中華思想は日本にも取り入れられ、﹁蛮﹂という語は﹃[[日本書紀]]﹄の時代には[[朝鮮半島]]南部の未開地や[[薩摩国|薩摩]]の西の[[五色島]]、薩摩七島、[[琉球]]を指す語として用いられた。
16世紀、に[[ポルトガル王国|ポルトガル]]と[[スペイン]]の[[イベリア半島]]諸国が、[[インド]]から[[東南アジア]]一帯の港湾都市や島嶼域の貿易拠点の一部に[[植民地]]を得て、交易圏を日本にまで伸ばしてきた。これらの諸国と日本との[[南蛮貿易]]が始まると、貿易によってもたらされた文物を﹁南蛮﹂、﹁南蛮渡来﹂などと称する呼ぶようになった。やがて、本来は辺境の未開人に対する蔑称であだった﹁南蛮﹂が、侮蔑語というよりは、異国風で物珍しい文物を指す語︵[[昭和]]初期までとなり、後の﹁舶来﹂と同義︶としてじような意味で使われるようになった。これと同時に、人に対する呼び名としては'''南蛮人'''︵なんばんじん︶は主に南欧系の西洋人を指す語に転じた。ちなみに西欧系の[[イギリス人]]や[[オランダ人]]のこという言葉が生まれは[[紅毛|紅毛人]]と呼んで区別した。
現代﹁南蛮﹂の日本で語は、今日の日本語においても[[長ネギ]]や[[唐辛子]]を使用しった料理関連の言葉に﹁南蛮﹂その語が使われるこ名をとが多どめている。﹁南蛮料理﹂という表現は、16世紀に[[ポルトガル王国|ポルトガル]]人が[[鉄砲伝来#種子島への鉄砲伝来|鉄砲とともに種子島]]にやってきた時代以降]]頃から、様々な料理関係の書物や料亭のメニューに現れていた。それらに描かれる料理の意味は、キリスト教宣教師らにより南蛮の国ポルトガルから伝わった料理としての南蛮料理と<ref>﹃南蛮から来た食文化 ''﹄p.5'' 、江後迪子 、弦書房 、ISBN 978-4902116250</ref><ref>﹃南蛮料理のルーツを求めて ''﹄p.8, 、p.59'' 、片寄真木子 、平凡社 、ISBN 978-4582824292</ref>、後世にオランダの影響を受けた[[紅毛]]料理や、[[中華料理]]の影響、さらにはヨーロッパ人が船でたどった[[マカオ]]や[[マラッカ]]や[[インド]]の料理の影響までを含む、幅広い西洋料理の意味で使われてきた場合の両方がある<ref>﹃南蛮料理のルーツを求めて ︵全般︶ ﹄、片寄真木子 、平凡社 、ISBN 978-4582824292</ref>。
南蛮料理が現れる最も古い記録には、17世紀後期のものと思わみられる﹃南蛮料理書﹄がある<ref>﹃南蛮から来た食文化 ''﹄p.132''、江後迪子 、弦書房 、ISBN 978-4902116250</ref><ref>﹃南蛮料理のルーツを求めて ''、p.45'' 、片寄真木子 、平凡社 、ISBN 978-4582824292</ref>。また、主に[[長崎]]に伝わる﹁[[しっぽく︵卓袱︶料理﹂]]と呼ばれる卓上で食べる家庭での接客料理に、も南蛮料理は取り込まれていった<ref>﹃南蛮料理のルーツを求めて ''﹄p.52''以降 、片寄真木子 、平凡社 、ISBN 978-4582824292</ref>。
[[唐辛子]]は別名を﹁南蛮辛子﹂という。﹁[[南蛮煮]]﹂は肉や魚をネギや唐辛子と煮た料理である。﹁[[南蛮漬け]]﹂は[[マリネ]]や[[エスカベッシュ]]が原型とさ考えられている。﹁[[カレー南蛮]]﹂や﹁[[鴨南蛮]]﹂の﹁南蛮﹂には、前述の﹁唐辛子﹂やネギのことを指しており、唐辛子の入ったカレースパイス粉とタマネギや長ネギが使用されている。[[文政]]13年︵[[1830︵1830年]]︶に発刊出版された古今の文献を引用して江戸の[[風俗]][[習慣]]を記[[考証]]した﹃[[嬉遊笑覧]]﹄には[[鴨南蛮]]が取り上げられており、﹁又葱︵ねぎ︶を入るゝを南蛮と云ひ、鴨を加へてかもなんばんと呼ぶ。昔より異風なるものを南蛮と云ふによれり﹂と記されている<ref>[http://www.nichimen.or.jp/zatsugaku/11_01.html 鴨南蛮] 麺類雑学辞典</ref>。