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|没年月日 =
|死没地 =
|職業 = [[医師]](形成外科)
|出身校 = [[東北大学]]
|団体 = [[日本形成外科学会]](後に脱退<ref name=sengen />)
|拠点 = 東京
|著名な実績 = [[湿潤療法]]の普及
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|影響を受けたもの=
}}
'''夏井 睦'''︵なつい まこと、[[1957年]][[5月4日]]<ref>﹃読売年鑑 2016年版﹄読売新聞社、2016年、378頁。</ref> - ︶は、[[日本]]の[[医師]]である。専門は[[形成外科]]。﹁[[創傷]]・[[熱傷]]の[[湿潤療法]]﹂を提唱しており、2001年より開設したホームページや、著作、講演会などで普及に努めている<ref name="ねりま"/>。東京、なついキズとやけどのクリニック院長。白色[[ワセリン]]を塗って覆うことで、痛みも少なく、早く治るという方法である。外科での手術の研修を経て形成外科医となり湿潤療法に出会った。子供の頃より、なおピアノを嗜んでおり、音楽家の[[ウラディミール・ホロヴィッツ|ホロヴィッツ]]を神としている。またコンピュータと情報共有の思想との相乗作用を起こし、湿潤療法や貴重な楽譜の普及につながった。 26行目:
1957年、秋田県にて、数学教師の父と、国語教師の母との間に長男として生誕する<ref name="ねりま"/>。
7歳よりピアノを習い<ref name="ドクターズ・ファイル"/>、小学生の頃には[[フレデリック・ショパン|ショパン]]の﹁[[幻想即興曲]]﹂を弾くようになった<ref name="言葉は思想のみで"/>。中学 ==医師として==
1984年、[[東北大学]]医学部を卒業する。当時の通例によって市中病院の外科で研修し、手術や術後処置を学んだ。その後、東北大学形成外科へ行ったが、傷を濡らす・濡らさないという点で外科の常識が形成外科の非常識であったという事態に出会った。形成外科の選択に深い考えはなかったが、怪我、やけどから手術まで包括的に扱えるようになった 1996年のこと。[[褥瘡]]︵じょくそう、床ずれなど︶の治療のために若い医師が、﹃ドレッシング﹄<ref name="ドレッシング">初版1995年、ISBN 4-89269-222-0。{{Cite book|和書|author=穴沢貞夫、倉本秋|title=ドレッシング―新しい創傷管理|edition=改訂版|publisher=へるす出版|date=2005|isbn=4-89269-499-1|page=}}</ref>という著書を手に、最新の方法であるドレッシング材︵[[創傷被覆材]]︶による湿潤環境を使った治療を行いたいと申し出た<ref name="ぜったいに"/>。その研修医による処置の経過を見ていたが、見違えるような改善ではなかった<ref name="ドクターズ・ファイル"/>。止血能力のあるアルギン酸塩のサンプルももらっていた<ref name="ぜったいに"/>。そこで夏井は、褥瘡ではなく怪我をした体力のある人にて実践すると、痛みもなく、早く治り、傷跡も残りにくいという結果が得られた<ref name="ドクターズ・ファイル"/>。夏井は﹃ドレッシング﹄を読み学び直し<ref name="巨大転換"/>、消毒が無意味だとも理論的に書かれていた<ref name="さらば消毒"/>。﹁[[褥創]]﹂に対する﹁開放性湿潤療法<ref>[https://web.archive.org/web/20040407020248/http://www.geocities.jp/pressure_ulcer/sub0.htm はじめに] WrapTherapy for pressure ulcers、2010年1月1日</ref>﹂は、[[内科]]医である[[鳥谷部俊一]]により、ほぼ同時期に考案された。夏井は日本形成外科学会の専門医の認定試験問題作成委員会を6年務め、火傷の知識は十分であるが、その従来の知識が通用しない新しい治療法であった<ref name="ぜったいに"/>。 1984年よりコンピューターを手に入れていた夏井は<ref name="ねりま">{{Cite web|和書|url=https://www.nerimakanko.jp/review/nerimabito/110.php|title=ねりま人#110 夏井睦さん|publisher=“ねりま大好き!”