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{{see also|州県制}}
唐では隋から引き継いで[[州県制]]を採った{{Sfn|窪添|關尾|中村|愛宕|金子|1996|p=377}}。州の下に数県が所属し、州は全国で約350、県は全国でおよそ1550あった{{Sfn|窪添|關尾|中村|愛宕|金子|1996|p=377}}。特別な州として府があり、唐初には首都長安・副都洛陽が所属する京兆府と河南府、唐の故地である太原府があったが、安史の乱以降は徐々に増やされて唐末には10あった{{Sfn|窪添|關尾|中村|愛宕|金子|1996|p=377}}。また重要拠点に置かれる州を都督府と呼び、長官は[[都督]]。規模によって大中小の三等に分けられる。通常の州の長官は[[刺史]]であり、戸数によってこちらも上中下の三等に分けられる{{Sfn|窪添|關尾|中村|愛宕|金子|1996|p=377}}。州の下に県があり、こちらも戸数によって上・中・中下・下の四等に分けられる。また府に属する県 県の下の行政単位が、郷と里︵[[郷里制]]︶である。100戸をまとめて里として里正を起き、5里をまとめて郷とする︵郷正は一時期を除いて置かれなかった︶{{Sfn|窪添|關尾|中村|愛宕|金子|1996|p=378}}。里正は里の者から選ばれ、戸籍の作成・勧農・里内の不正の監視・労役の割付などにあたった{{Sfn|窪添|關尾|中村|愛宕|金子|1996|p=378-379}}。また都市には[[坊制|坊]]ごとに坊正が置かれ、聚落には100戸ごとに村正が置かれた︵100戸以下の場合は一人、以上なら複数となる︶{{Sfn|窪添|關尾|中村|愛宕|金子|1996|p=379}}。 |