「大塚弥之助」の版間の差分
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[[東京]]・[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]で生まれ、[[筑波大学附属中学校・高等学校|東京高等師範学校附属中学校]]から[[静岡高等学校 (旧制)|静岡高等学校]]を経て、[[東京大学|東京帝国大学]][[東京大学大学院理学系研究科・理学部|理学部]]地質学教室を[[1929年]]︵昭和4年︶に卒業した。在学中は[[小沢儀明]]から地史学の方法を、[[辻村太郎]]から地形学の方法を、[[徳永重康]]からは新生代生物層序の方法を学んだ。 卒業後は[[東京大学地震研究所|同大学地震研究所]]の助手として勤務した。大塚の地球科学における研究は広い範囲におよび、地形学・地球物理学・層位学・古生物学・地史学・構造地質学にわたっている。在学中に[[四国]]の[[四万十川]]の曲流地形を調査し、﹃地理学評論﹄に論文を発表した。地震研究所ではもっぱら日本列島の新生界の調査研究に専念し、[[1937年]]︵昭和12年︶に[[東京大学大学院理学系研究科・理学部|東京帝国大学理学部]]地質学鉱物学教室の講師として[[新生代]][[層位学]]の教授に任命され、また[[東京文理科大学 (旧制)|東京文理科大学]]の[[自然地理学]]の教授も兼任した。 |