千曲川のスケッチ
作品解説 編集
1899年︵明治32年︶4月、藤村は木村熊二の主催する小諸義塾の教師として長野県小諸町へ赴任した。この間に、ラスキンに影響され、美術に用いられる写生を散文に応用しようと試みた。こうして小諸で過ごした1年間を描いたのが﹁千曲川のスケッチ﹂で、藤村が詩から散文へと移っていく流れを考察する上で重要な作品である。
1911年︵明治44年︶、これを﹃中学世界﹄に発表するにあたり、藤村自らが読者のために選び、吉村樹︵藤村が年少時に寄宿した吉村忠道の子︶へ呼びかけるという形で連載した。そして﹁はしがき﹂をつけて刊行されたものが、現在読むことのできる﹃千曲川のスケッチ﹄である。
舞台 編集
1899年︵明治32年︶に藤村が移住した小諸が舞台になっている[1]。作品に登場する一膳めし屋の﹁揚羽︵あげは︶屋﹂は藤村が足しげく通った店で豆腐やうどんを食べたことが随筆に記されている[1]。揚羽屋は一膳めし屋として1885年︵明治18年︶の創業から6人の経営者が経営を引き継いだが一膳めし屋は2016年4月で閉店[1]。その後、店舗は改修され、揚羽屋は2021年からカフェ兼宿泊施設となっている[1]。出典 編集
- ^ a b c d 〈移住のトビラ〉島崎藤村ゆかりの「揚羽屋」 閉店から5年 リニューアル 小諸移住の主婦「街を活性化したい」 信濃毎日新聞 2021年11月5日閲覧。