「土岐善麿」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
→戦前: 愛国者運動への参加 |
|||
68行目:
[[1940年]]︵昭和15年︶、[[論説委員]]を最後に朝日新聞を退社。この年に出版した歌集﹃六月﹄は[[反軍国主義]]的な性格を含んでいたことから、﹁[[潮音]]﹂にて[[匿名]]歌人﹁桐谷侃三﹂に強く非難される。桐谷の正体については現在もなお議論がなされている。 一方、[[1941年]](昭和16年)12月24日に[[大政翼賛会]]の肝いりで開催された「文学者愛国大会」では短歌朗読を行うなど、時世沿った行動が見られた<ref>文壇・詩壇・歌壇の三百五十人が参加『東京朝日新聞』(昭和12年1月19日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p705 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。
戦中体制の中で、[[太田水穂]]、吉植庄亮、[[斎藤瀏]]による大日本歌人協会の内紛が起こり、議長として解散を決議。戦時下は[[日本文学報国会]]などの動きに同調せず[[隠者|隠遁]]生活を送り、[[春秋社]][[常務取締役]]のかたわら[[田安宗武]]研究や新作能の創作に没頭する。 |