「合肥の戦い」の版間の差分
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張遼は夜中に敢えて自らに従うという兵を選別し800人を集め、牛肉を将兵に振る舞い、明け方に出撃すると伝えた。
明け方、張遼は鎧を着込み戟を持ち自ら先鋒となって孫権の本陣に斬り込み、数十人の兵と2人の将校を斬り、孫権の眼前に迫った。[[徐盛]]が負傷し牙旗を奪われて逃走したが、[[賀斉]]が牙旗を奪い返し、[[潘璋]]が逃亡兵を斬って士気の崩壊を防いだため、前線に戻った。孫権は長戟を振るって身を守りつつ高い丘の上に逃走した。 張遼は左右を指差し左右から包囲を突破すると見せかけ、敵軍の意表を突き包囲の中央を急襲。張遼以外は数十人の兵しか脱出する事が出来ず、残りの兵は包囲の中に取り残された。残された兵たちが﹁将軍は我らを見棄てられるのですか﹂などと叫んでいるのを聞くと張遼は再び包囲に突撃し残された兵を救出した。孫権軍は張遼の凄まじい攻撃に意気消沈し、脱出していく張遼に敢えて攻撃しようとはしなかった。結局張遼は明け方から日中まで戦い続け、孫権軍は戦意を喪失したと判断し、城まで後退し守備を固めた。 その後孫権は合肥城を攻囲したが陥落させる事ができず、陣中に疫病が発生したこともあって10日目で退却を開始した。孫権は自ら最後衛に位置し、武将らとともに撤退の指揮を執っていた。この時川の北岸側には近衛兵1000人弱と、[[呂蒙]]・[[蔣欽]]・[[凌統]]・[[甘寧]]が残っているのみであ 凌統は孫権が橋を渡った後再び戻って奮戦したが、配下は皆死に、自らも全身に傷を負いながら数十人を斬った。孫権が無事撤退した頃を見計らって自らも撤退したが、橋は壊れていたので革の鎧を着たまま河に飛び込んだ。船に乗っていた孫権は凌統が無事帰還すると狂喜した。 張遼は孫権が誰なのか分かりません。孫権が1000人の中でとても目立つので、後に張遼は﹁あの勇武と騎射を備えた紫髯将軍は何者ですか﹂と問うと、孫権軍の降兵から自らが目撃した将軍が孫権その人であった事を知り、楽進に﹁あれが孫権と知っていれば急追して捕まえられただろう﹂と言って、捕まえ損ねた事を惜しんだ。全軍が非常に残念に思います。 == 合肥新城の築城 ==
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