練馬観光協会|date=2015-12-01|accessdate=2016-03-17}}</ref>、1996年より﹁超絶技巧的ピアノ編曲の世界 体育会系ピアニズムの系譜﹂というホームページを作り、演奏会用パラフレーズの作品を解説するというマニアックなものであった<ref name="ぜったいに"/>。ホロヴィッツの編曲した作品を楽譜にするというプロジェクトを開始し、これを通じて﹁星条旗よ永遠なれ﹂の楽譜も手に入れた<ref name="ホロヴィッツ"/>。所有する楽譜の一覧を公開し欲する音楽家に無料で送り、するとお礼として貴重な楽譜が返されということを繰り返し、コレクションは増加していった<ref name="言葉は思想のみで">{{ 地方の学会で湿潤療法について発表するが、強い手ごたえは感じなかったため、その音楽サイトのエッセイに﹁傷は乾かしてはいけない﹂と書くようになり、2001年にはホームページ﹁新しい創傷治療﹂を立ち上げることになった<ref name="さらば消毒">﹃さらば消毒とガーゼ﹄</ref>。傷は消毒しない、乾かしてはいけないというのは、従来の方法の全否定であり、そして当時の状況では、従来の方法はあまりに多勢なため、ホームページを開設し賛同者を募った<ref name="医学界2003"/>。失敗も含めて全ノウハウの公開である<ref name="ぜったいに"/>。普遍的事実から理論を構築し、実際の医療行為が正しいのか思考実験するというが自身のスタイルだといい、これは自身の主張を文献によって裏付けるという医学界の主な手法ではないが、少数派であったためのそのような戦略を選んだ<ref name="医学界2003"/>。自説を裏付ける論文がなくても、医学の上位の学問である生物学から説明するということである<ref name="言葉は思想のみで"/>。しかし、それほど時も経ず、2003年5月に開催された日本皮膚科学会では治療経過を発表し<ref>{{cite news |和書|author=松村由利子|title=傷の手当、常識が変わる治療法 医療用の被覆材使う―早く傷も目立たず治癒 |date=2003-06-16 |newspaper=毎日新聞 |page=12面}}</ref>、2003年7月には医学書の出版社である[[医学書院]]から初の著作﹃これからの創傷治療﹄を出版することになる<ref name="医学界2003">{{cite news |和書|author=夏井睦 |title=﹃これから﹄のそれから |url=http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2004dir/n2567dir/n2567_05.htm#07 |date=2004-01-12 |newspaper=週刊医学界新聞 2567号 |accessdate=2018-06-10}}</ref>。 権威による思考放棄をしないことを信条としている{{要出典|date=2017年7月}}。
従来からあった湿潤療法の基本概念<ref name="pmid8109679">{{cite journal |authors=Field FK, Kerstein MD |title=Overview of wound healing in a moist environment |journal=Am. J. Surg. |volume=167 |issue=1A |pages=2S–6S |date=January 1994 |pmid=8109679 |doi= |url=}}</ref>を発展させ理論構築し、実臨床に応用し普及させた。創傷被覆材は床ずれでは使用法はある程度確立されていたため<ref name="環ゲリラ">{{Cite journal |和書|author=|date=2014|title=湿潤療法のためのゲリラ戦|journal=環|issue=56|page=200-204}}</ref>、床ずれの治療用としてしか認識されておらず、メーカーも傷に使った例がないといい、患者の反応を見ながら治療法を確立していった<ref name="naid40016845143">{{Cite journal |和書|author1=夏井睦 |author2=堀口三恵子 |date=2009-10 |title=巻頭インタビュー 簡単!痛くない!早くキレイに治る!患者と一緒に進化させた﹁湿潤治療﹂ |journal=医道の日本 |volume=68 |issue=10 |pages=11-21 |naid=40016845143}}</ref>。