「十五里ヶ原の戦い」の版間の差分
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合戦開始当初は両軍互角の状況だったが、次第に数で劣る最上軍が追いつめられていき、東禅寺義長は敵本陣に突撃し戦死。兄戦死の報を受けた勝正もまた単身本陣へ突入し、不意をついて本庄繁長に斬りかかった。勝正の一撃で繁長の兜はこめかみから耳の下まで切り取られたという。しかし、勝正もまた繁長と側近達に討ち取られた。 この後、最上軍は[[朝日山城 (出羽国)|朝日山城]]などで抵抗を続けたが敗れ︵[[朝日山城の戦い]]︶、庄内地方は上杉景勝の版図となる。繁長は余勢を駆ってさらに兵を進めたが、東根で最上勢の猛反撃に遭い撤退した。 == 戦後 ==
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