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'''夏井 睦'''︵なつい まこと、[[1957年]][[5月4日]]<ref>﹃読売年鑑 2016年版﹄読売新聞社、2016年、378頁。</ref> - ︶は、[[日本]]の[[医師]]である。専門は[[形成外科]]。﹁[[創傷]]・[[熱傷]]の[[湿潤療法]]﹂を提唱しており、2001年より開設したホームページや、著作、講演会などで普及に努めている<ref name="ねりま"/>。東京、なついキズとやけどのクリニック院長。白色[[ワセリン]]を塗って密閉することで、痛みも少なく、早く治るという方法である。外科での手術の研修を経て形成外科医となり湿潤療法に出会った。 2009年の新書﹃傷はぜったい消毒するな﹄は、Amazon.co.jpの新書文庫部門でも8月25日付けで第3位<ref name="売れる理由"/>。[[江部康二]]を師匠として、2011年より実践している[[低炭水化物ダイエット|糖質制限]]についての思想に関する著作も、2014年5月の新書・ノンフィクション週間ランキングの3位となった。 ==ピアノにのめりこんだ少年時代==
1957年、秋田県にて、数学教師の父と、国語教師の母との間に長男として生誕する<ref name="ねりま"/>。
7歳よりピアノを習い<ref name="ドクターズ・ファイル"/>、小学生には[[フレデリック・ショパン|ショパン]]の﹁[[幻想即興曲]]﹂を弾くようになった<ref name="言葉は思想のみで"/>。中学生2年生のある夜、ラジオから[[ウラディミール・ホロヴィッツ]]の奏でる﹁[[星条旗よ永遠なれ]]﹂が流れ出し、その技巧と繊細な感覚に神の啓示だと感じた<ref name="ホロヴィッツ"/>。衝撃が走ったのである。後に夏井は﹁その時、ホロヴィッツは私の神となった﹂と記している<ref name="ホロヴィッツ">{{Cite journal |和書|author=夏井睦|date=2013-01-26|title=﹁星条旗よ永遠なれ﹂ ピアノの神・ホロヴィッツとの出会い 生涯挑み続けたい﹁アイガー北壁﹂|journal=日本医事新報|volume=|issue=4631|page=98}}</ref>。高校生まで毎日3時間練習し音大生が弾くような曲にも手を伸ばしていた<ref name="ドクターズ・ファイル"/>。同時に、様々な曲を弾きたいという自己洞察によって、もう少し狭く曲の練習を追求していく音大には向いていないのではという自分の適性にも気づいた<ref name="ドクターズ・ファイル"/>。成績が良かったので医者となったという<ref name="ねりま"/>。しかし、高校2年生となりピアノの先生に ==医師として==
1984年、[[東北大学]]医学部を卒業する。当時の通例によって市中病院の外科で研修し、手術や術後処置を学んだ。その後、東北大学形成外科へ行ったが、傷を濡らす・濡らさないという点で外科の常識が形成外科の非常識であったという事態に出会った。形成外科の選択に深い考えはなかったが、怪我、やけどから手術まで包括的に扱えるようになった。<ref name="ぜったいに">﹃傷はぜったいに消毒するな﹄</ref> 1996年のこと。[[褥瘡]]︵じょくそう、床ずれなど︶の治療のために若い医師が、﹃ドレッシング﹄<ref name="ドレッシング">初版1995年、ISBN 4-89269-222-0。{{Cite book|和書|author=穴沢貞夫、倉本秋|title=ドレッシング―新しい創傷管理|edition=改訂版|publisher=へるす出版|date=2005|isbn=4-89269-499-1|page=}}</ref>という著書を手に、最新の方法であるドレッシング材︵[[創傷被覆材]]︶による湿潤環境を使った治療を行いたいと申し出た<ref name="ぜったいに"/>。その研修医による処置の経過を見ていたが、見 1984年よりコンピューターを手に入れていた夏井は<ref name="ねりま">{{Cite web|url=https://www.nerimakanko.jp/review/nerimabito/110.php|title=ねりま人#110 夏井睦さん|publisher=“ねりま大好き!”練馬観光協会|date=2015-12-01|accessdate=2016-03-17}}</ref>、1996年より﹁超絶技巧的ピアノ編曲の世界 体育会系ピアニズムの系譜﹂というホームページを作り、演奏会用パラフレーズの作品を解説するというマニアックなものであった<ref name="ぜったいに"/>。ホロヴィッツの編曲した作品を楽譜にするというプロジェクトを開始し、 地方の学会で湿潤療法について発表するが、強い手ごたえは感じなかったため、その音楽サイトのエッセイに﹁傷は乾かしてはいけない﹂と書くようになり、2001年にはホームページ﹁新しい創傷治療﹂を立ち上げることになった<ref name="さらば消毒">﹃さらば消毒とガーゼ﹄</ref>。傷は消毒しない、乾かしてはいけないというのは、従来の方法の全否定であり、そして当時の状況では、従来の方法はあまりに多勢なため、ホームページを開設し賛同者を募った<ref name="医学界2003"/>。失敗も含めて全ノウハウ 権威による思考放棄をしないことを信条としている{{要出典|date=2017年7月}}。
従来からあった湿潤療法の基本概念<ref name="pmid8109679">{{cite journal |authors=Field FK, Kerstein MD |title=Overview of wound healing in a moist environment |journal=Am. J. Surg. |volume=167 |issue=1A |pages=2S–6S |date=January 1994 |pmid=8109679 |doi= |url=}}</ref>を発展させ理論構築し、実臨床に応用し普及させた。創傷被覆材は床ずれでは使用法はある程度確立されていたため<ref name="環ゲリラ">{{Cite journal |和書|author=|date=2014|title=湿潤療法のためのゲリラ戦|journal=環|issue=56|page=200-204}}</ref>、床ずれの治療用としてしか認識されておらず、メーカーも傷に使った例がないといい、患者の反応を見ながら治療法を確立していった<ref name="naid40016845143">{{Cite journal |和書|author1=夏井睦 |author2=堀口三恵子 |date=2009-10 |title=巻頭インタビュー 簡単!痛くない!早くキレイに治る!患者と一緒に進化させた﹁湿潤治療﹂ |journal=医道の日本 |volume=68 |issue=10 |pages=11-21 |naid=40016845143}}</ref>。治療法の確立までに10年かかったという<ref name="ドクターズ・ファイル"/>。また、いくつかの企業から、被覆材の製品化の提案が持ち掛けられ、実際の治療を見学しながら製品化された<ref name="naid40016845143"/>。 2009年に新書の『傷はぜったい消毒するな』を出版する。序文に書かれているように、後半部分にて[[パラダイムシフト]]の概念を説明するなど、思想的な側面も含んでいる。Amazon.co.jpの新書文庫部門でも8月25日付けで第3位であった<ref name="売れる理由">{{cite web |author=桑原恵美子 |title=書籍「傷はぜったい消毒するな」が売れる理由 |url=http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/hit/20090907/1028717/ |date=2009-09-10 |publisher=日経トレンディネット |accessdate=2018-06-10}}</ref>
湿潤療法を携えて診療の拠点は、秋田県から、山形県、長野県へと移っていき、この長野では全国から患者も来るようになったが交通アクセスがよくなかったため茨城、東京へと拠点を移し<ref name="ドクターズ・ファイル"/>、2012年4月より東京の練馬光が丘病院の傷の治療センター科長となった<ref name="ねりま"/>。2017年60歳にして、ある外科医との出会いをきっかけに東京での開業へと至った<ref name="ドクターズ・ファイル"/>。 |