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明治時代の自署制度の導入企図
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===日本===
{{see|日本の篆刻史}}
日本では西暦[[57年]]ごろに中国から日本に送られたとされ、1784年に発見された「[[倭奴国王印|漢委奴国王]]」の[[金印]]が最古のものとして有名である。[[大化の改新]]の後、[[律令]]の制定とともに印章が使用されるようになったとされる。律令制度下では公文書の一面に公印が押されていたが次第に簡略化されるようになり、[[中世]]に至り[[花押]]に取って代わられた。しかしながら、[[近世]]以降次第に復活してゆき([[織田信長]]の「天下布武」の印など)、[[江戸時代]]には行政上の書類のほか私文書にも印を押す慣習が広がるとともに、印鑑帳が作られた<ref name="kita">北健一『その印鑑、押してはいけない!: 金融被害の現場を歩く』[[朝日新聞社]](ISBN 4-02-257938-2)2004年、211-212頁。</ref>。[[明治|明治政府]]は欧米諸国にならって署名の制度を導入しようと試みた<ref>[[Wikisource:ja:諸証書ノ姓名ハ自書シ実印ヲ押サシム]](明治10年太政官布告第50号)参照。</ref>が、以後の議論の末、1900年までに、ほとんどの文書において事務の煩雑を避けるため自署の代わりに記名押印すれば足りるとの制度が確立した<ref>信森毅博「[http://www.imes.boj.or.jp/jdps98/98-J-06.pdf 認証と電子署名に関する法的問題]」別表 私法上の押印の扱い年表(69頁)、[[日本銀行]]金融研究所ディスカッションペーパー98-J-6、1998年、2008年8月31日閲覧。</ref>。また、印鑑登録制度が市町村の事務となったのも明治時代である。
==印章文化を有する国==
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* [[王璽尚書]]・[[国璽尚書]](イギリスの重臣)
* [[印章彫刻技能士]](日本の資格)
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
*[[金印]]
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