・周の時代
春秋戦国時代
赤狄
脚注
参考資料
- 「楊経敏」『回紇史』(広西師范大学出版社、2008年、ISBN 978-7-5633-7451-9)