治療法の確立までに10年かかったという<ref name="ドクターズ・ファイル"/>。また、いくつかの企業から、被覆材の製品化の提案が持ち掛けられ、実際の治療を見学しながら製品化された<ref name="naid40016845143"/>。一方で[[日本形成外科学会]]認定医からは、学会講演会において座長より恫喝を受けたため返上している<ref name=sengen>{{Cite web|publisher=夏井睦|title=﹁消毒とガーゼ﹂撲滅宣言 |url=http://www.wound-treatment.jp/sengen.htm |accessdate=2024-06}}</ref>。 2009年に新書の﹃傷はぜったい消毒するな﹄を出版する。序文に書かれているように、後半部分にて[[パラダイムシフト]]の概念を説明するなど、思想的な側面も含んでいる。Amazon.co.jpの新書文庫部門でも8月25日付けで第3位であった<ref name="売れる理由">{{ 湿潤療法を携えて診療の拠点は、秋田県から、山形県、長野県へと移っていき、この長野では全国から患者も来るようになったが交通アクセスがよくなかったため茨城、東京へと拠点を移し<ref name="ドクターズ・ファイル"/>、2012年4月より東京の練馬光が丘病院の傷の治療センター科長となった<ref name="ねりま"/>。2017年60歳にして、ある外科医との出会いをきっかけに東京での開業へと至った<ref name="ドクターズ・ファイル"/>。 47行目:
2011年より、医師の[[江部康二]]が提唱する[[糖質制限]]も自らの身体を使って実験・実証している。江部はインターネットで知った湿潤療法について夏井の名を確認せずに実践しており、後に2011年1月、夏井に自身の病院での講演を依頼し招くことになる。その際、大歓迎し長時間の宴会を行った。9月になり、日経メディカルオンラインの記事に江部の名を発見した夏井は、講演の際に贈呈された江部の著書を読み、メタボをどうにかしたいと考えていたため実践し、11月には自身のホームページにて取り上げ、連日のように話題にするようになった。<ref name="巨大転換">﹃医療の巨大転換を加速する﹄</ref>。 こうして2014年には自身の思想をまとめた﹃炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学﹄を出版する。この著作は、様々な地域の週間ランキングに名が載るようになった。﹃東京新聞﹄に掲載された2014年5月13日付のトーハン調べでは新書・ノンフィクションの第3位であった<ref>{{cite news |和書|title=13日トーハン調べ 新書・ノンフィクション |date=2014-05-17 |newspaper=東京新聞 |page=18面}}</ref>。 後輩には患者を泣かせたらダメだと伝え、子供が笑って帰れるクリニックを心がけている<ref name="ドクターズ・ファイル">{{ === 開発に関与した創傷被覆材 ===
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==略歴 ==
* [[1984年]]3月 [[東北大学]][[医学部]]卒業
* 1992年 [[日本形成外科学会]]認定 形成外科専門医 取得(後に更新を中止し放棄)<ref name=sengen />
* 2001年10月 [[インターネット]]・サイト「新しい創傷治療」を開設
* 2003年4月 特定医療法人慈泉会
* 2007年7月 石岡第一病院 傷の治療センター長
* 2012年4月 [[地域医療振興協会練馬光が丘病院|練馬光が丘病院]] 傷の治療センター科長
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* 『ドクター夏井の外傷治療「裏」マニュアル―すぐに役立つHints&Tips』三輪書店、2007年5月、 ISBN 978-4895902762
* 『ドクター夏井の熱傷治療裏マニュアル』三輪書店、2011年3月、ISBN 978-4895903783
* 『創傷治療ハンドブック』三輪書店、2021年3月、ISBN 978-4895907132
;一般書
* 『さらば消毒とガーゼ 「うるおい治療」が傷を治す』春秋社、2005年12月、ISBN 978-4393716175
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